あの人のワイン人生 vol.20 ~ 前澤由希子さん「イタリアの家庭料理に魅せられて」

イタリアの食卓には、人を笑顔にする明るさがあります。色彩豊かな食材、素材の持ち味をまっすぐに生かす調理法、そしてどこか包み込むようなおおらかさ。
その空気感を日本で再現してきた人がいます。料理家の前澤由希子さんです。前澤さんは、25年以上にわたりイタリアの家庭料理の魅力を教室という空間で伝え続けてきました。一見、眩いばかりの経歴の前澤さんにも、迷いや焦り、ときに立ち止まるような葛藤もありました。

本記事は、ワインスクール「アカデミー・デュ・ヴァン」が監修しています。ワインを通じて人生が豊かになるよう、ワインのコラムをお届けしています。メールマガジン登録で最新の有料記事が無料で閲覧できます。


【目次】
1. 褒められるほどにイタリアへ一直線
2. ホームステイで一気にイタリア熱が加速/a>
3. 最大のハードルは夫の説得
4. シエナで過ごした日々 良いことも悪いことも宝物に
5. 20州を旅しながら見つけた、自分のスタイル
6. 公民館から始まった、小さな教室
7. SNS時代到来 焦りと落ち込み
8. アカデミー・デュ・ヴァンもイタリア講座から
9. カルボナーラ・コンテスト優勝という転機
10. 10年後も変わらず続ける
11. もう一つの夢


1. 褒められるほどにイタリアへ一直線

子どもの頃から料理が好きでした。料理上手だった母と一緒に、本を開きながらパンをこねたりクッキーを焼いたり。社会人になってからもその勢いは止まりません。和食はもちろん、中国、モロッコ、メキシコなど、気になる料理は片っ端から学びました。24歳で働きながら調理師免許を取ったのも、当然の流れだったのかもしれません。

ただ、懐石やフレンチは意外とサイエンスの要素が強くて、細かい。実は先生に注意されることも多く、「自分には合わないかも」と思うことも。その点、イタリア料理はおおらかで、少しくらい違うことをしても先生が笑って褒めてくれる。これが嬉しくて、ますます夢中になりました。もちろん、おいしいというのが一番の理由ですが。

結婚してからイタリアに9日間のホームステイを決めたのも、この体験が背中を押してくれたからです。

2. ホームステイで一気にイタリア熱が加速

9日間のホームステイでは、イタリア料理はもちろん、文化や風土そのものにますます魅せられました。何よりも、イタリア人マンマの楽しい料理の教え方に衝撃を受けたのです。日本の教室のような「先生と生徒」という関係の料理教室よりも、親しい友人を家に招いて一緒に楽しく料理を作るような雰囲気で、途中でワインを開けて乾杯したり、揚げ物はそのまま手でつまんで食べながら続きを作ったり、それまで経験したことのない環境でした。そんなスタイルで、いつかは私も一緒に楽しく料理を作る空間を作りたいと思うようになったのです。

人生を変えた最初の9日間のホームステイ。先生とは家族ぐるみの交流が続いている

人生を変えた最初の9日間のホームステイ。先生とは家族ぐるみの交流が続いている

当時はイタリア語も入門レベルでしたが、現地の人たちが本当に褒め上手で、「こっちに住めばすぐペラペラになるよ」と言ってくれるんです。その言葉も妙に胸に響いて、帰りの飛行機の中では「もう会社を辞めて料理と語学の留学をするしかない」と心が決まっていました。

3. 最大のハードルは夫の説得

帰国後の最大の課題が「どうやって夫を説得するか」です。ここが難関でした。案の定、帰国して相談したら「そんなの無理だよ」と即否定。ただ、それも想定内。そこからは作戦開始です。まずはイタリア語を必死に勉強している姿を毎日見せること。さらに食事は、連日、全力のイタリア家庭料理。「おいしい」を連呼させるまで粘り続けました。

そして3カ月ほどたった頃、ようやく夫が折れてくれて「行ってきてもいいよ」と言ってくれたのです。きっと「ここで許可を出さなかったら、一生恨まれる」、そんな風に思われるくらいの気迫があったのかもしれません(笑)。

4. シエナで過ごした日々 良いことも悪いことも宝物に

2000年、トスカーナ州シエナに留学し、「ダンテ・アリギエーリ」という料理の学校に通いましたマンマたちから習う家庭料理がおいしくて、さらに魅了されていきました。レストランの洗練された料理よりも、家庭で受け継がれてきた素朴で力強い一皿に心が動かされました。

もちろん、日常では良いことばかりではありませんでした。留学の初期、アジア人だからと少年に小石を投げられたことがあって、言い返す言葉も出ず、不安と悔しさで気持ちが沈みました。その気持ちのまま主人に電話したら、まさかの大爆笑。「小石でよかったじゃない。命にかかわることじゃなくてよかったよ」と言われて拍子抜けしました。その瞬間、ふっと心が軽くなり「ああ、そうか。次はイタリア語で言い返せるようになればいいんだ」と切り替えられたんです。そこからはもう必死で勉強しました。

実際、1か月の滞在や旅行では見えないことが、3か月以上いると見えてきます。楽しいことだけではなく、文化の違いによる戸惑いや壁にも何度もぶつかりました。
それでも、私はイタリアを学び、感じ、好きになる努力を少しずつ積み重ねていきました。良いことも悪いことも含めて、全部を受けとめながら過ごした1年でした。

留学初期、ボローニャのホームステイ先のマンマと

留学初期、ボローニャのホームステイ先のマンマと

5. 20州を旅しながら見つけた、自分のスタイル

1年間の留学を終えて帰国したあと、思いがけない出来事がありました。通っていた学校から「通訳兼アシスタントとして来ないか」と声をかけていただいたのです。あのときの驚きと嬉しさは、今でもはっきり覚えています。アシスタントとして認められた経験は、大きな自信につながりました。

それからも私はイタリアに通い続けています。年に2、3回は行っていますし、2~3週間の滞在を重ねるうちに、気づけば一年のうち2か月ほどはイタリアにいる計算になります。20州すべてに足を運び、どれくらい訪れたかは正直もう数えられません。
滞在中はチーズ工房、ハム工場、塩田、ワイナリーなど、食文化の源に触れられる場所を必ず訪ねました。そこには必ず背景があり、物語があり、作り手の誇りがあります。

普段、教室で料理をお伝えするときに、その土地の話を欠かさないのは、その物語まで届けたいからです。料理はレシピだけでなく、土地の風、歴史、暮らしと深くつながっていると、何度イタリアに通っても実感します。

2002年、シエナの学校のアシスタント時代

2002年、シエナの学校のアシスタント時代

6. 公民館から始まった、小さな教室

25年前、私の料理教室は近所の公民館で月に数回開く小さなクラスから始まりました。
300枚のチラシをポスティングして、来てくれたのはたった2人。集客の難しさを実感しました。
そんな私を見て、知人が「市内報に載せてみたら」と勧めてくれたんです。そのおかげで14名ほど一気に集まり、そこでやっと光が見えました。

その後、結婚してから留学したという経緯が珍しかったこともあり、雑誌などのメディアに取り上げていただく機会も増え、教室は少しずつ育っていきました。やがて、自宅でも開けるようになり、コロナ禍も乗り越え、ここまで続けてこられました。

7. SNS時代到来、焦りと落ち込み

ただ、物事はいつも順調というわけではありません。SNSの時代が訪れた頃、他の教室と自分を比べてしまい、焦りを感じる日もありました。「もっと豪華な料理を作らなきゃ」、「もっと映える写真を撮らなきゃ」。そう思えば思うほど、自分の料理が地味に見えて落ち込むこともありました。

けれど、イタリアで出会った家庭料理は、決して派手ではないのに心からおいしくて、滋味深くて、その土地の記憶がぎゅっと詰まっています。派手さよりも本質が大切だと教えてくれたのは、イタリアで食べた料理たちでした。

何より励みになったのは、生徒さんたちの言葉です。「先生のところで習えば、味に間違いはない」と言ってもらえたとき、ああ、このままでいいんだと力が湧きました。その言葉に支えられて、今日まで続けてこられたのだと思います。

8. アカデミー・デュ・ヴァンもイタリア講座から

アカデミー・デュ・ヴァンに通うきっかけになったのは、イタリアを徹底的に掘り下げるクラスでした。料理とワインは一つの世界でつながっているので、私の教室でもイタリアワインのことをもっとしっかり伝えたいと思っていたのです。

ところが、そのクラスで講師が「これはボルドーの右岸的な味わい」「左岸的なスタイル」とさらりと説明し、私は軽いカルチャーショックを受けたのです。自分はイタリアワインならある程度わかっていると思っていたのですが、ワインの世界はもっと広く、深く、体系立てて理解する必要があるのだと気づかされた瞬間でした。

イタリアワインをより深く知るためには、まずフランスを含めて世界のワインを俯瞰することが必要だと思ったのです。子育ても落ち着いた段階で、Step-Ⅰ、そしてソムリエやワインエキスパート試験対策講座を受講することにしたのです。
アカデミー・デュ・ヴァンで出会った仲間たちとは今も深い関係で、何度か一緒にイタリアへ行ったほどです。ワインを学ぶという共通点があるだけで、こんなにも強い縁が生まれるのだと実感しています。

アカデミー・デュ・ヴァンでできた友人たちと

アカデミー・デュ・ヴァンでできた友人たちと

9. カルボナーラ・コンテスト優勝という転機

2023年、インスタグラムでたまたま見つけた「カルボナーラ・コンテスト」。「ちょっと面白そうだ」と、その程度の動機で、なんとなく挑戦してみたんです。

ところが、審査員の出身地を知ってから、私の頭の中で作戦スイッチが入りました。
審査員の一人がカラブリア出身だと分かったので、あえてカラブリアの食材「ンドゥイヤ」という辛みの強いソーセージペーストをアクセントに使ってみることにしたんです。結果は優勝。まさかの展開に、自分が一番びっくりしましたが、自分の足で20州を巡り、イタリア各地の郷土食材を知っていることが強みになったと思いました。
優勝者には、イタリア大使館で大使の前でカルボナーラをつくるという特別な機会が与えられます。大使館の厨房で料理をさせていただくなんて、まさに名誉そのもの。あの日は、積み重ねてきた小さな自信がそっと形になったような、そんな不思議な実感がありました。

カルボナーラ・コンテスト優勝後、駐日イタリア大使と

カルボナーラ・コンテスト優勝後、駐日イタリア大使と

10. 10年後も変わらず続ける

10年後も変わらず、私はイタリアの家庭料理の魅力を伝えていたいと思っています。
生徒さんが私の教室で学んだ料理を家で作り、ご家族が「おいしい」と喜んでくれたと聞く瞬間が、本当にうれしいんです。料理が人から人へ伝わっていくあの感じが、何よりも励みになります。

今、特に力を入れているのが、イタリア20州の家庭料理を網羅するコースです。各州の料理だけではなく、合わせるワインも丁寧にご紹介しています。修了後は当教室のレシピを使って、生徒さんが講師になって教室を開くこともできます。ここから新しい仲間が生まれていくのが楽しみです。
料理とともに、もっとイタリアワインの魅力も広めていきたいと考えています。

11. もう一つの夢

そして、もう一つ大きな目標があります。イタリア20州の家庭料理を一冊の本にまとめたいという思いです。
その土地のエピソードや、合わせるワインの話も盛り込みながら、できるだけ家庭的な雰囲気を大切にしたい。シェフが出すような本ではなく、実際に現地で作られている等身大の料理を紹介したいんです。教科書のように構えるのではなく、時には単なる炒め物のような、素朴だけれど愛されている一皿も載せたいと思っています。

現地の人たちは、私たちが想像するより自由に組み合わせを楽しんでいます。例えば、日本では「バーニャカウダにガヴィを合わせる」と教科書的には語られますが、ピエモンテの家庭ではバルベーラを合わせることが多いのです。こうした「現地感」を届けることで、イタリア料理とワインの世界をもっと身近に感じてもらえたらうれしいです。


前澤由希子さんの語りには、行動力と静かに積み重ねてきた時間を感じさせます。イタリアの家庭料理を愛し、土地を歩き、つくり手に会い、生徒と向き合い続ける姿勢は、イタリアのマンマたちのたくましさと優しさそのものではないでしょうか。

プロフィール

前澤由希子(まえざわゆきこ)

ブログ「ユキキーナのイタリア料理教室」
Instagram@yukikinam

  • 星座:みずがめ座
  • 血液型:O型
  • ワイン以外の趣味:海外旅行
  • 好きな食べ物:実は納豆ごはん
  • もし生まれ変わったら何になりたい?: また自分がいいです。
  • 酔っぱらったらどうなる?:寝ます。
  • 人生を変えたワイン:ジュヴレ・シャンベルタン

豊かな人生を、ワインとともに

(ワインスクール無料体験のご案内)

世界的に高名なワイン評論家スティーヴン・スパリュアはパリで1972年にワインスクールを立ち上げました。そのスタイルを受け継ぎ、1987年、日本初のワインスクールとしてアカデミー・デュ・ヴァンが開校しました。

シーズンごとに開講されるワインの講座数は150以上。初心者からプロフェッショナルまで、ワインや酒、食文化の好奇心を満たす多彩な講座をご用意しています。

ワインスクール
アカデミー・デュ・ヴァン