あの人のワイン人生 vol.27 ~ 川端清生さん「成田で迎える、第二の料理人生」

2023年3月25日、東京・御茶ノ水の名店「TERROIR Kawabata」が、多くの客に惜しまれながら幕を閉じました。オーナーシェフの川端清生さんが還暦を迎えたのを機に決めた、一度きりの引退でした。連日満席の激務を続けてきた身体には、もう限界のサインが出ていたのです。「やり切った」という思いで店を閉じた川端さんは、成田で静かな生活を送り始めます。
そんな川端さんのもとには、「いつ復活するのか」「あの料理をもう一度食べたい」という元顧客からの熱いリクエストが届くようになりました。それが背中を押すきっかけとなり、今、成田の自宅でTerroir Kawabata Jardin Potager & Verger」を開く準備を進めています。
かつて料理のオリンピックとも言われる「ボキューズ・ドール」の日本代表として世界の舞台に立った川端さん。その人生を支え、今も彼を動かし続ける「ワイン」への情熱を語ってもらいました。

本記事は、ワインスクール「アカデミー・デュ・ヴァン」が監修しています。ワインを通じて人生が豊かになるよう、ワインのコラムをお届けしています。メールマガジン登録で最新の有料記事が無料で閲覧できます。


【目次】
1. 少年時代の憧れ
2. 川端流料理の原点
3. 「ボキューズ・ドール」への挑戦
4. ワインという壁、ソムリエ資格への挑戦
5. アカデミー・デュ・ヴァンでの出会い
6. 広がった視野、目指す「マリアージュ」
7. 人の3倍努力したいから、毎晩フル試食
8. 100歳まで料理を作る


1. 少年時代の憧れ

私がまだ子供だった頃、テレビで『グラハム・カーの世界の料理ショー』という番組が放送されていました。そのエンディングで、スタジオに招かれた女性客が、ワインを飲みながらその日に作った料理を実においしそうに、感激しながら食べるシーンがあったのです。当時見たこともないようなクリームやパイ生地を使った料理、そしてワイン…当時ワインと言えば赤玉ポートワインしか知りませんでした。

このテレビ番組こそが私とワイン、そして西洋料理との初の出会いでした。

その頃はまだ、自分が料理人になろうとは考えていませんでした。「いつか、あんなおいしそうな食べ物を食べてみたい」。その一心でした。高校生の時、私の育った横須賀の街に、当時はまだ珍しかったステーキハウスがオープンしました。あのテレビ番組で見た世界に少しでも近づきたくて、食べたい一心でアルバイトを始めたのです。そこから、私の料理の道が始まったのです。

2. 川端流料理の原点

28歳で渡仏し、4年間の修行生活に入りました。その一軒目で働いたのが、サヴォワ地方のアヌシーにあった三ツ星レストラン「オーベルジュ・ド・レリダン」でした。オーナーシェフのマルク・ヴェイラ氏は、「ハーブの魔術師」と呼ばれる豪快でハチャメチャな、まるで漫画の主人公のような人でした。

サヴォワのマルク・ヴェイラシェフと

フランス修業時代。フランス料理界のレジェンド、ジョルジュ・ブランシェフと

朝の8時から夜の2時、へとへとになるまで働くきつい毎日でしたが、シェフは私を家族のように温かく迎え入れてくれました。シェフの故郷である山奥のマニゴ村へ、料理に使う野生のハーブや木の実、茸を採りに何度も連れて行ってもらったことは、私の生涯の宝物です。そこはまるで「アルプスの少女ハイジ」の世界そのもので、村の薪窯のパン屋さんやチーズ工房、ハムの燻製屋など、昔ながらの営みが息づいていました。ある時、道すらない山の上にジープでテーブルを運び、レストランさながらのセッティングをしろと言われました。沢の冷たい水に穴を掘り、バルタザール(12リットルもの特大ボトル)の大きなシャンパーニュを冷やして待っていると、後からシェフの友人たちが大勢やってきて、大自然の中で食事会が始まったのです。その土地の食材をふんだんに使い、その個性を三ツ星レベルの料理に仕立てた彼の料理こそ、「キュイジーヌ・テロワール(土地の料理)」でした。

私が後に独立した際、店名に「テロワール」と名付けたのは、このサヴォワでの原体験があったからです。私が本当に心から感動したのは、煌びやかなオートキュイジーヌ(高級料理)ではありません。その土地で採れたての野菜や釣ってきた魚を、素材の味を生かしその地に根付いた伝統料理がベース。そしてもう一つは、マルク・ヴェイラシェフが自身の料理のベースだと言っていた、おばあちゃんが作るような温かい「キュイジーヌ・グランメール(おばあちゃんの料理)」でした。

日本で言うなら「おふくろの味」。私は男ですから、さすがに店名におふくろの味とつけるわけにはいきません(笑)。だからこそ、あの大好きなサヴォワの風景と、土地に根ざすという意志を込めて、「テロワール」という言葉を店につけたのです。
もう一つは単に土や地面が好きだからです。

アルプスの少女ハイジの世界のような、サヴォワの風景

アルプスの少女ハイジの世界のような、サヴォワの風景

3. 「ボキューズ・ドール」への挑戦

国内に帰国後、リゾートホテルの料理長や東京ディズニーシー・ホテルミラコスタの開業などを経て、私の料理人人生において一つの大きな転機となったのが、2002年の「ボキューズ・ドール国際料理コンクール」日本本戦への挑戦です。開業仕立てのホテルで忙しく、徹夜を重ねて準備しました。その甲斐あって日本本選を勝ち抜くことができました。

そして翌2003年、日本代表として世界大会に挑戦しました。日の丸を背負う重圧の中、制限時間内に技術と表現のすべてを出し切る大会でした。当時は今のように情報が多くなく、何を準備したら良いのかわからない中での挑戦でした。結果は残念ながら入賞すらできませんでした。自分の力不足を痛感し、何事にも本番に向けての“準備が大事”なことを学びました。表彰台に上った国はしっかりと周到に準備ができていたことが良くわかりました。コンクールが終わって10年経っても当時のことを夢に見てうなされたほどです。この敗北が人生の良い教訓となり、時が経った今では誇りに思えるようになりました。

若い人達に伝えたいのは、是非いろいろなことに失敗を恐れずに挑戦してもらいたいと思います。僕がソムリエ受験に挑戦した時にも、この時の経験が生きていると思っています。まずは挑戦しないと何も始まらない。

もう一つが“準備が大事”という事。今でも店でお客様を迎える時に心がけていることは、お客様に喜んでもらうための“準備が大事”ということ。僕が今でもワインを学ぶのはお客様に喜んでもらうための準備の一つです。それとワインが好きだから…。64歳の僕は今年新しい店に挑戦します。挑戦が好きだから…。この店でお客様に喜んでもらう事が、これからの挑戦です。

ポールボキューズ・ドール国際料理コンクールに日本代表として出場

ポールボキューズ・ドール国際料理コンクールに日本代表として出場

家族も応援に駆けつけてくれた

家族も応援に駆けつけてくれた

4. ワインという壁、ソムリエ資格への挑戦

ブルゴーニュで働いていた頃。休みの日は自転車でワイナリーを巡っていた

料理を突き詰めるほど、「ワイン」という壁が大きく立ちはだかりました。フランス・ブルゴーニュで働いていた頃、休みの日は自転車でワイナリーを巡っていましたが、当時はワインの知識が乏しく、つくり手の話を十分に理解できませんでした。

「現地での実体験はかけがえのない貴重な収穫でしたが、もっと基礎知識があればさらに深く理解できたはずだ、しっかりワインを学ぼう、どうせ学ぶならソムリエの資格を」と思った瞬間です。料理人として先へ進むには、ワインの知識を体系的に身につける必要があると痛感しました。

帰国後、ちょうど同じ会社のソムリエがシニアソムリエ(現在のソムリエ・エクセレンス)を取得したと知ったことも、挑戦の決め手になりました。

5. アカデミー・デュ・ヴァンでの出会い

そうして一念発起したものの、近くにワインスクールなどないリゾートホテルで働いていたこともあり、通信教育などを利用して一人で教科書に向き合う日々でした。しかし、分厚い教本を開いて一ページ目から覚えようとするも、何を覚えたらいいかもわからない…。

そんな私が、銀座のレストランで働いていたときに出会ったのがアカデミー・デュ・ヴァンでした。近くに銀座校があることを知り、仕事の休憩時間を利用して、通うことにしたのです。分厚い教本に挫折した経験があるからこそ、楽しく学ぼうとStep-Ⅰという初心者講座を選択。通おうと決めた理由のもう一つは……実は、教えてくださる先生がとても可愛かったということもあります(笑)。

一人で暗記していた時はあんなに辛かったワインの勉強が、アカデミー・デュ・ヴァンを受講してからは、嘘のように楽しい時間へと変わっていきました。そこには、親身に教えてくださる先生がいて、何より、同じ志を持ってワインに向き合う素晴らしい仲間たちがいてくれたからです。お互いに励まし合い、競い合う環境があったからこそ、私はソムリエ試験を笑顔で乗り越えることができました。

6. 広がった視野、目指す「マリアージュ」

さらに、スクールに通ったことで、料理人としての私の世界は格段に広がりました。自分一人では絶対に買わないような、世界中の多種多様なワインを試飲し、体系的にその個性を学べたこと。これは、私の味覚の視野を大きく、そして深く広げてくれました。
ワインを本格的に学ぶ前と後では、料理への向き合い方がガラリと変わりました。今の私の料理が目指すのは、料理とワインの「マリアージュ(組み合わせのこと)」です。例えば、バターの銘醸地でつくられたワインとバターを使った料理、オリーブオイルの産地とでつくられたワインとオリーブオイルは合うと確信しました。

正直にいうと、料理を作るのは時間も手間もかかり大変なことです。しかし、この料理にどのワインを合わせるか、そのマリアージュを研究している時間は、理屈抜きにただただ楽しいのです。

料理とワインのマリアージュ

7. 人の3倍努力したいから、毎晩フル試食

よく「ボキューズ・ドール日本代表」だとか「ソムリエ・エクセレンス(旧シニアソムリエ)」といった華やかな肩書で見ていただくこともあります。しかし、私自身の本質は、昔も今も変わらず、ただの不器用な人間です。自分自身が不器用だとよく知っているからこそ、人の3倍努力することを、いつも自分に義務づけています。
「TERROIR Kawabata」を営業していた頃の私には日課がありました。

それは、毎日の終業後に行う「一人前の試食」です。料理人の中には、一口ちょっと味見するだけで済ませる人も多いですが、私はそれでは絶対に足りないと思っています。お客様と同じように、一皿の料理を最初から最後まで、一人前丸ごとちゃんと食べてみること。食べ進めるうちに味がどう変化していくのか、お腹にどう溜まっていくのかを身をもって体感することが、何よりも大切なのです。

そしてこの試食の時に、「この皿には、どのワインが最も合うのだろうか」と、あれこれボトルを開けて試します。ワインを開けたタイミングでもマリアージュの質が変わるため、何種類ものグラスを並べ、夜な夜な何本ものワインを開けてしまうこともしょっちゅうです。
傍から見れば、非効率に見えるかもしれません。でも、この徹底的な検証こそが、何よりも大切な私の勉強なのです。

仕事終わりにスタッフと試食とワインのマリアージュ検証 

仕事終わりにスタッフと試食とワインのマリアージュ検証

料理とワインの検証で試飲したワイン

料理とワインの検証で試飲したワイン

8. 100歳まで料理を作る

15年前に移り住んだ成田の自宅には、緑豊かな庭があります。これからは、その庭で大切に育てた20種類以上の果物や野菜を自分で収穫し、それを使って料理を作る予定です。それは、ずっと昔からの願いでした。再スタートは2026年秋、成田の自宅で完全予約制の4席だけのレストランをスタートします。

もし自分の料理とワイン人生を1本で例えるなら、格付けを持たないフランスの日常のテーブルワイン「ヴァン・ド・ターブル(テーブルワイン)」です。名だたるブルゴーニュのグラン・クリュや、きらびやかなシャンパーニュみたいな立派な人間ではないので。地味に一歩ずつ歩くしかできない。

これからも、誠実な仕事と地道な努力を重ね、目の前の一皿と一杯のグラスを最高のマリアージュに仕立てながら、皆さんに親しんでいただけるレストランにしていきたいと考えています。
そして今、一度、引退すると決めたときよりもワクワクしています。野菜作りも学んで、もっとアップグレードしたい。学びの情熱は若い時も今も変わりません。100歳まで料理を作り続けたいと思っています。

秋にオープンする自宅。20種以上の野菜や果樹が栽培されている

秋にオープンする自宅。20種以上の野菜や果樹が栽培されている


引退から3年。一度は厨房を離れた川端さんですが、料理とワインへの思いは少しも変わっていません。むしろ、ワインへの探究心と「人の3倍努力する」という流儀は、これまで以上に強まっているように感じます。
2026年10月、成田で始まる新しい挑戦。川端さんがどんな一皿とマリアージュを届けてくれるのか、楽しみに待ちたいですね。

プロフィール

川端清生(かわばたすがお)氏

川端清生(かわばたすがお)

  • 星座:蟹座
  • 血液型:O型
  • ワイン以外の趣味:食べ歩き、旅行、犬の散歩
  • 好きな食べ物:バーベキュー、フランス料理
  • もし生まれ変わったら何になりたい?:広い庭で大型犬を飼う人
  • 酔っぱらったらどうなる?:寝ちゃいます。
  • 人生を変えたワイン:若いころに飲んだシャトー・ムートン・ロッチルド。今はシャンパーニュ中毒です。

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世界的に高名なワイン評論家スティーヴン・スパリュアはパリで1972年にワインスクールを立ち上げました。そのスタイルを受け継ぎ、1987年、日本初のワインスクールとしてアカデミー・デュ・ヴァンが開校しました。

シーズンごとに開講されるワインの講座数は150以上。初心者からプロフェッショナルまで、ワインや酒、食文化の好奇心を満たす多彩な講座をご用意しています。

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