「ワインエキスパートの資格を取得したときは、それがゴールだとは思いませんでした。むしろ、ようやくワイン業界の入り口に立ったという感覚です」。そう力強く語ってくれたのは、現在、IT業界の第一線で活躍しながら、寿司職人としての顔も持つ吉川睦さんです 。
IT業界で培われた論理的思考と、寿司という伝統工芸、そしてワイン。これらが吉川さんの中でどう結びつき、独自のキャリアを形作っていったのか。そのストーリーをお伺いしました。
【目次】
1. スイスのブドウ畑で過ごした高校時代
2. アカデミー・デュ・ヴァンで「ワイン沼」へ
3. 「プロの飲んべえ」としての覚悟
4. 資格取得、そして「寿司」との運命的な出会い
5. 未知の世界への挑戦と、5つの実技試験
6. 未知の世界への挑戦と、5つの実技試験
6. 現場の洗礼と、自分を支えたワインの存在
7. ITのロジックで握り、ワインで仕上げる
8. 自由で気軽な「食の楽しさ」を世界へ
1. スイスのブドウ畑で過ごした高校時代
思い返せば、学生の頃からワインとは不思議な縁がありました。高校時代を過ごしたのは、世界遺産にも登録されているスイスの風光明媚なブドウ畑「ラ・ヴォー」を見渡せる場所です 。
学校へ行くには観光名物のワイン電車を利用するという、今思えばとてもロマンチックなロケーション。学校からはレマン湖と、斜面に広がるブドウ畑の絶景が望めるんです。スイスでは16歳からお酒が認められていますが、日本の法律が適用される学校だったため、当時はお預け。それでも、美しい景色の一部としてワインは常にすぐそばにありました。「いつか大人になったらここに戻ってきて、このワインを飲もう」。そんな期待を胸に、学生時代を過ごしていました。

スイスのレマン湖にて。大人になってから高校を再訪
2. アカデミー・デュ・ヴァンで「ワイン沼」へ
大学を経て社会人となり、転機が訪れたのは働き始めて5年が経った頃の「お酒の席」でのことでした。そこで出会ったのは、ブドウ品種や味わいの違いをズバズバと言い当てる人たち。その姿に、「違いが分かれば、人生の解像度はもっと上がるはず!」と直感したのです。彼らに導かれるまま、気づけばアカデミー・デュ・ヴァンのStep-Iの門を叩いていました。
テイスティングでは、最初は周りの顔色をうかがい「ベリーかな?」と当たり障りのない言葉を口にするのが精一杯でしたが、次第に「これはバニラというよりシナモンだね」「なめし皮のニュアンスが強い」と、自分の感じたことに確信を持って言葉にできるようになっていきました。一杯のワインに対してこれほど豊かな意見を持てるようになるなんて、自分でも驚きでした。もしあの時、授業を受けていなければ、私は今でも「単なるお酒好き」のままだったと思います。
職業も年齢も性別もバラバラな仲間たちと、利害関係なく対等に語り合える一生モノの友人ができたことで、私のワイン熱は一気に加速しました。実は、その後、クラスメイトと一緒にフランスまで行ってマラソンを走ったのですが、教室での出会いが、私の人生の選択肢を大きく広げてくれることになったのです。

アカデミー・デュ・ヴァンのクラスメイトとボルドーのワイナリーを訪問

ボルドー、メドックマラソンにも参加
3. 「プロの飲んべえ」としての覚悟
ワインエキスパート試験の対策講座を受講していた頃、私を支えていたのは「プロとして認められたい」という強い自負でした。単なる「お酒好き」と言うと、遊びの延長のように聞こえてしまうのが嫌だったんです 。
だから周囲には、冗談めかして「私はプロの飲んべえになります!」と宣言していました。それは、それほど真剣にワインと向き合っているんだという、私なりの決意表明でもありました。学習が進み、ボルドーやブルゴーニュなどの王道産地は攻略できたものの、最終盤で立ちはだかったルーマニアやモルドバなどの未知なる領域には、一瞬心が折れかけました。それでも「どうしても受かりたい!」という執念が、最後の最後で私を支えてくれました。
4. 資格取得、そして「寿司」との運命的な出会い
合格はゴールではなく、ワインを表現するための「テーマ」を模索する始まりでした 。そんな時、偶然目にしたのが「 大手企業を辞めて寿司職人として海外で起業した」という方の記事。「これだ!」と直感しました。
寿司とワインのマリアージュは、まだ成熟していない未開の地です。私なら、ITで培ったロジックを武器にこの分野を形にできるはず。その確信のまま、すぐに「寿司アカデミー」への入学を決めました。
6. 未知の世界への挑戦と、5つの実技試験
いざ寿司の世界に飛び込むと決めたものの、飲食業界の経験はゼロからのスタート。魚を捌くのも、出刃包丁を握るのも人生で初めて。先生のお手本を見ても、自分の手際の悪さに戸惑うこともありましたが、毎週新しい技術を吸収していく過程には、それ以上のワクワク感がありました。
卒業には5つの厳しい実技試験が課せられます。アジを時間内に捌き切り、骨が一本残るごとに減点される試験や、大根の桂剥きなど、どれも一筋縄ではいきません。特に苦労したのは「握り」の試験でした。制限時間内に規定の数を握り、さらに一貫ごとの重さを誤差1グラム以内に収めなければなりません。全員が見守る前で計量される緊張感は、かつて挑んだワインエキスパート試験の二次対策にも似た、ドキドキ感がありました。
当時は本業のITコンサルでも大きな案件が重なり、多忙を極める毎日でした。それでも「早く合格して、次のステップへ進みたい」という前向きな執念があったからこそ、家でも何匹もの魚を捌き、試験を乗り越えることができたのだと感じています。

寿司アカデミーにて
7. 現場の洗礼と、自分を支えたワインの存在
修業先のミシュラン店では、ITコンサル時代の論理が通じない職人の価値観に戸惑う日々でした。出勤は15時、退勤は深夜3時や4時。給与は以前の3分の1に減り、凍える冬の朝、明るくなり始めた空の下で自転車を漕ぎながら「私は一体何をやっているんだろう」と自問したことも一度ではありません。
それでも現場に飛び込んだのは、寿司スクールだけでは得られない「プロの視点」を肌で感じ、知識を吸収したかったからです。そんな過酷な生活の中でも、知人のお店や自宅を借りて、寿司とワインのイベントを自ら開催していました。どんなに眠くとも、イベントの後は仲間とワインを囲みました。グラスを持ったまま寝落ちしても、その時間は自分の誇りを取り戻せる大切な居場所だったのです。
この経験を通じ、私にとって寿司は、ワインを表現するための「最高のツール」なのだと確信しました。現場のやり方に100%納得できたわけではありませんが、自分の目的を見失わず、技術だけは泥臭く身につけようと前を向き続けました。その先にようやく見えてきたのが、ITの論理とワインの感性を融合させた、自分らしい表現の形です。
8. ITのロジックで握り、ワインで仕上げる
私の寿司は、常にワインの個性を起点に逆算して組み立てます。苦みや酸がはっきりした白ワインには、磯の香りが強いウニやイカを合わせます。樽の香りが効いたワインなら、ネタを炙ることで、皮の脂質と香ばしさを同調させます。
最大の付加価値は、握り手でありソムリエであるからこそ可能な「1ミリの微調整」です。ワインは開けるまでわからないことがよくあります。例えば「思っていたより酸が高かった」などの個体差がつきものです。その個体差に、塩や柑橘、薬味をその場でアジャストする。その瞬間、そのグラスに最も寄り添う一貫へと仕上げるライブ感 ― それこそが、ワインをしっかり学んだからできることだと思っています。

吉川さんが握った寿司
9. 自由で気軽な「食の楽しさ」を世界へ
現在はIT業界に戻り、将来の寿司事業に向けた土台作りをしながら、月に2回ほど「寿司ワイン会」を開催しています。準備は決して楽ではありませんが、ワインと寿司が完璧に調和した瞬間は、まるで美しい和音が響き渡るような、何物にも代えがたい感覚です。これからも、ワインも寿司ももっと勉強して、その和音の完成度を高めていきたいと思っています。

ワイン会で寿司を握る吉川さん
私の今の目標は、フランスやオーストラリア、そしてかつて眺めたスイスのブドウ畑など、世界各地のワイナリーを巡ってイベントを開催することです。お寿司もワインも、本来は誰もが日常の中で自由に楽しむものでした。 ヨーロッパの人たちがチーズとワインを日常で合わせるように、もっと自由に、もっとカジュアルに。固定概念を飛び越えて、世界中の人たちに寿司とワインの楽しさを届けていきたい。それが、職人でありプロの飲んべえである、私の願いです。
自分らしい「学び」の形
吉川さんのストーリーは、ワインを学ぶことが人生の選択肢をいかに広げるかを伝えてくれます。ITのキャリアに、ワインと寿司という軸を掛け合わせることで完成した新しい世界観。吉川さんの挑戦は、これからも続いていきます。
プロフィール
吉川睦(よしかわむつみ)
Instagram@my0118
- 星座:やぎ座
- 血液型:A型
- ワイン以外の趣味:テニス
- 好きな食べ物:何でも好き、ハンバーガー
- もし生まれ変わったら何になりたい?:飼い猫。自由気ままに。今もですが。笑
- 酔っぱらったらどうなる?:真面目に語り始める
- 人生を変えたワイン: E.ギガル コンドリュー ラ・ドリアンヌ






