あの人のワイン人生 vol.23 ~ 相馬耕三さん「76歳でソムリエに」

「このまま、ワインの知識がないまま死んでいくのは嫌だったんです。」そう静かに語る相馬耕三さん。戦後の混乱期を生き抜き、国際不動産の最前線で活躍し、76歳でソムリエ資格を取得。現在は、香港出身のパートナーとともに香港料理店「真不同」の共同オーナーとしても活動されています。相馬さんがソムリエ資格を取得されるまでの歩みをお伺いしました。

本記事は、ワインスクール「アカデミー・デュ・ヴァン」が監修しています。ワインを通じて人生が豊かになるよう、ワインのコラムをお届けしています。メールマガジン登録で最新の有料記事が無料で閲覧できます。


【目次】
1. 母不在の幼少期
2. 母が帰ってきて
3. 不動産との出会い
4. ワインとの出会い ~ アメリカ時代
5. 75歳、未知の世界へ
6. 76歳の挑戦、壁は「記憶力」
7. 人生最大のピンチを救った「店長の機転」
8. 頑張れば、年齢なんて関係ない
8. まだまだ知らないことばかり、だから人生は面白い
8. 小さい頃の寂しさを「力」に変えて
8. 60代、70代こそ、ワインスクールへ


1. 母不在の幼少期

1943年、別荘として建てられた鎌倉の家で5人兄弟の末っ子として生まれました。明治時代より北海道の大地主であった先祖と祖父のおかげで、家柄としては恵まれていました。しかし戦後まもなく、過酷な財産税と父の破天荒な浪費で、財産の多くを失ってしまいました。

母は肺結核を患い、私は1450gと小さく生まれました。4歳で母は重い結核にかかり、8年間入院生活を送ることになります。だから中学1年の3学期まで、母とは全く会ったことがなかったんです。

なぜ母が居ないのか理由を知りませんでした。そのため周りからはいろいろ言われ、いじめにもあいました。いつしか、寂しさや辛さを埋めるためにやんちゃになって、ご近所にご迷惑をかけることも…。当然、予習復習は一度もしたことがなく、小学校時代は成績も振るいませんでした。

2. 母が帰ってきて

転機は母の帰宅です。大手術で肺の9割を切除し、奇跡的に生還したのです。駅まで迎えに行き、手をつないで帰ったのですが、途中で母が涙をながしたのです。再会を喜んでくれたのだと思っていたら違いました。兄に「お前がやんちゃで不良少年だから泣いていたんだ」と言われたのです。この時、はっと我に返りました。それから、母を喜ばせたい。その一心で勉強を始めたのです。「勉強すれば母が喜ぶ」それだけでした。

その甲斐あって、中学2年生からの成績は急上昇。あまりに急だったため、教師にカンニングを疑われ、職員室で再試験を受けさせられたこともあります。その後、県立鎌倉高校、そして慶應義塾大学へ入学することができました。

人生のどん底を体験しているから、逆境に強いんです。嫌なことがあっても、「どん底の下はない。すべての体験は将来の勉強になるぞ」と自分に言い聞かせることができました。

3. 不動産との出会い

大学時代、家計に余裕がありませんでした。家を助け、授業料を自分で払うため、宅建の資格を大学2年生で取得、さらに不動産鑑定士の資格勉強をしていました。毎年、夏休みのたびに北海道に出かけ、父親が所有していた借地人に長屋の底地を売却する交渉を行いました。

これが難しい交渉でしたが、上手くいき面白かったのです。知識をつけると、交渉がうまくいく。売れる。自信がつく。努力が結果に直結する世界で、どんどん引き込まれていきました。三菱信託銀行を就職先として選んだのも自然の流れでした。入行後は不動産部で経験を積み、34歳のときロサンゼルス支店へ配属されることになったのです。

4. ワインとの出会い ~ アメリカ時代

カリフォルニアでは国際融資を担当し、外国人との会食が続きます。そこでワインが必ず出てくるのです。「ビジネスにワインはつきもの」とすぐに気が付きました。

アメリカで驚いたのは、パーティー文化でした。仲良くなると、すぐに自宅に呼ばれるんです。そして、だいたい皆さんワインを持ってくる。「今日持ってきたのはジンファンデルよ」「これはナパのこの畑のものなんだ」なんて、当たり前のように語り出すんです。でも、そうした場では、ワインは単なる飲み物ではなく、会話の中心でした。ワインがあると、みんなが語り出す。土地の話、畑の話、家族の話。ワインは人と人をつなぐお酒なのです。

最初は焦りました。当時の日本では高いボルドーを頼めばいい、「どうせ会社のお金だし」なんて時代でした。でもアメリカは違う。理由が必要なんです。なぜその品種なのか。なぜその産地なのか。料理とどう合うのか。

そこから独学で勉強を始めました。本を読み、質問をし、ナパへ足を運び始めたのです。「ナイスガイ」と認められなければ、ビジネスはしてもらえない。食事もワインも含めて人格が見られる。ワインは単なる嗜好品ではなく、信頼の言語でした。やがてワインは、ビジネスの潤滑油であり、自分自身を磨く道具にもなっていきます。

47歳でニューヨークへ。社長・会長を務め、50歳で独立。辞めたら、今度は自分が接待する側です。ワインを知らなければ話にならない。ワインは、いつしかキャリアの一部になっていったのです。銀行を独立して30余年、不動産コンサルティングの仕事を、お客様とワインと食事を楽しみながら無事仕事を軌道に乗せることができました。

5. 75歳、未知の世界へ

「このままワインを深く知らないまま人生を終えるのは、なんだか嫌だな」。ふとそう思ったのがきっかけで、75歳のときにアカデミー・デュ・ヴァンの門を叩きました。

最初はStep-Ⅰを受講しただけで、資格なんてこれっぽっちも考えていなかったんです。でも、あるとき知人に言われた一言が火をつけました。「名前を覚えるの、弱いんじゃない?」これが、正直ショックで(笑)。

「よし、それなら本気でやってやろうじゃないか」って。 いざ始めてみれば、ワインの背景にある語学、歴史、地理……フランス、イタリア、ドイツと、世界が広がる感覚がたまらなく楽しかったです。

6. 76歳の挑戦、壁は「記憶力」

そして76歳の時、私はソムリエ試験に挑むことにしました。 ところが、暗記がとにかく過酷で。高校時代の2倍努力しても、右から左へ抜けていく。

なりふり構っていられませんでした。トイレの壁から天井まで、家中に地図を貼りまくりました。娘には「家が汚くなる」と敬遠され、孫には「これ何?」と不思議がられました。でも、「一緒に勉強しようね」と誘ったら、孫が喜んで横でノートを広げてくれるようになったんです。

妻も最高の協力者です。試験官役になってくれたのです。「今日は熟成したワインをいただきたいのだけれど」なんて、厳しいリクエストを投げてくれる(笑)。最初は不思議がっていた娘もどんどん応援してくれるようになり、家じゅうが良いムードになるのを日々感じました。家族の支えがなければ、あの日々は乗り越えられませんでした。

7. 人生最大のピンチを救った「店長の機転」

試験の中で、今でも一番鮮明に覚えているのが三次試験の6分間の実技です。 周りは現役の客室乗務員の方ばかりで、彼女たちの動きといったら本当に速い。流れるようにテキパキと課題を終えていくんです。気がつけば私一人が最後に取り残され、すっかりあたふたしてしまいました。

あろうことか、テイスティンググラスを片付け忘れてしまったんですね。 ふと見ると、試験官の女性が目で何かを訴えかけている。「あっ、グラスだ!」と気づいたときは血の気が引く思いでした。

慌ててグラスを下げましたが、このまま終わるわけにはいかない。とっさに「大変失礼いたしました。実は私がこの店の店長でございます。本日はお詫びに、このワイン以上に素晴らしいものを、店長の責任でもう1本ご馳走させていただきます」とアドリブで付け加えたのです。

すると、それまで試験官の方の表情がふっと緩んで、優しく微笑んでくれたんです。あの瞬間の安堵感は、今でも忘れられません。

8. 頑張れば、年齢なんて関係ない

結果は、見事「合格」。ホームページで自分の番号を見つけたときは、飛び上がるほど嬉しかった。 「そうか、必死に頑張れば、年に関係なく合格できるんだ」と、自分自身を誇らしく思えた瞬間でした。

妻に報告すると、「やっぱり、あなたの努力の甲斐があったわね」と一緒に喜んでくれました。家中に地図を貼って戦ったあの日々が、報われた気がしたんです。

8. まだまだ知らないことばかり、だから人生は面白い

実は私、小中学校時代に歴史の勉強不足ですっぽり抜けていましてね(笑)。戦国時代も世界史も、恥ずかしながら知らないことばかりなんです。でも、だからこそ「大事なことを知らないまま死ぬのは嫌だ」という気持ちが人一倍強いのかもしれません。

今は国内外のワイナリーを巡りながら、その土地の歴史を学び直しています。フランスではボルドーやブルゴーニュを20キロも歩き、シャンパーニュへも一人で乗り込みました。オーストラリアにはよく通っていますが、これからはニュージーランドや、クロアチア、ハンガリーにも足を運びたい。

今は忙しいですが、自分に人生のご褒美としてチリやアルゼンチン、東欧、南アフリカなどの旅も計画中です。やりたいことは目白押しですよ。

8. 小さい頃の寂しさを「力」に変えて

こうして精力的に動いているのには、ほかの理由もあります。 母が闘病で不在だった8年間、寂しさを埋めるように、かつて少しやんちゃだった自分なりの「罪滅ぼし」として、ボランティア活動にも力を入れています。 地震の被災地支援や、母子家庭へのサポート。いつかはウクライナへも力になりに行きたい。ワインで得たエネルギーを、誰かのために還元したいと思っているんです。

8. 60代、70代こそ、ワインスクールへ

ワインを学ぶことは、歴史や文化など、あらゆる方面の知識を深めるきっかけになります。そして何より、「最高の仲間」ができます。

正直、ワインは他のお酒に比べれば安くはありません。でも、だからこそ「高くてもそれだけの価値がある」と理解している、洗練された品のある方々が集まる場所なんです。そんな方々と交われるのが、ワインスクールの醍醐味ですね。

だからこそ、私は60代、70代の方にこそスクールをおすすめしたい。ご夫婦で通うのもいいし、自分へのご褒美でもいい。家に閉じこもっていないで、一歩外へ出てスクールに来てみてください。きっと、新しいことへの「意欲」が湧いてくるはずです。

何よりもワインスクールで学ぶことは、今、急激に増えている認知症対策に催行の勉強と思われ、若い頃に学んだ語学の復習にもってこいです。


「知らないまま死ぬのは嫌だ」という渇望を力に変え、70代にして新たな扉を開いた相馬さん。その瞳は、次に訪れる異国の地と、そこで出会うであろう新しい知識への期待に満ちていました。

豊かな人生を、ワインとともに

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世界的に高名なワイン評論家スティーヴン・スパリュアはパリで1972年にワインスクールを立ち上げました。そのスタイルを受け継ぎ、1987年、日本初のワインスクールとしてアカデミー・デュ・ヴァンが開校しました。

シーズンごとに開講されるワインの講座数は150以上。初心者からプロフェッショナルまで、ワインや酒、食文化の好奇心を満たす多彩な講座をご用意しています。

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