近年、ワイン産地から届くのは、気候変動による厳しい被害を伝えるニュースばかりである。カリフォルニア、オレゴン、オーストラリア、チリなどを襲う山火事、ヨーロッパ全土で見られる記録的な干ばつと熱波、かつてない早さで訪れる収穫期。もはや「異常気象」ではない。ワイン造りの「新しい日常」になった感がある。
こうした危機的状況を背景に、大多数と言ってもよいワイナリーが、サステナビリティ(持続可能性)の追求を標榜するようになった。しかし、この「大きな」スローガンの裏で、実質的な環境負荷低減が伴わない「グリーンウォッシュ(見せかけの環境対策)」への批判もまた、世界的に高まっている。誠実な業界関係者や消費者が求めているのは、聞こえのよいだけの「物語」ではなく、科学的根拠に基づく測定可能な行動と結果である。
本稿で詳述する組織、IWCA(International Wineries for Climate Action)は、まさにその要請に応えるために、2019年に生まれた。厳格かつ野心的な気候変動対策を掲げる、国際的なワイン生産者団体である。本記事では、IWCAの理念、厳しい加盟要件、未来を物理的に変えるためのアクションなどについて、その全貌を解説していく。
【目次】
1. IWCAとは何か
● 組織の定義
● 設立の目的
● カーボン・オフセットに依存しない哲学
2. 立ち上がったふたつのファミリー
● 待ったなしの現実
● サステナブルだけでは足りない
3. メンバーシップの仕組みと等級
● 不都合な真実を見せられる
● 3つの会員等級(段階)
● 第三者監査の仕組みと「スコープ3」の壁
4. 科学的な削減方法
● 感情論を排する
● 土壌有機炭素(SOC)測定の難しさ
● SOCコンピレーション・プロジェクト
5. 急拡大する「脱炭素同盟」
6. 未来にむかって
7. IWCAのまとめ
1. IWCAとは何か
組織の定義
IWCA(International Wineries for Climate Action)は、気候変動対策にコミットしたワイナリーによる、共同作業部会(Collaborative Working Group)と定義される。活動の根幹にあるのは、感情的なスローガンではなく、科学に基づいたアプローチである。
世界中に数多あるワイン団体の中で、IWCAを特別な存在たらしめているのは、国際連合が主導する世界的なキャンペーン、「Race to Zero(ゼロへのレース)」との関係性だ。IWCAは、ワインおよび農業セクターから初めて、このキャンペーンのパートナーとして参画した組織である。これは、IWCAの活動基準が、高水準の科学的整合性と厳格さを備えていると、国際社会が承認した証と捉えられるだろう。
2025年の年次報告書が発表された時点で、IWCAには各国の有力ワイナリーが175社加盟しており、世界全体のワイン生産量のうち、約3.5%を占めるまでに成長した。たかだか3.5%ではないかと、この数字が小さく感じられるかもしれない。しかし、非常に断片化された国際的ワイン産業において、単一の環境基準の下にこのボリュームが集結している事実は、業界全体に大きな影響力を持つ。
設立の目的
IWCAの設立目的は明快である。2015年採択のパリ協定の目標達成、すなわち「地球の平均気温上昇を、産業革命以前に比べて1.5℃未満に抑える」ことだ。
IWCAが設けた最終ゴールは、2050年までに「ネット・ゼロ(Net Zero)」、すなわち温室効果ガス(GHG)の実質排出量ゼロ化である。多くの企業や国家が同様の目標を掲げる中、IWCAの特異性は、その達成プロセスにおける「透明性」と「厳格さ」への執着にある。
加盟ワイナリーは、自社の排出量を単に推計するのではなく、温室効果ガス排出量の算定・報告の国際基準である「GHGプロトコル」に基づき、詳細な排出目録を作成しなければならない。これには、自社所有のボイラーや車両からの直接排出(スコープ1)、購入した電力などエネルギー起源の間接排出(スコープ2)だけでなく、把握が最も困難とされる、サプライチェーン全体からの排出(スコープ3)も含まれる。
カーボン・オフセットに依存しない哲学
IWCAの理念において特筆すべきは、安易な「カーボン・オフセット(排出権取引)」への依存を良しとしない姿勢である。
カーボン・オフセットとは何か。一般的な企業の環境対策では、自社の排出量を削減する努力とともに、削減しきれない分について、他社から「クレジット(排出権)」を購入し、帳簿上で相殺(オフセット)するのが認められている。購入可能なクレジットとは、たとえば他社が植林プロジェクトや、再生可能エネルギー事業への投資を通じて得た、炭素排出の削減量である。しかし、IWCAはこの手法を主力とはみなさない。重視するのは、あくまで自社の事業プロセスそのものから、排出される炭素の物理的な削減である。
IWCAからすれば、気候変動の進行速度は、オフセットという「自社の中で帳尻を合わせる」だけで食い止められる段階を、すでに超えている。オフセットで購入した炭素量は、他社の帳簿の中で減少するだけで、ゼロサムゲームでしかない。この、ある種のまやかしを、IWCAは好まないのだ。まずは自分の足元にある排出源──トラクターの燃料、醸造所の電力、そして何より大きな比重を占めるガラス瓶や輸送──を徹底的に見直し、減らす。その上で、ブドウ畑の土壌を健全化し、大気中の炭素を土に固定する「炭素隔離」のような、自然に基づく解決策を推進する。これがIWCAの考える、本物の気候変動対策である。
2. 立ち上がったふたつのファミリー
待ったなしの現実
IWCAの物語は、大西洋を挟んだふたつの著名なワイナリー一族の、共鳴から始まった。一方はスペイン・ペネデス地区に本拠を置き、数世紀にわたりワイン造りを続ける名門トーレス家(Familia Torres)。もう一方は、カリフォルニアを拠点に高品質なワインを世界展開する、ジャクソン・ファミリー・ワインズ(Jackson Family Wines)である。共に、それぞれの地域でワイン業界を主導する存在でありながら、かつてないほどの危機感を共有していたのである。両一族を突き動かしたのは、高邁な理想論だけではなく、ブドウ畑で直面した物理的な恐怖と、経営上のリスクであった。
カリフォルニアに本拠を置くジャクソン・ファミリー・ワインズにとって、それは「火」の恐怖である。近年、カリフォルニア州のブドウ栽培地域を襲う山林火災の頻度と規模は、過去の常識をはるかに超えている。畑や醸造設備が焼けるだけではない。収穫直前のブドウに煙の不快な臭いが付着した結果、発酵すら許されずに廃棄されるという壊滅的被害(煙害、スモーク・テイント)。カリフォルニアのワイン生産者たちにとって気候変動対策は、将来の世代のためという以前に、「来年の収穫をどう守るか」という喫緊の課題となっていた。
一方、スペインのトーレス家が直面していたのは、「熱」と「乾き」である。地中海沿岸地域では、気温上昇に伴って、ブドウの成熟スピードが劇的に変化している。糖度が上がりすぎると同時に、酸が落ちてしまう。糖度の上昇に、フェノール類の成熟が追いつかない。早摘みすればスカスカの味のないワインになるし、フェノールの成熟を待って収穫すれば、アルコール過多で酸不足のワインとなる。さらには、深刻な干ばつがブドウ樹の生存そのものを脅かす。トーレス家はすでに、標高の高いピレネー山脈の麓へと、ブドウ畑を移動させるなどの適応策を講じていたが、気候変動の進行速度は、一企業の努力だけで適応できる限界を超えつつあった。
サステナブルだけでは足りない
2019年当時、すでに世界には、「オーガニック(有機栽培)」や「サステナブル(持続可能)」を謳う認証制度が数多く存在していた。しかし、両一族にとって、それらは穴が多かったり、カバーする領域が限定的だったりで、十分とは感じられなかった。
従来のサステナブル認証の多くは、環境保全、社会的公平性、経済的持続性などを包括的に評価する優れた仕組みではあるが、焦点が多岐にわたるがゆえに、「温室効果ガスの排出削減」という一点においての強制力が弱い。また、栽培方法(インプット)に焦点を当てるあまり、実際に大気中に放出される炭素量(アウトプット)の測定や削減義務が、明確化されていない制度も少なくなかった。
「我々に必要なのは、曖昧な『環境に優しい』活動ではなく、科学的に測定された『炭素削減』の結果である」
この共通認識のもと、ふたつの一族は既存の団体の枠組みを超え、気候変動対策、すなわち「脱炭素」に特化した新たな国際組織の立ち上げを決意する。かくして生まれたIWCAは、加盟会員に対して重い義務を課す、極めて厳格な会員制組織であった。
3. メンバーシップの仕組みと等級
不都合な真実を見せられる
IWCAのメンバーシップは、単なる参加の意思表示や会費の支払いだけでは獲得できない。加盟するためには、自社の温室効果ガス(GHG)排出量を、国際的な基準である「GHGプロトコル」および「ISO-14064」規格に基づいて厳密に計算し、第三者の認定監査機関による検証を受けねばばならない。要するに、「自己申告」だけではダメなのである。
当然ながら、多くのワイナリーにとって痛みを伴う作業になる。これまで見過ごしてきた、あるいは見えないふりをしてきた「不都合な真実」──たとえば、重厚なガラス瓶の使用や、長距離輸送による膨大な炭素排出について、数値化・見える化を強いられるからだ。しかし、この厳格さこそが、グリーンウォッシュ(見せかけの環境対策)に対する最強の防波堤となり、消費増や市場からの信頼に通じる唯一の道であると、IWCAは確信している。
3つの会員等級(段階)
IWCAのメンバーシップは、気候変動対策の進捗度に応じて3つの等級(段階)に分かれている。それぞれの要件は以下の通りである。
① 申請会員(Applicant Member)
IWCAへの入り口となる等級(段階)だが、すでにハードルは高い。申請者は少なくとも、「スコープ1(直接排出)」と「スコープ2(エネルギー起源の間接排出)」を含む、GHG排出量のベースライン測定(基準となる年の排出量計算)を完了している必要がある。あるいは、スコープ1、2、3すべてを含む排出目録を作成する、検証可能な計画を持っていなければならない。さらに重要なのは、加盟から1年以内という短期間に、サプライチェーン全体を含む「スコープ3」までの完全な排出目録を作成し、第三者監査を完了させるという誓約が求められる点である。厳しい要求水準は、マーケティング目的での安易な参加を拒み、本気で脱炭素に取り組む覚悟のあるワイナリーだけを選別するフィルターとして機能している。
② シルバー会員(Silver Member)
シルバー会員へ昇格すると、本格的な脱炭素経営の実践段階に入る。要件は以下の通り極めて具体的かつ厳格である。
- 全スコープの測定と監査: スコープ1、2、3のすべてを網羅したGHG排出目録を作成し、ISO-14064-3または同等の基準に基づく第三者監査を完了している必要がある。
- カバー率: 排出目録は、主要ワイナリーが所在する地域における自社生産量の90%以上をカバーしていなければならない。一部の実験的な畑や施設だけを対象にして、「エコ」を名乗るのは許されない。
- ネット・ゼロへの誓約: シルバー会員は、2050年までに、スコープ1、2、3のすべてでネット・ゼロを達成する旨の誓約を行ない、2030年までに中間目標を達成しなければならない。
③ ゴールド会員(Gold Member)
IWCAにおける最高位等級(段階)であり、気候変動対策の主導者として認められたワイナリー群である。ゴールド会員になるためには、シルバー会員の全要件を満たした上で、さらに厳しい実績が求められる。
- 実質的な排出削減の証明: 単に排出量を測定するに留まらず、基準年と比較して、実際の排出量を一定期間内に継続的に削減していると、データで証明しなければならない。具体的な削減率の目標(例:年間数パーセント以上の削減)を、クリアし続けるのが維持条件となる。「努力目標」ではなく「必達目標」である。
- 再生可能エネルギーの導入: ゴールド会員は、消費電力の一定割合(最低20%)を、現地で生成(自社敷地内での太陽光発電など)しなければならない。
- ネット・ゼロへのロードマップ: 2050年までのネット・ゼロ達成に向けた、具体的かつ科学的根拠のある長期計画(ロードマップ)を策定し、提示する必要がある。
第三者監査の仕組みと「スコープ3」の壁
IWCAが採用する監査基準は、世界資源研究所(WRI)のGHGプロトコルおよび国際標準化機構のISO-14064規格である。加盟ワイナリーは、IWCAが認定した、あるいは同等の資格を持つ外部の監査法人を雇い、自社の排出計算が正しいかどうかのチェックを受けなければならない。
GHGプロトコルにおいて、排出源は以下の3つに分類される。うち、全ワイナリーが直面する最大かつ最難関の壁が、「スコープ3」である。
- スコープ1: 自社所有のボイラー、車両、発酵プロセスなどからの直接排出
- スコープ2: 購入した電力、蒸気、熱などの使用に伴う間接排出
- スコープ3: 上記以外、サプライチェーンの上下流で発生するすべての間接排出(購入した資材、輸送、廃棄、従業員の通勤、出張など)
一般的な感覚では、ワイナリーの環境負荷といえば、トラクターの排気ガス(スコープ1)や醸造所の電気代(スコープ2)を想像しがちである。しかし、IWCAが2025年に発表した会員41社の平均データによると、予想を大きく裏切る実態が明らかになった。ワイナリーの総排出量のうち、スコープ1は11.3%、スコープ2はわずか3.7%に過ぎない。残りの大部分、85.0%が、「スコープ3」に由来していたのである。
スコープ3の内訳を見ると、さらに問題の核心が見えてくる。
- ガラス瓶などの包装資材: ワイン産業における最大の排出源のひとつ。
- 輸送: 原材料の調達から、完成したワインが消費者の手元に届くまでの輸送。
- 購入したブドウ: 自社畑以外から買い付けたブドウの栽培過程で発生した排出量も、買い手であるワイナリーのスコープ3としてカウントされる。
トラクターを馬に変えたり、ワイナリーの屋根にソーラーパネルを設置したりして、スコープ1と2をゼロにできても、全体排出量の15%程度しか減ってくれない。本気で脱炭素を目指すなら、ガラス瓶メーカーや物流会社、契約農家といった「他社」を巻き込み、サプライチェーン全体を変革しなければならない。これがスコープ3の難しさであり、IWCAが「サプライチェーン全体の脱炭素」を強調する理由である。
IWCAの監査では、たとえば「使用したガラス瓶の重量」×「ガラス製造の排出係数」といった計算が、納品書や輸送記録と照らし合わせて厳密にチェックされる。ぼんやりした推計は許されない。こうした過酷なプロセスを経るからこそ、IWCAのロゴマークが入ったワインボトルは、単なる「環境に優しい雰囲気」ではなく、科学的に裏付けられた「気候変動対策の実績」を、消費者に保証できるのである。
4. 科学的な削減方法
感情論を排する
IWCAの活動が他の環境団体と一線を画すのは、その活動が徹底してデータおよび科学的根拠に基づいている点にある。「地球に優しくありたい」という情緒にふわっと寄り添うのではなく、「いかにしてトン単位の二酸化炭素を大気中から減らすか」という、物理的な課題に取り組んでいる。
IWCAの手法は大きくふたつに大別される。ひとつはエネルギー転換や資材の軽量化といったハードウェア的なアプローチ。もうひとつは、ブドウ畑の土壌そのものを炭素の貯蔵庫へと変貌させる、生物学的・農学的なアプローチである。特に後者、「再生型農業」に関する研究は、IWCAが現在最も力を入れている分野であり、世界の農業界全体にとっても重要な示唆を含んでいる。
まずは、即効性のある物理的な削減方法から見ていこう。スコープ1(直接排出)とスコープ2(エネルギー起源の間接排出)に関しては、解決策自体はシンプルで、すなわち化石燃料からの脱却である。 2025年の年次報告書には、世界中の会員によるエネルギー転換の事例が並ぶ。スペインのファミリア・トーレスは、自社施設内で消費するエネルギーの33%を、太陽光パネル、バイオマスボイラー、地熱エネルギーによって自給しており、購入電力も含めた再生可能エネルギー比率は67%に達している。オーストラリアのヘンチキ(Henschke)や、カリフォルニアのシルバー・オーク(Silver Oak)なども、大規模な太陽光発電設備の導入によって、醸造所の電力をほぼ100%再エネ化した。 トラクターの燃料を、軽油からバイオディーゼルや電気へと置き換える動きも加速している。
しかし、前述の通り、排出量の85%はスコープ3(サプライチェーン)にあり、その中でも最大の元凶は「ガラス瓶」である。ガラス瓶は、製造に1,500℃もの高温が必要であり、かつ重量のせいで輸送効率が悪い。IWCAはこの問題に対し、軽量ボトルの採用を強く推奨している。たとえば、ジャクソン・ファミリー・ワインズは、一部のラインナップでボトルの重量を495gまで軽量化し、3年間でボトルあたり300gのガラスを削減した。さらに踏み込んだ事例としては、ファミリア・トーレスがオランダ市場向けに、回収・洗浄して再利用可能な「リターナブル・ボトル」のシステムを導入したのが挙げられるだろう。ボトルを一度使い、回収してから砕いてリサイクルするよりも、遥かに環境負荷が低い。真の循環型経済の実践である。
次に、再生型農業による削減策を見よう。ワイン用ブドウ栽培に限らず、「最先端の農業科学」として登場し、近年おおいに注目されている農法だ。利点は数多いが、ここでの肝は「炭素隔離」である。大気中の二酸化炭素を光合成によって取り込むのは、あらゆる植物の体内で起きる生命のプロセスだ。しかし、取り込んだ二酸化炭素を、根や微生物を通じて土壌中に「固定」するノウハウが、再生型農業の革新である。これは、単に農薬や化学肥料を使わない、「マイナスをゼロに」という有機栽培の発想を超えている。
具体的な手法としては以下が挙げられる。
- 不耕起: 土を耕すと、土壌中の炭素が酸素と結びつき、二酸化炭素として大気中に放出されてしまう。土を耕さなければ、炭素は地中に留まる。
- カバークロップ(被覆作物): ブドウ樹の畝間にマメ科やイネ科の植物を植える。常に地表を覆いながら光合成量を最大化し、土壌微生物を活性化させる。
- 堆肥の活用と動物の導入: 羊などを畑に放ち、除草と施肥を自然のサイクルの中で行わせる。
不耕起以外は、有機栽培やビオディナミと共通しているから、昔ながらの農法への回帰に見えるかもしれない。だが、IWCAの方法論は、炭素固定を「感覚」ではなく「数値」で管理しようとする点が革新的なのだ。目指しているのは、「再生型農業で、ヘクタールあたり年間何トンの炭素を隔離できるか」を科学的な証明と、ワイナリーのGHG削減実績として計上できる基準の策定である。
土壌有機炭素(SOC)測定の難しさ
ここで重要になるのが、「土壌有機炭素(SOC: Soil Organic Carbon)」と「土壌有機物(SOM: Soil Organic Matter)」の区別である。一般的に農業の現場では有機物の量を測るSOMが指標として使われるが、気候変動対策の文脈では、実際にどれだけの炭素原子が存在するかを示すSOCが重要となる。一般的には「SOC ≈ SOM ÷ 1.724」という換算式が使われるが、これは土壌タイプによって誤差が生じるため、IWCAではより厳密な直接測定を推奨している。
しかし、土壌中の炭素量を正確に測るのは極めて難しい。サンプル採取の深さ(土の表層だけか、深層までか)、採取地点のバラつき、季節変動などが結果に大きく影響する。また、世界資源研究所(WRI)などは、「リーケージ」(漏出)という概念を提起し、炭素固定が一筋縄ではない点を指摘している。リーケージの論理はこうだ。再生型農業による炭素固定を行なうと、土壌の生態系が安定するまでしばらく、作物の収量が落ちる場合がある。収量不足は、市場において需要過多の状況を生む。この需給のアンバランスを是正するために、新たな農地が必要となり、別の場所で森林伐採がなされた結果、炭素固定量が減ってしまう。
必ずしも見込み通りには運ばない種々の状況に対し、IWCAはごまかさずに正面から向き合う。同団体作成の技術資料、『再生型農業と土壌の健康』では、研究機関との連携によって得られたデータが、成功例だけでなく、期待したほどの効果が出なかった事例も含めて公開されている。たとえば、ジャクソン・ファミリー・ワインズと土壌健康研究所(SHI)の共同研究では、不耕起栽培とカバークロップの導入により、年間ヘクタールあたり平均0.214トンの炭素隔離効果が見られた。一方で、条件によっては効果がゼロに近いケースもあったと報告されている。
SOCコンピレーション・プロジェクト
この不確実性を乗り越え、国際的な標準指標を確立するために、IWCAは2025年、「SOCコンピレーション・プロジェクト」を立ち上げた。世界10カ国以上にまたがる加盟ワイナリーのブドウ畑で行われている炭素隔離プロジェクトのデータを、統一形式で集約・分析する壮大な試みである。
2026年2月のバルセロナ・ワイン・ウィークで発表された初期調査結果によると、スペイン、フランス、アメリカ、チリなどの異なる気候条件下にある16のプロジェクトにおいて、再生型農業の実践がSOCの増加、あるいは少なくとも維持に寄与しているという傾向が確認された。特筆すべきは、データの透明性である。チリのコンチャ・イ・トロ(Concha y Toro)のように、デジタル土壌地図作成技術を使い、広範囲のSOCを可視化するハイテクな事例がある一方で、スペインのアルマ・カラオベハス(Alma Carraovejas)のように、急斜面や降雨の影響で、短期的にはSOCが増加しなかった事例も正直に報告されている。
IWCAが、このプロジェクトを通じて実証を試みているのは、「再生型農業は魔法の杖ではないが、科学的に管理すれば、確実に気候変動対策の武器になる」という仮説である。ISO規格(ISO-14064)に耐えうる厳密さで、「このワインを作る過程で、これだけの炭素を土に戻しました」と宣言できる未来が目指されている。
5. 急拡大する「脱炭素同盟」
IWCAは、設立からわずか7年で、世界のワイン産業を揺さぶるだけの力を持つ勢力へと成長しつつある。数量ベースでは、前述の通り5%にも満たないが、影響力のあるトップ・ワイナリーが多く名を連ねているためだ。
2025年2月発表の年次報告書によると、IWCAに加盟するワイナリーの総数は、175社に達している。加盟ワイナリーの国籍数は14、南極を除く全大陸に散らばる。上位の等級(段階)に属する会員数も増えた。2025年には、最高位の段階であるゴールド会員の数が、前年の9社から18社へと倍増している。単に排出量を測定する段階(シルバー)を卒業し、実際に排出量を削減しつつ、ネット・ゼロへのロードマップを確立する段階(ゴールド)へと進化しているのだ。
IWCAの会員名簿を眺めると、顔ぶれの多様さに驚かされる。年に数百万ケースを生産するグローバル企業と、小さな畑の表現に心血を注ぐ小規模なブティックワイナリーが、対等な立場で並ぶ。以下、ざっと主要な会員を地域別に見ていこう(2026年2月時点)。
スペインでは、創設会員であるファミリア・トーレス(ゴールド会員)に加え、リオハ地区の名門クネ(CVNE: Compañía Vinícola del Norte de España/ゴールド会員)やラモン・ビルバオ(Ramón Bilbao/シルバー会員)、リベラ・デル・ドゥエロ地区の高級ワイン生産者アバディア・レトゥエルタ(Abadía Retuerta/ゴールド会員)らが、各生産地域を代表する存在として参加している。
その他のヨーロッパ諸国では、ポートワイン生産で名高いシミントン(Symington/ゴールド会員)、マテウス・ロゼで知られる巨大企業ソグラペ(Sogrape/シルバー会員)、フランス・ボルドー右岸地区サンテミリオンの特級格付けシャトー、トロプロン・モンド(Troplong Mondot/シルバー会員)、シャンパーニュ地方のグラン・マルクであるシャルル・エイドシックとパイパー・エイドシック(Piper Heidsieck, Charles Heidsieck/シルバー会員)、ルーション地方の代表的生産者ラファージュ(Lafage/シルバー会員)、ギリシャのトップ生産者キリ・ヤーニ(Kir-Yianni/シルバー会員)など。
アメリカ合衆国では、創設会員のジャクソン・ファミリー・ワインズに加え、ナパ・ヴァレーのオーパス・ワン(Opus One/ゴールド会員)、スポッツウッド(Spottswoode/ゴールド会員)、サン・スペリー(St. Supéry/ゴールド会員)、ケイクブレッド(Cakebread/シルバー会員)、フロッグス・リープ(Frog’s Leap/シルバー会員)、ナパとソノマに展開するシルバー・オーク(Silver Oak/シルバー会員)、サンタ・クルーズ山脈とソノマに展開するリッジ(Ridge/シルバー会員)、ワシントン州の最大生産者サン・ミシェル・ワイン・エステーツ(Ste Michelle Wine Estates/シルバー会員)など、大物が並ぶ。
チリでは、巨人コンチャ・イ・トロ(Viña Concha y Toro/ゴールド会員)、ミゲル・トーレス・チリ(Miguel Torres Chile/ゴールド会員)、廉価品から最高級品まで多くのブランドを傘下に収めるVSPTワイン・グループ(VSPT Wine Group/ゴールド会員)、ウンドラーガ(Undurraga/ゴールド会員)といった、大規模生産者がことごとくゴールド会員なのが目を引く。
ニュージーランドからは、マールボロ地区に本拠を構え、同国のカーボン・ゼロ認証を獲得済みのイーランズ・エステート(Yealands Estate/ゴールド会員)、セントラル・オタゴ地区のフェルトン・ロード(Felton Road/シルバー会員)など。オーストラリアでは、大銘醸ヒル・オブ・グレイスで知られる、イーデン・ヴァレーのヘンチキ(Henschke/ゴールド会員)、ヤルンバなど8つのブランドを傘下に収めるヒル・スミス・ワイン・エステーツ(Hill-Smith Wine Estates/ゴールド会員)らである。
IWCAの会員になるには、入口の申請会員になる時点で、前述の通り高いハードルが設けられている。特に、温室効果ガス(GHG)を測定・数値化するのが、簡単にはいかない。温室効果ガスの排出量を正確に計算するには、高度な専門知識と複雑な係数(電力網の排出係数や、輸送モードごとの排出原単位など)が必要となる。通常であれば、高額な環境コンサルタントを雇う必要があり、多くの小規模ワイナリーが、最初の一歩を踏み出すのを妨げていた。
そこでIWCAは、地域ごとの特性に合わせた独自の計算ツールを開発し、提供し始める。すでに運用されている北米版(カリフォルニア、オレゴンなど)、オーストラリア版、ニュージーランド版に加え、2025年には待望のラテンアメリカ版(チリ、アルゼンチン向け)がリリースされた。このツールと、スマートフォンやPCがあれば、国際基準(GHGプロトコル)に準拠した、自社の排出目録を作成できる。脱炭素の取り組みを、資金力のある大手企業だけに委ねず、業界全体のボトムアップを図るための、極めて重要なインフラ整備と言えるだろう。
さらにIWCAは、定期的にウェビナーやワークショップを開催し、「再生型農業の科学的アプローチ」、「スコープ3のサプライヤーエンゲージメント(協力要請の方法)」といった専門的なトピックについて、会員間の知見共有を行っている。成功事例だけでなく、「やってみたが効果が薄かった」、「コストが想定以上にかかった」といった失敗事例も共有される。この透明性も、後続のワイナリーが同じ轍を踏むのを防ぎ、業界全体の脱炭素スピードを加速させているのである。
6. 未来にむかって
環境対策について回る最大の懸念は、「コスト」である。「脱炭素は重要で喫緊の課題だが、それで会社が潰れては元も子もない」とは、多くの経営者が抱く本音だろう。この本質的なジレンマに対し、IWCAは2025年の年次報告書において「目的のある利益(Profit with Purpose)」というテーゼを掲げた。気候変動対策を単なる「コスト」や「慈善事業」としてではなく、企業の存続と競争力を高めるための「投資」として、定義し直したのである。力強く、輝かしい未来像だ。
報告書の中でIWCAは、炭素排出量の削減が、結果としてエネルギー効率の向上や無駄の排除につながり、強い回復力を持つビジネスを構築すると主張している。たとえば、軽量ボトルの採用はガラス代と輸送費の直接的な削減になる。太陽光パネルの設置は、高騰するエネルギー価格のリスクヘッジになる。そして何より、環境に真摯に取り組む姿勢は、消費者の信頼を獲得し、優秀な若い人材を惹きつけるための最強のブランディングになる。 「利益(Profit)」と「目的(Purpose)」は対立する概念ではなく、21世紀のビジネスにおいては不可分の両輪である──この哲学こそが、IWCAが業界内で急速に支持を拡大している思想的背景であろう。
とはいえ、希望はあるが、課題もある。最大の障壁はやはり、「スコープ3(サプライチェーン排出)」だ。前述した通り、ワイナリーの排出量の85%はスコープ3に由来する。特にガラス瓶の製造と輸送に伴う排出量の削減は、ワイナリー一社の努力だけでは限界がある。ガラス製造業者に再生可能エネルギーの使用を求めたり、物流業者に低炭素な輸送手段への切り替えを要求したりといった、サプライヤーとの粘り強い交渉と協働が不可欠となる。
7. IWCAのまとめ
ワインという飲み物は、産地の風土を最も色濃く映し出す農産物だと言われる。だからこそ、気候変動の影響を最も敏感に受け、危機を私たちに告げる「炭鉱のカナリア」となっている。生産者たちは、アクションを起こした。連帯し、武器を取り、まだまだ先の見通せない持久戦に臨んでいる。しかしながら、最終決定者は消費者たちだ。ワインショップの棚から、一本を選ぶ。どんな地球の未来を希望するかの意思表示であり、選挙の投票にも似る。気候変動と戦う生産者のボトルを手に取ったなら、わずかながらこの惑星の未来は変わる。少なくとも、IWCAの造り手たちは固くそう信じているのである。






