ボルドー地方の右岸、リブルヌの町・港の近隣にある小さなワイン産地、ポムロール(Pomerol)。世界で最も希少かつ高価なメルロを、集中的に生み出す「村」として、愛好家の羨望を一身に集めています。誕生するワインは、この黒ブドウ品種のポテンシャルを極限まで引き出した、肉厚でベルベットのような質感と、トリュフを思わせる蠱惑的なアロマ&ブーケが身上です。
興味深いことにポムロールには、ボルドー地方と不可分な、公式な「格付け」が存在しません。それでも、ペトリュス(Petrus)やル・パン(Le Pin)といった象徴的な銘柄は、左岸の五大シャトーを遥かに凌ぐ価格で取引されているのが現実です。本記事では、このミステリアスな銘醸地の歴史から、「青い粘土」がもたらすテロワールの秘密、そして現代のポムロールを牽引する主要シャトーの姿までを、最新の情報を交えて詳しく紐解いていきます。
【目次】
1. 概要:AOCポムロールとは?
● 位置と対象コミューン
● 認定年と主要生産規則
● 主要ブドウ品種とスタイル
● 歴史
● なぜポムロールには格付けがないのか?
2. AOCポムロールのテロワール
● 土壌の特徴
● 気候の特徴
3. AOCポムロールの代表的シャトー紹介
● ペトリュス(Petrus)
● ラフルール(Lafleur)
● ル・パン(Le Pin)
● ラ・コンセイヤント(La Conseillante)
● トロタノワ(Trotanoy)
● セルタン・ド・メイ(Certan de May)
● ラ・フルール・ドゲ(La Fleur de Gay)
● レ・フルール・ペトリュス(La Fleur-Pétrus)
● レグリーズ・クリネ(L’Église-Clinet)
● レグリーズ・クリネ(L’Église-Clinet)
● レヴァンジル(L’Évangile)
● ヴュー・シャトー・セルタン(Vieux Château Certan)
4. ポムロールのまとめ
1. AOCポムロールとは?
位置と対象コミューン
AOCポムロールは、ガロンヌ川右岸、リブルヌの町・港の近隣に位置する非常にコンパクトな産地です。植栽面積は800ヘクタールほどで、約900ヘクタールのAOCサン・ジュリアン(左岸メドック地区の村名AOC)よりも小さく、同じ右岸のAOCサン・テミリオン(約5,400ヘクタール)とはずいぶん大きな差があります。
地理的には、北のバルバンヌ川(Barbanne)、東はサン・テミリオンとの境界線、南と西はリブルヌ市に囲まれています。AOCに含まれるのは、基本的にはポムロール村(コミューン)だけですが、リブルヌ市の一部や、ラランド・ド・ポムロール(Lalande-de-Pomerol)村内の特定の区画でも、1929年の裁判判決などの歴史的経緯により、AOCポムロールとしてワイン生産が可能です。
静かな集落です。隣接するサン・テミリオンに見られる華やかな市街地はなく、豪華なシャトー建築もわずかしかありません。ブドウ畑の中に農家や教会が点在するその景観は、他のボルドー地方内の高級ワイン産地とは違い、素朴な雰囲気に満ちています。
認定年と主要生産規則
AOCポムロールが正式に認められたのは、1936年です。生産規則はボルドー地方の中でも厳格で、テロワールの保護と品質維持に重点が置かれています。
生産可能色
赤ワインのみが認められています。AOCの規定により、白ブドウの栽培は事実上禁止されており、もし植栽されたとしても「AOCボルドー・ブラン」として瓶詰めしなければなりません。
植栽密度
最低でも1ヘクタールあたり5,500本と定められていますが、実際には多くのトップシャトーが8,000本程度、一部の区画では12,000本という高密度で植栽を行っています。
収穫量とアルコール度数
基本的な最大収穫量は49ヘクトリットル(hl)/ヘクタール(条件により60hlまで)で、最低アルコール度数は11%必要です。
環境規制
ポムロールの生産者団体は、2021年に化学的な除草剤の全面禁止に踏み切りました(これはフランスの全AOC内で初です)。環境に配慮した栽培への転換が急速に進んでいます。
主要ブドウ品種とスタイル
ポムロールは、世界で最も優れたメルロの産地(少なくともそのひとつ)として知られています。アペラシオン全体のおよそ80%をメルロが占め、次いでカベルネ・フランが約15%、カベルネ・ソーヴィニョンが約5%という構成です。近年の傾向としては、カベルネ・フランの植栽が増加しており、これは地球温暖化の結果、メルロが過熟状態になりやすくなった点が背景にあります(カベルネ・フランのほうが、メルロより熟しにくいため)。2009年からは、プティ・ヴェルド(Petit Verdot)の使用も認められるようになり、こちらも温暖化対策として活用が期待される品種です。

ポムロールのメルロの房 – ©David Carrero Fernández-Baillo
ポムロールのワインのスタイルは、ボルドー地方の中で最も「享楽的(ヘドニスティック)」かつ「肉感的(センシュアル)」であると評されます。メルロ主体のその赤は、深い色調を持ち、若いうちからブラックチェリーやプラムの豊潤な果実風味が特徴的です。熟成を経ると現われる、トリュフやスミレ、ジビエを想起させる複雑なニュアンスは、ポムロールの代名詞のように語られています。
ポムロールのワインは、メドックの赤が備える堅牢な骨格とは対照的に、絹のように滑らかなタンニンと、口の中を覆うリッチな口あたりが旗印です。しかし、単に柔らかいだけではありません。卓越したテロワールから生まれる銘柄には、強靭な体幹が備わっているので、数十年単位の長期熟成ポテンシャルを秘めています。
ポムロールでもうひとつ特筆すべきなのは、シャトーの規模の小ささでしょう。20ヘクタールを超える地所がある蔵は一握りで、小さければ面積は1桁の単位、コート・ドールの家族経営ドメーヌ並のスケールです。左岸に見られるような、壮麗なファサードをもつ建物も希です。この点が、ポムロールの銘醸に、いっそうの神秘性を与えている側面は否定できません。ボルドー地方では珍しく、「小さいのはよいこと」という価値観が働いています。
歴史
ポムロールでのブドウ栽培の起源は、ローマ時代にまで遡り、産地内からは当時の遺物も発見されてきました。
中世には、聖ヨハネ騎士団(後のマルタ騎士団)がこの地にホスピス(巡礼者用の宿舎や病院)を建設し、発展の礎となります。キリスト教の三大巡礼地のひとつ、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへと向かう巡礼者たちの重要な宿場町となり、騎士団は農業とともにブドウ栽培を推進しました。しかし、百年戦争(1339-1453)のあいだに、その畑は荒れ果ててしまい、ブドウが植え直されたのは15世紀から16世紀にかけてでした。
歴史は古いポムロールですが、名声を得たのは最近です。長らくポムロールは、東隣のサン・テミリオンの「衛星地区」のような扱いを受けており、20世紀初めになっても無名のままでした。当時の著名なイギリス人ワイン評論家ジョージ・セインツベリーの有名な著作(『Notes on a Cellar-book』/1920年出版)にも、その名は登場しません。
ポムロールの運命が劇的に変わったのは、第二次世界大戦後でした。1941年にペトリュスの所有権を手に入れたエドモンド・ルバ夫人(Madame Edmond Loubat)が、当時のニューヨークを代表する超一流レストラン「ル・パヴィヨン」に、己のワインを強烈に売り込んだのです。同店の独占販売になったペトリュスは、マンハッタンに暮らす上流階級のステイタス・シンボルとなり、メドックの五大シャトーと同水準の価格で売られるようになりました。1943年に、ルバ夫人からペトリュスの独占販売権を与えられたリブルヌのワイン商、ジャン・ピエール・ムエックス(Jean-Pierre Moueix)の一族も、重要な役割を果たします。ペトリュスを含むポムロール産の優れたワインたちを、ベルギーなどの新しい市場で広めたのです。後にムエックス家は、ペトリュスの所有権を手に入れ、今日に至っています。

古いヴィンテージのペトリュスのボトル。左端は1945年 © Frederik Vandaele
1980年代に入ると、絶大な影響力を誇ったアメリカ人ワイン評論家、ロバート・パーカーがル・パンを見出しました。これをきっかけに、ペトリュス以外の銘柄も、アメリカを筆頭とする国際市場で絶大な人気を博するようになります。ル・パンの初ヴィンテージ(1979)は、当時のヨーロッパ市場において、1本3,000円未満で売られていたそうですから、まさにシンデレラ・ストーリーだと言えましょう(現在のル・パンの国際市場価格は、税別60万円程度です)。
とはいえ、戦後のポムロールがずっと、順風満帆だったわけではありません。1956年2月に到来した、マイナス20℃を下回る激烈な大寒波により、ポムロールではブドウ樹が大量に凍死しました。ペトリュスでは、畑の3分の2が枯れてしまったそうです。その際の植え替えにあたって、多くの生産者が、カベルネ・フランからより熟しやすいメルロへと品種を変更したため、「メルロの聖地」へとポムロール変貌しました。ただ、上述のように現在また、気候変動対策でカベルネ・フランが復活しているのを目にすると、「時代は巡る」という言葉を思い浮かべずにいられません。
なぜポムロールには格付けがないのか?
ボルドーの他の主要産地(メドック、グラーヴ、サン・テミリオン、ソーテルヌ)には、制定年には大きな差があるものの、公的な格付けが存在します。しかし、ポムロールにはありません。
ポムロールでも、1943年に税務上のワイナリーの区分けが一旦なされましたが、1944年には早々と廃止されています。ポムロールは、いかに有名になったとて小農民の共同体で、分断をあおるような格付けに、村人たち自身が強く反対したようです。
今日、ポムロールのヒエラルキーを決定するのは、INAOなど公的機関による認定ではなく、純粋な「市場の評価」と「取引価格」です。公式な格付けという「制度」に縛られない自由な気風が、1980年代後半の「ガレージ・ワイン」のブームを生む土壌になったとも、考えられます。現在では、「格付けがない」という状況そのものが、ポムロールの神秘性と実力主義的な魅力を高める要素になっているとも言えるでしょう。
これから先も、ポムロールで公的な格付けが制定されはしないだろうと、識者たちは見ています。すでに名声を確立したシャトーにとっては、今さら格付けされたところで、得られる価値はほとんどありません。政治的な力が働いて、実力不足のシャトーが格付けされればラッキーですが、逆のパターンでは、選外になった有力シャトーは大変な損害を被ります。
2. ポムロールのテロワール
土壌の特徴
ポムロールの土壌を構成するのは、粘土、砂利、砂の3つの要素です。アペラシオン内のほぼすべてのシャトーが、これら3種の組み合わせを畑に保持しています。ポムロールのテロワールにおいて、粘土がもたらすのは力強さ、砂利がフィネス、砂が豊潤さです。
アペラシオンの中央から北東部にかけて広がる「高台」が、最高品質のブドウを生む心臓部とされています。ここは、標高が35〜40メートルあり、地質学的にはギュンツ氷期の堆積物に由来する砂利の層が、粘土層の上に重なっている形です。
特に有名なのが、ペトリュスの畑の中心部に見られる、「青い粘土(Boutonnière)」と呼ばれる特異な土です。4,000万年前の地層が隆起して、地表近くまで突き出した土壌で、膨潤性が非常に高く、冬に水分を蓄えて夏の乾燥からブドウを守る性質があります。この粘土こそが、ポムロール産のメルロに、強靭なタンニンと圧倒的な凝縮感を与える秘密のようです。
下層土に含まれる、鉄分を豊富に含んだ硬い粘土層は、「鉄の堆積物」を意味する言葉、「クラッセ・ド・フェール(Crasse de Fer)」と地元で呼ばれています。これが、独特のトリュフのような香りやミネラル感をもたらす源だと信じる生産者も少なくありません。
高台から、西や南に向かって標高が下がるにつれて砂質の割合が増え、より軽やかで早熟なスタイルのワインが生まれます。
気候の特徴
温暖な海洋性気候に属し、位置しているのは、ドルドーニュ川の支流が運んだ堆積デルタの上です。ボルドー地方の中でも最も温暖なスポットのひとつであり、ブドウの早期成熟が促されます。温暖化が進んだ近年はともかく、20世紀末までは、「ブドウが熟しやすい」のは大きな利点でした。
しかしながら、温暖な気候にはデメリットもあります。芽吹きが早くなるため、春の霜害には極めて脆弱です。特に、主要品種であるメルロは萌芽が早いため、1991年の春霜の際には、アペラシオン全体が壊滅的な減収に見舞われました。なお、1956年2月の記録的な大寒波の際にも、メルロはすでに樹液が動き始めていたせいで(前月の1月が暖かかったため)、枯れた木が一番多く出た品種になっています。

1月のポムロールのブドウ畑 ©Antoine Bertier
3. AOCポムロールの代表的シャトー紹介
ペトリュス(Petrus)
- 現在の所有者: ジャン・フランソワ・ムエックス
- ブドウ畑の面積: 11.5ヘクタール
- 品種構成: メルロ100%(かつてはごく狭い面積だけ、カベルネ・フランが植わっていたが、2010年の収穫後に引き抜かれた)
- 年間生産本数: 約36,000本
- セカンドワインの名前: なし
ポムロールの頂点に君臨するだけでなく、ボルドーで最も希少かつ高価なワインのひとつです。「シャトー」とは自らは名乗らず、単に「ペトリュス」とだけラベルに記しています。この銘柄が、ポムロール全体の威信をおおいに高める歴史的役割を果たしたのは、先に述べました。
ペトリュスのテロワールは唯一無二で、台地の最高部に位置する畑の約7割が、前述の「青い粘土」の地層の上にあるのが特徴です。この粘土がペトリュスのメルロに、強靭でありながら攻撃性のない、ベルベットのようなタンニンと圧倒的な凝縮感を与えます。力強さと優雅さが共存するそのスタイルは、ボルドーにおける「享楽(ヘドニズム)」の極致です。

1982年のペトリュスの瓶。伝説的ヴィンテージだが、贋作の数もまた伝説的 ©Tina – stock.adobe.com
今では世界中で一般化した、グリーン・ハーヴェスト(摘房)を、世界で最も早い時期(1973年)に行なったワイナリーのひとつという、逸話も有名です。当時のポムロールは、敬虔なキリスト教信者が多い村で、神の恵みである果実を自ら切り落とすのは、大変な冒涜だと受け取られる恐れがありました。村人の批判を恐れたムエックス家の人々は、夜の闇に紛れて作業を行ない、証拠隠滅のために落とした房を川に流したそうです。
それでも、ペトリュスは過熟ではなく、適熟をあくまで追求した生産者でした。1990年代から2000年代にかけて、ボルドー地方全体(あるいは世界全体)が、過熟なブドウを用いた濃厚なワインをせっせと仕込んでいた際も、ペトリュスは流行に乗らず、比較的アルコール度数の低い、エレガンスに満ちたスタイルにこだわり続けたのです。
ラフルール(Lafleur)
- 現在の所有者: バティスト&ジュリー・ギノドー
- ブドウ畑の面積: 4.5ヘクタール
- 品種構成: メルロ45%、カベルネ・フラン55%
- 年間生産本数: 約18,000本
- セカンドワインの名前: レ・パンセ・ド・ラフルール(Les Pensées de Lafleur)(※厳密にはセカンドではなく、異なる土壌の区画から造られる「もう一つのクリュ」とされる)
ペトリュスのすぐ隣に位置する、わずか4.5ヘクタールの小さなシャトーですが、その実力はペトリュスと並び称される存在です。1872年以来、この蔵を所有するギノドー家は、過度な抽出を避け、ブドウのエネルギーを「浸出(Infusion)」させるような伝統的な造りを守り続けています。超高価格帯のボルドー赤には珍しく、新樽の使用比率が低いです(通常20%程度)。
ポムロールとしては異例のカベルネ・フラン55%という比率が、このワインに独特の気品あるタッチを与えています。アルコール度数も控えめです。
このスタイルを守るため、2025年の収穫直前の8月、ラフルールは驚愕の声明を出しました。生産するワインのすべてを、当ヴィンテージ以降、ヴァン・ド・フランスの等級(フランスワインの法律上、最下層のクラス)で瓶詰めすると発表したのです。目的についてギノドー家は、「気候変動対策」とした上で、植樹密度の低減、土からの水分蒸発を防ぐためのマルチング(被覆)、樹冠の上に設置する日よけ、灌漑の実施といった、原産地呼称制度下では認められていない、さまざまな手段を講じるためだと説明しています。これらはすべて、ブドウの成熟速度を遅らせ、ラフルールのスタイルを守るための工夫です。格付けどころか、AOCすら捨ててしまったラフルールの決断に、追随するシャトーが出てくるか、世界が注視を続けています。
ル・パン(Le Pin)
- 現在の所有者: ジャック・ティアンポン
- ブドウ畑の面積: 2.7ヘクタール
- 品種構成: メルロ100%
- 年間生産本数: 約6,000本
- セカンドワインの名前: なし
1979年にジャック・ティアンポンが設立した、ガレージ・ワインの先駆けです。「ガレージ・ワイン(Vin de Garage)」という言葉自体、創業間もない頃のル・パンが、実際にガレージ用の建て物でワインを仕込んでいた事実から生まれています。畑はもともと、無名の小区画でしたが、ティアンポン家がその砂利質土壌の卓越性を見いだして、購入しました。蔵の名前は、畑のそばに立つ、一本の松の木(Pin)にちなみます。
ブドウ畑は台地の高い場所にあり、非常に水はけの良い砂利質土壌です。新樽を惜しみなく使い、小樽内でのマロラクティック発酵という技術の先駆けとなった蔵ですが、世間で想像されているほど、濃厚で重いワインではありません。エキゾチックで華やかなアロマと、クリーミーな口あたりが個性で、所有者自身は、「ペトリュスほどの重量感はないが、優雅さがある」と描写しています。
ブルゴーニュの小ドメーヌ並の生産規模のため、希少価値が生じ、値段の高さはペトリュスと並ぶ水準です。セカンドワインはありませんが、ごくごく少量、3つのヴィンテージのブレンドした、トリロジー(Trilogie)というキュヴェを生産しています。所有者のティエンポン家は、もともとベルギーを拠点とするネゴシアン(ワイン商)であるため、トリロジーはそのほとんどがベルギー市場へと輸出されていて、日本ではまず見かけません。
ラ・コンセイヤント(La Conseillante)
- 現在の所有者: ニコラ家
- ブドウ畑の面積: 12ヘクタール
- 品種構成: メルロ80%、カベルネ・フラン20%
- 年間生産本数: 約60,000本
- セカンドワインの名前: デュオ・ド・コンセイヤント(Duo de Conseillante)
1871年からニコラ家が所有し、ポムロールにおける「エレガンス」のベンチマークとして尊敬を集めるシャトーです。畑は、サン・テミリオンとの境界近く、シュヴァル・ブランのそばに位置しています。粘土質と砂利質が完璧に混ざり合った土壌には鉄分が豊富に含まれており、スミレやトリュフの官能的なアロマをもたらすようです。

©Jordi Muray – stock.adobe.com
2012年には最新鋭の円形醸造所が完成し、さらに精密な造りが可能となりました。絹のようなタンニン、爽やかなミントのニュアンス、華やかな果実風味が見事な調和を見せる赤ワインです。こちらも、力強さ・濃厚さを追い求める「一昔前の風潮」とは距離を置き、時代に流されずに独自のDNAを守り続けてきました。
トロタノワ(Trotanoy)
- 現在の所有者: ジャン・ピエール・ムエックス社
- ブドウ畑の面積: 7.2ヘクタール
- 品種構成: メルロ 90%、カベルネ・フラン10%
- 年間生産本数: 約40,000本
- セカンドワインの名前: エスペランス・ド・トロタノワ (Espérance de Trotanoy)
18世紀後半にはすでに高名になっていた、歴史あるシャトーです。1953年、ムエックスの一統に属する、ジャン・ピエール・ムエックスによって買収されました。シャトー名は、この地の土壌があまりに硬く、耕作するのが非常に困難であったため、地元で「悩みの種に過ぎる」という意味のフランス語、「トロ・アニュイ(Trop Ennuie)」と呼ばれていたのが由来です。
ブドウ畑は高台に位置し、半分が「黒い粘土」、もう半分が「砂利質粘土」という構成です。トロタノワを特徴づけるのが、熱を蓄えてくれる多くの砂利で、ポムロールの中でも最も力強く、骨格のしっかりしたワインが生まれます。1956年の大寒波の際、トロタノワでは、土壌由来の温暖な微気候のおかげで多くの古木が生き残りました。現在も、その貴重な樹が生産に貢献しています。

©Jordi Muray – stock.adobe.com
ジャン・ピエール・ムエックス社の前当主、クリスチャン・ムエックスは、トロタノワを「貧乏人のペトリュス」と自嘲的に呼びましたが、ふたつは異なる個性を持ちつつ並び立つワインです。同じムエックス家が所有するペトリュスと比較するなら、そちらがより「水平的」な広がりを持つのに対し、トロタノワは「垂直的」なワインだと、マスター・オブ・ワインのベンジャミン・ルーウィンは描写しました。姿形の近似から、「ポムロールのレオヴィル・ラス・カーズ」と呼ぶ人もいるようです。
セルタン・ド・メイ(Certan de May)
- 現在の所有者: ジャン・リュック・バロー
- ブドウ畑の面積: 5.5ヘクタール
- 品種構成: メルロ 70%、カベルネ・フラン 25%、カベルネ・ソーヴィニョン 5%
- 年間生産本数: 約24,000本
- セカンドワインの名前: なし(※本文中で「クロワ・ド・セルタン」に言及)
セルタン・ド・メイは、ヴュー・シャトー・セルタンと道を隔てて向かい合い、ル・パンにもほど近いという、ポムロールの高台で屈指の立地に畑を構えています。もともとはヴュー・シャトー・セルタンと同じ広大な所領の一部でしたが、1858年に分離独立しました。シャトー名の「メイ」は、16世紀のリブルヌに移住したスコットランドをルーツとする貴族、メイ家(de May)に由来します。現在の所有者であるバロー家は、1925年にシャトーを取得して以来、一貫して家族経営を続けてきました。流通については、ムエックス社が独占的に担当していますが、あくまでバロー家の独立したシャトーです。
ワインのスタイルは、ポムロールらしい肉厚なリッチさがありつつも、砂利質土壌に由来するフィネスと抑制された気品が際立ち、サン・テミリオンのトップ銘柄にも通じる優雅さを備えています。2005ヴィンテージあたりから品質の向上が目覚ましく、高台の中心部にあるシャトーの中で、「通好みの銘醸」としての評価を確立しました。ペトリュスで40ヴィンテージ以上(2007年まで)、仕込みを統括した伝説の醸造責任者、ジャン・クロード・ベルーエが、2012年からコンサルタントの職に就いています。
ラ・フルール・ドゲ(La Fleur de Gay)
- 現在の所有者: シャンタル・ルブルトン
- ブドウ畑の面積: 2ヘクタール
- 品種構成: メルロ 91%、カベルネ・フラン 9%
- 年間生産本数: 約7,000本
- セカンドワインの名前: なし
ラ・フルール・ド・ゲは、ポムロールの老舗シャトーである「ラ・クロワ・ド・ゲ」が、1982年から生産を開始したプレステージ・キュヴェです。ラ・クロワ・ド・ゲが所有する計10区画の畑の中から、特にテロワールが優れた3つの区画(ペトリュス、ラフルール、トロタノワにそれぞれ隣接)に植わる、古木のブドウのみを使用して造られます。3つの区画のうち、とりわけペトリュスに隣接する1ヘクタールの区画は同じ「青い粘土」で、もたらされるのは圧倒的な深みと力強さです。
徹底した選別と贅沢な醸造が、このキュヴェの特徴になります。発酵はコンクリートタンクを、熟成には100%の新樽を贅沢に使用(ただし、ヴィンテージにより比率は調整されます)。スタイルは非常に現代的かつ華やかです。生産量が極めて少なく、市場で見つけるのは困難ですが、ポムロールの贅沢な側面を象徴する、非常に純度の高い官能的なワインとして知られています。
レ・フルール・ペトリュス(La Fleur-Pétrus)
- 現在の所有者: ジャン・ピエール・ムエックス社
- ブドウ畑の面積: 18.7ヘクタール
- 品種構成: メルロ 91%、カベルネ・フラン 6%、プティ・ヴェルド 3%
- 年間生産本数: 約60,000本
- セカンドワインの名前: なし
ラ・フルール・ペトリュスは、その名が示す通り、名高いペトリュスとラフルールの畑に挟まれていて、ポムロール最高峰の立地を誇るシャトーです。リブルヌのワイン商ジャン・ピエール・ムエックスが、1950年代前半にポムロールで最初に購入した、記念すべき蔵でもあります。以前は、ムエックス家の所有する他のシャトー(ペトリュスやトロタノワ)の影に隠れがちでしたが、21世紀に大きな進化を遂げ、堂々たるトップ・クリュとしての地位を確立しました。

ラ・フルール・ペトリュスの門 ©mobilise248 – stock.adobe.com
躍進の背景には、テロワールの再編があります。1995年にル・ゲから4ヘクタールを、2005年から2012年にかけて隣接するシャトー・プロヴィダンスの畑を、さらに2009年にはシャトー・ギュイヨの優れた畑を吸収しました。結果として、現在のラ・フルール・ペトリュスは、「立て直された新しい建物近隣の軽い粘土質」、「ペトリュス近隣の重い粘土質」、「トロタノワ近隣の砂利質」という、高台上の異なる3つの卓越したテロワールの集合体となったのです。ワインは、絹のようなタンニンと重層的な黒系果実のアロマを持つ、大変に複雑な相貌だと評されています。
レグリーズ・クリネ(L’Église-Clinet)
- 現在の所有者: デュラントゥ家
- ブドウ畑の面積: 4.5ヘクタール
- 品種構成: メルロ85%、カベルネ・フラン14%、マルベック1%
- 年間生産本数: 約20,000本
- セカンドワインの名前: ラ・プティット・レグリーズ(La Petite Église)
シャトー・レグリーズ・クリネは、1882年に「クロ・レグリーズ(Clos l’Église)」と「シャトー・クリネ(Château Clinet)」の一部の区画を統合して誕生しました。1983年に、故ドゥニ・デュラントゥが経営を引き継ぐまでは、他の小作人の管理下にあった無名の蔵です。しかし、オーナー自身が醸造を手掛けるようになってから品質が劇的に向上し、現在では先頭グループの一角を占めるようになりました。ドゥニは2020年にこの世を去りましたが、現在は娘たちが遺志を継ぎ、一切の妥協がないワイン造りを続けています。
畑はポムロール高台の心臓部、村のランドマークである教会裏の墓地に隣接する、絶好の場所です。この畑は、1956年の大寒波の攻撃を奇跡的に免れたため、ポムロールでは珍しく、古樹が多く残っています。ドゥニは過熟なブドウを嫌い、ポムロールらしい肉厚さをある程度犠牲にしつつも、酸とタンニンの骨格を重視する伝統的な造りを貫きました。長期の瓶熟成で花開くワインです。
クリネ(Clinet)
- 現在の所有者: ラボルド家
- ブドウ畑の面積: 11ヘクタール
- 品種構成: メルロ 90%、カベルネ・ソーヴィニョン10%
- 年間生産本数: 約100,000本
- セカンドワインの名前: フルール・ド・クリネ(Fleur de Clinet)
シャトー・クリネは、ポムロールで最も古くから知られる地名のひとつです。1980年代後半、ジャン・ミッシェル・アルコートが経営権を握り、「ミスター・メルロ」として知られる超凄腕の醸造コンサルタント、ミシェル・ロランを雇っていた時代には、猛烈に凝縮した現代的な作風で一世を風靡しました。一時期、保険会社GANの所有下に入った後、1999年にラボルド家が買収、2003年からはロナン・ラボルドが指揮を執っています。
ブドウ畑は村の教会の近く、優れた砂利・粘土質土壌の上に広がっています。醸造面では、ミシェル・ロラン時代の強い抽出を避け、より精密なバランスを重視する表現形式へと変化を遂げました。なお、20世紀の前半、クリネはカベルネ・ソーヴィニョンが畑の半分を占める、ポムロールでは珍しい蔵でした。1956年の大寒波のあと、メルロへの大規模な改植がなされ、現所有者のロナンになってからも、さらにメルロが増えています。
レヴァンジル(L’Évangile)
- 現在の所有者: ドメーヌ・バロン・ド・ロートシルト(ラフィット)
- ブドウ畑の面積: 22ヘクタール
- 品種構成: メルロ 80%、カベルネ・フラン20%
- 年間生産本数: 約60,000本
- セカンドワインの名前: ブラゾン・ド・レヴァンジル(Blason de l’Évangile)
シャトー・レヴァンジルは、1741年まで遡る、長い歴史を持ちます。1862年から長らくデュカス家が所有していましたが、1990年にシャトー・ラフィット・ロートシルトを擁するドメーヌ・バロン・ド・ロートシルト社が株式を取得し、1999年に完全な所有権を得ました。ラフィットの技術と資本が投入され、畑の再編と、醸造所の建て直しや設備刷新が進んだ結果、名声がさらに高まっています。

レヴァンジルのコンクリート製発酵タンク ©Antoine Bertier.jpg
畑の土壌は、村境をまたいだ先のシュヴァル・ブランに似ていて、重い粘土の下層土の上に砂利質の表土が乗るという構成です。ラフィットの傘下に入った1990年代以降、新樽比率が引上げられ(70~100%)、樽熟成期間が短縮され、カベルネ・フランの比率が増えました。ポムロールの中で、最も早くブドウが熟する地所のひとつで、リッチで凝縮感に富んだワインが生まれます。
ヴュー・シャトー・セルタン(Vieux Château Certan)
- 現在の所有者: ティアンポン家
- ブドウ畑の面積: 14ヘクタール
- 品種構成: メルロ70%、カベルネ・フラン25%、カベルネ・ソーヴィニョン5%
- 年間生産本数: 約70,000本
- セカンドワインの名前: ラ・グラヴェット・ド・セルタン(La Gravette de Certan)
ヴュー・シャトー・セルタンは、16世紀に起源を持つポムロール最古のシャトーのひとつであり、1924年からベルギー出身のティアンポン家が所有しています(前述のル・パンも、ティアンポン家の所有です)。高い品質評価の割には穏当な値付けのシャトーで、一貫して蔵出しの値段が控えめに設定されています。背景にあるのはリアルな事情で、所有権が50名近い親族に分割されているため、配当を早く出す必要があって、とっととワインを売り払わねばならないのだそうです。
畑はポムロールの高台の最高部に位置し、一部はペトリュスと同じ「青い粘土」の地層ですが、区画数は全部で23もあり、その構成は極めて複雑です(土壌に合わせて3つの品種が緻密に植え分けられています)。カベルネ系ブドウの比率がポムロールとしては高く、強い骨格が前に出た佇まいのワインです。
4. ポムロールのまとめ
ポムロールは、ボルドー地方の中で最も不思議な地域だと言えます。公式な格付けという「権威」を持たず、壮麗なシャトー建築も少ないこの地が、なぜこれほどまでに世界中の愛好家たちを惹きつけるのでしょうか。答えは、特有の「青い粘土」や「クラッセ・ド・フェール」を含む、魔法のようなテロワールにあると言わざるをえません。
古典品種あるいは高貴品種を、その品質ポテンシャルで選ぶ際、いつもメルロは四番手に来ます(カベルネ・ソーヴィニョン、ピノ・ノワール、シラーのあと)。しかし、メルロの精髄であるポムロールの銘醸たちは、上位の三品種のどんなワインにも負けません。気候変動が加速するなか、早熟なメルロをポムロールで栽培するのは、日に日に困難を伴うようになってきました。それでも、造り手たちは、当地のアイデンティティと不可分なこの品種を大切に抱えています。至上の「適地適品種」の産物たる壮麗な赤ワインは、これからも生まれ続けるでしょうし、ポムロールの名が無名の淵へと再び落ちるような事態は、決して起こりえないないでしょう。トップの銘柄は、おいそれと買える値段ではありませんが、死ぬまでに一度は味わっておくべきワインたちです。






