ドイツワイン ~ ゆるりと学ぼう!vol.1 おさえておきたい品種と産地

ドイツワインと言えば、ソムリエ、ワインエキスパートの有資格者でも、試験勉強に苦労したという方が多数おられるのではないでしょうか?最近、レストランや、ワインショップに行ってもドイツワインが目立たないことも多いですね。その割には、憶えないとならない知識や規則も結構ありますよね。苦手意識を持ってしまいがち。今回は、ゆるりと気負わずに、のんびりドイツワインの魅力を再発見していきましょう。

本記事は、ワインスクール「アカデミー・デュ・ヴァン」が監修しています。ワインを通じて人生が豊かになるよう、ワインのコラムをお届けしています。メールマガジン登録で最新の有料記事が無料で閲覧できます。


【目次】
1.  むずかしくない!ドイツワインは有名なブドウ品種ばかり
 ● リースリング
 ● ピノ・ノワール
 ● ミュラー・トゥルガウ
 ● その他のブドウ品種
2. 代表品種で見ていく~押さえておきたいワイン産地
 ● リースリングの産地
 ● ミュラー・トゥルガウの産地
 ● ピノ・ノワールの産地
 ● シルヴァーナーの産地


ドイツのブドウ栽培面積は、1980年代からほとんど変わらず、10万ヘクタールで安定しています。安定と言えば聞こえは良いのですが、2000年には6位だったワイン生産量は、2014年には10位に転落。アルゼンチンや南アフリカ、オーストラリアやチリといった新世界のダイナミックなワイン産地に、いつのまにか追い越されてしまいました。ドイツと同じ旧世界の産地でも、フランス、イタリア、スペインはいずれもまだまだトップ集団を堅持しているのですが。

ドイツワインの伸び悩みには様々な理由があります。その一つの海外市場での存在感の低下には、辛口ワイン主流の市場トレンド、そして時流に合わなくなってきたドイツのワイン法の問題があります。もちろん、そもそもドイツ語の読み方が簡単では無いという、どうにも仕方がないハードルも。

今回は、私達も良く知るブドウ品種を切り口に、ドイツワインの扉をひらきましょう。

1. むずかしくない!ドイツワインは有名なブドウ品種ばかり

リースリング

皆さんも良くご存じのキリっとした酸を持つ白ブドウ品種。リースリングの生まれ故郷はドイツのラインガウ辺りではないかと考えられています。

芽吹きが遅い割には比較的早熟で、寒さにとても強いところと、収量が上がっても品質が急激に落ちることが無いのは強みです。房がコンパクトなので、灰色カビ病には掛かりやすいですが、上手く管理する事で、貴腐菌として甘口ワイン造りで活躍します。

世界首位の2万4千ヘクタールほどのドイツでの栽培面積は、全世界の約4割を占めます。2017年OIVのデータでは、ドイツの栽培面積の25パーセントほど。白ブドウ、黒ブドウ含めて、最大品種です。

リースリングについては、詳しい解説記事がありますので、こちらもご覧ください。

ピノ・ノワール

ドイツでの、ピノ・ノワールの名前は、シュペートブルグンダー (Spatburgunder)です。文字通りの訳は、成熟が遅いブルゴーニュ。ドイツでは黒ブドウ品種が意外にも34パーセントも栽培されていますが、その内の最大品種がこのピノ・ノワール。さらに意外にも、フランス、米国に次ぐ世界第3位の栽培面積を有しています。

一昔前は、樹勢が強く、かび病にも弱く、粒が大きく果皮が薄いという、品質的には今一つの状況でした。しかし、1990年代には、フランスの有名なディジョン・クローンを導入。ドイツ産のクローンでも、バラ房でかび病の被害を受けにくい、新しく開発されたクローンが登場し、品質の高いワインを造る環境が整ってきました。

ピノ・ノワールについては、詳しい解説記事がありますので、こちらもご覧ください。

ミュラー・トゥルガウ

別名リヴァーナーとも呼ばれる白ブドウ品種。栽培面積第2位のこの品種は、リースリングとマドレーヌ・ロワイアルの交配品種です。当初は、リースリングとジルヴァーナーの交配と誤って登録されて、後に訂正されました。マドレーヌ・ロワイアルは、DNA研究の結果、ピノとスキアヴァ・グロッサの自然交配品種であることが比較的最近、解明されました。酸は控えめで、早熟で飲みやすいワインになります。収量は高く安定していて、馬車馬の様な働きぶりを見せてくれます。

ニュージーランドでも、ソーヴィニョン・ブランへ改植が進む前迄は、盛大に栽培されていたブドウ品種です。

その他のブドウ品種

上位3品種を除けば、残りの品種はいずれも栽培面積10パーセントに満たないものばかり。

白ブドウから見ていくと、先ずはフランスではピノ・グリと呼ばれている、グラウブルグンダー(Grauburgunder)。文字通り訳せば、灰色のブルゴーニュ。グリ系の果皮の色を持った、ピノ・ノワールの変異種です。アルザスから来たシトー派修道士から伝わったとも言われています。バーデンが最大産地。

白いブルゴーニュという名前のヴァイス・ブルグンダー(Weissburgunder)。ピノ・ブランのことです。ニュートラル品種で、古くはシャルドネと間違えられていたこともあります。ピノ・グリの変異種と考えられています。

食事に合わせやすいと評される、爽やかな味わいの、シルヴァーナー(Silvaner)。今では栽培面積は5パーセント弱と減少しましたが、ドイツの最大栽培品種だったこともあります。

黒ブドウ栽培面積第2位は、1955年に生まれた交配品種のドルンフェルダー(Dornfelder)。色合いは濃くて、収量が高く、病気にも強いので、生産者にとっては育てやすい品種です。栽培面積は過去40年で60倍と大きく伸びています。

他方、続くポルトギーザー(Portugieser)は、栽培面積を大きく落としています。淡くて軽いワインが典型的です。その名前よりポルトガルから伝わったという説もありますが、オーストリア発祥説が有力です。

2.代表品種で見ていく~押さえておきたいワイン産地

リースリングの産地

ドイツは、北緯52度にも及ぶ冷涼産地。栽培可能地域の北限と言われてきました。アメリンとウィンクラーの気候区分ではドイツのモーゼルやラインガウは、Region-Iに分類されます。シャンパーニュやタスマニア等と同じ、最も冷涼な産地に属します。EUの栽培地域分類では、バーデンを除けばドイツの産地は、シャンパーニュやロワールよりも更に寒冷なゾーンAに分類されます。この冷涼な大陸性気候のドイツで、リースリングはまさに本領発揮。持てる力が余すことなく引き出されます。

モーゼル

モーゼルのブドウ畑

モーゼルはドイツ13の「生産地域」の人気筆頭。最初から舌を噛んでしまいそうな名前ですが、この「生産地域」は、ベシュティムテ・アンバウゲビーテ(Bestimmte Anbaugebiete)と呼ばれます。

このモーゼルが例えばフランスで言えばブルゴーニュとすれば、コート・ドールやコート・シャロネーズと言った区分に相当するのは、ベライヒ(Bereiche)と呼ばれる地区。そして、ブルゴーニュで言えば、ヴィラージュ(村)に当たるのがゲマインデ(Gemeinde)です。そして、その中に、著名な単一畑のアインツェルラーゲ(Einzellage)が存在します。

モーゼルの気候は、気温が低く降雨量も多いので、ブドウ樹には十分な日照が必要。ルクセンブルグとの国境沿いを流れ、蛇行するモーゼル川沿いの急斜面で太陽のめぐみを一身に受けるブドウ畑が世界的に有名です。

それでは、モーゼル下流(北部)から上流(南部)に向かって、銘醸畑を巡ってみましょう。

モーゼル下流の急斜面に立地する、ブルク・コッヘム(Burg Cochem)地区のヴィンニンゲン(Winningen)村の急斜面にある、ふくろうという名前の銘醸畑ウーレン(Uhlen)。モーゼルでは、新植時には台木を使うことが必須になりましたが、フィロキセラ耐性がある粘板岩土壌のお蔭で自根の古木も見つかります。この畑が良い例です。

ブレーマー・カルムント(Bremmer Calmont)は斜度60度を優に超える、究極の急斜面。世界で最も急こう配のブドウ畑とされています。

ガイゼンハイム大学の研究では、急峻な斜面では通常の畑と比べて1.6~2.6倍ほどの人件費や機械化に掛かるコストが発生すると報告されています。同じく急峻な斜面での栽培が行われているフランスの北ローヌでは、シラーやヴィオニエが1970年代には、大きく栽培面積を落とし、絶滅の危機に晒されることにすらなりました。今日、モーゼルでは、歯車付きのモノレールを急斜面に配して、収穫の負担を減らす等の工夫がなされています。

モーゼルの中流、ミッテル・モーゼル(Mittelmosel)にあるベルンカステル(Bernkastel) 地区には多くの銘醸畑があります。

ヴェーレン(Wehlen)村の日時計という名前のゾンネンウーア(Sonnenuhr)。醸造家ヨドクス・プリュムが19世紀にこの地に日時計を建てたのが発祥です。栽培の殆どがリースリング。急峻な斜面の畑は表土が薄く、青い粘板岩の土壌から繊細なワインが生まれます。この畑からワインを造る醸造家では、ドクター・ローゼン(Dr.Loosen)が非常に有名です。200年以上の歴史を大切にする一方で、1999 年からは アメリカ・ワシントン州の大手ワイナリー、 シャトー・サン・ミッシェルとのコラボを始動。「エロイカ」というブランドを新しく立ち上げて、ワシントン産リースリングも生産しています。

ベルンカステル村のドクトール(Doctor)。3ヘクタール強と、他のベルンカステル村の銘醸畑と比べても希少な畑。19世紀から2つの家族によって所有されています。その内のターニッシュ家は、最も果汁糖度の高いトロッケンベーレンアウスレーゼ(Trockenbeerenauslese)をモーゼルで初めて造った著名な生産者です。

この産地は黒い粘板岩土壌。14世紀にカトリック教会のトリーア大司教だったボエモン2世が体を壊して、医者にも治せなかったのに、この地のワインを飲むとすっかり具合が良くなり、「このワインこそ真の医者だ!」と言ったとか。それがこの畑名の由来とされています。

ピースポート(Piesport)村には、黄金のしずくという意味の畑、ピースポーター・ゴルトトレプヒェン(Goldtropfchen)があります。ピースポートは、4世紀のローマ時代の詩人アウソニウスに賞賛された土地。日照時間を長く確保できる斜面で、冷涼な風からも守られている恵まれたテロワールです。この産地のワインはドイツ文学の巨匠、トーマス・マンの小説にも登場します。

70ヘクタールに満たないこの畑ですが、良く比べられるのは、ピースポーター・ミュヘルスベルク(Michelsberg)という集合畑 Grosslage (グロースラーゲ)。ゴルトトレプヒェンと同様にピースポート村の名前が付いているのですが、なんと、1,300ヘクタールを超えるベルンカステル地区の至る所のブドウ畑を含んでいます。そして、多くがミュラー・トゥルガウなどのブドウを使った日常ワイン。

フランスのブルゴーニュでも、例えば、シャルム・シャンベルタン(特級畑)とジュヴレ・シャンベルタン(村名)、バタール・モンラッシェ(特級畑)とピュリニー・モンラッシェ(村名)などの様に、全くのワイン初心者には分かりにくい名称は無きにしもあらずですが、このグロースラーゲの例のような大きな違いが出ることは、先ずありません。

それもこれも、1971年のドイツのワイン法が原因だとする声を聞くことがあります。優良な畑も品質の低いブドウを産出する畑も、小規模生産者も大手も纏めて、グロースラーゲにしてしまったのですから、この主張も分からなくもありません。ただ、当時、3万にも及んだ膨大な単一畑を整理整頓するために、手を打つ必要があったのだと思えます。

モーゼルに代表されるライン川西岸地区は、ナポレオン戦争の影響で、ブルゴーニュと同じように、教会の所有権が廃止されました。そして、数多くの畑へと分割、売却されたという歴史があります。

ブルゴーニュの栽培面積は、3万ヘクタール弱で、クリマで言えば1,200。ドイツは、その約3倍強の10万ヘクタール。今では、アイツェルラーゲは2,600ほどですから、このグロースラーゲの登場によって、漸く単一畑を集約する事が、できたとも言えます。

モーゼル上流のザール(Saar)地区のヴィルティンゲン(Wiltingen)村のシャルツホーフベルク(Scharzhofberg)。ザールは、ドイツで最も繊細なリースリングを生むと言われます。

この畑は痩せた赤やグレーの粘板岩土壌。修道院に所有されていましたが、ナポレオンの治世によって売却されます。産地を代表する生産者の、エゴン・ミュラー(Egon Muller)。インターネットのワイン・サーチエンジンでは世界的に有名な、「ワインサーチャー」の世界高額ワイン・ランキングで、幾度も白ワインで世界第1位に輝いています。

この畑は、かつて、日本ではオルツタイルラーゲと呼ばれていた、5つの銘醸畑のうちの一つ。これらの畑は、オルツタイル、村の一部の名前として例外的に畑名のみをラベル表示できるものです。等級的に特別な定義はありませんが、高名な畑ばかりで、ワイン選びをする上では知っておいて損はありません。このシャルツホーフベルク以外の残りの4つは、いずれもラインガウに立地しています。特に高名な2つの畑を以下、ご紹介しましょう。

ラインガウ

ラインガウはライン川北岸の200~300メートルの南向き斜面が有名です。8割方はリースリングが栽培されています。モーゼルよりもふくよかで重厚さがあります。この産地のワイン造りには、修道院が歴史的に大きな影響を与えました。

ライン川東部の、シュタインベルク(Steinberg)は、ハッテンハイム(Hattenheim)村の名前を併記する必要が無い銘醸畑。1136年に建立されたシトー派の修道院で、今は、醸造所になっているクロスター・エーバーバッハ(Kloster Eberbach)が開墾。

この畑は、高い石垣に3キロに渡って囲まれています。ブルゴーニュの、同じシトー派により、石垣が築かれた特級畑のクロ・ド・ヴージョと並び称されます。本来は、盗難防止の為の石垣でしたが、冷涼な風を遮ることで、ブドウ栽培にも貢献しているといわれます。

シュタインベルク(Steinberg) の石垣

この畑自体は、30ヘクタール強ですが、クロスター・エーバーバッハは、ドイツでは最大規模の畑を所有する現代的なワイナリーへと変貌しています。

ライン川右岸の中央部にあるシュロス・ヨハニスベルク(Schloss Johannisberg)。この歴史に彩られた畑も、村の名前を併記する必要がありません。

12世紀の、ベネディクト派の修道院のワイン造りから歴史が始まります。1720年に、リースリングのみを栽培する初の畑に。そして、収穫を遅らせたことによりシュペートレーゼ(Spatlese)を1775年に生み出したという事でも知られています。1815年、ウィーン会議でナポレオンの勢力下からプロシア、ロシア、オーストリアの管理に入ります。そして、オーストリア皇帝フランツ1世から外務大臣の当時外務大臣だったクレメンス・フォン・メッテルニヒに下賜されました。

第2次世界大戦の戦禍に巻き込まれましたが、見事に復興。現在は、スパークリングワインのカバやゼクトで有名なヘンケル・フレシネ社の傘下となっています。

また、西ヨーロッパを統一し、8世紀から9世紀に活躍したカール大帝の有名な伝説が今も伝えられています。マインツ近郊のインゲルハイム宮殿からライン川越しに、対岸のヨハニスベルクの雪が最も早く溶けることに気づいて、ブドウ樹を植えるよう命令したというものです。

ミュラー・トゥルガウの産地

ラインヘッセン

ドイツ最大の2万7千ヘクタールのブドウ栽培面積を誇る一大産地。そして、ミュラー・トゥルガウがドイツで最も栽培されていて、2位のバーデンを大きく引き離しています。

一世を風靡したリープフラウミルヒ(Liebfraumilch)。もともとは、ラインヘッセンのヴォルムス(Worms)の聖母教会前の畑で、19世紀後半に遡れば、高級ワインでした。しかし、歴史ある区画の名声は、この名称にあやかって広範囲で大量に造られたワインに、かき消されてしまいました。

このワインは、7割はリースリング、ミュラー・トゥルガウ、ジルヴァーナー、ケルナー(Kerner)から造られたワインを含む必要があります。しかし、実際は高貴品種のリースリングよりも、ミュラー・トゥルガウが中心です。また、ラインヘッセンだけでなく、ファルツやナーエなどの様々な産地のブドウも使われます。

1960年代から1970年代にかけて、軽くて甘口のワインスタイルで造られ、世界的に広がりました。甘くて安い、低品質で個性のないワインが世界中に広まった事でドイツワインの評価には悪影響となりました。

その後、80年代からはワインの嗜好は辛口やオフ・ドライに潮目が変わり、軽くて甘いワインは1990年代に急激に減少します。

歴史的には、不名誉な時代も経験したラインヘッセンですが、素晴らしいリースリングを産出する銘醸畑も数多く有しています。

特に有名なのが、ニアシュタイン(Nierstein)村。北東部のライン川沿いのラインテラス(Rhineterrasse)と呼ばれる一帯の南端、赤い斜面と呼ばれるローター・ハング(Roter Hang)が産地として著名です。鉄分豊富な粘土質と砂質土壌に恵まれています。ドイツ最古、8世紀にまで遡る歴史を持つといわれるモノポールの畑、グロック(Glock)始め銘醸畑が点在します。

ピノ・ノワールの産地

協同組合がワイン造りの中心だった一昔前。薄い果皮のピノ・ノワールから、少しでも多く色素を抽出する為に、サーモヴィニフィケーションという60℃から80℃程度の熱の力を使ってアントシアニンを抽出する技術が使われていました。そして、果実味中心の、残糖が残るワインが主流でした。

1980年代の後半から、ドイツの新しいクローンやフランスのディジョン・クローンの導入など、栽培技術の向上と温暖化がうまく働き、産地の評判が向上。

そして、90年代初頭のポリフェノールが健康に良いという報道から始まったフレンチ・パラドックスの影響。来るべくして来た、空前の赤ワインブームの到来。

1980年には4パーセントほどのピノ・ノワール栽培面積は、2000年代後半には、12パーセント近くへと大幅に増加しました。1937年以来、栽培禁止となっていたモーゼルでも栽培が再開されます。

バーデン

バーデンひとつの地域で、オーストラリア一国の栽培面積よりも多い、シュペートブルグンダー (Spatburgunder)が栽培されています。ドイツで最大の5500ヘクタールに及ぶ栽培面積を誇ります。ドイツ南部に立地していて、暖かく、EUの産地分類でドイツでは唯一のBゾーン

西にアルザス、そして東には黒い森、シュヴァルツヴァルト (Schwarzwald)が広がります。黒い森は、グリム童話のヘンゼルとグレーテルが生まれた鬱蒼とした森林地帯。主要な畑は、バーデン南西部のライン川と黒い森の間に広がります。皇帝の椅子という名前を持つカイザーシュトゥール(Kaiserstuhl)地区は火山性土壌。バーデンでも特に暖かく、ディジョン・クローンが合わないと言われるほど、日差しに恵まれた土地。力強いワインを生み出します。

カイザーシュトゥール地区のやや北部に所在する、ブライスガウ(Breisgau)地区のマルターディンゲン(Malterdingen)村。バーデンでは、協同組合が大勢を占めていますが、ここには押さえておくべき著名な生産者がいます。ピノ・ノワールの魔法使いとも賞された、ベンハルト・フーバー(Bernhard Huber)。彼の造るシュペートブルグンダーは、ドイツの権威ある『ゴ・エ・ミヨ』誌で様々な賞を総なめにしてきました。協同組合へのブドウ納入から、ワイナリー元詰めを始め、収量制限や新樽の使用で、高品質なワイン生産に舵を切りました。2014年に亡くなり、今は息子のユリアンに当主は変わっています。

バーデンではピノ・ノワールだけで無く、ピノ・グリ、ピノ・ブランのいずれも、ドイツでは最大の栽培面積。ピノ・ファミリーの総本山になっています。更には、高品質なシャルドネの生産も知られているという、ドイツにあって、フランスを彷彿とさせる産地です。ライン川を挟んで、アルザスの対岸にある産地ですから納得です。

アール

600ヘクタールにも満たない小さな北の産地アール。特筆すべきは、ドイツで、最も黒ブドウの栽培比率が高いことです。ブドウ栽培の北限、緯度50度にありながら、黒ブドウ品種が8割を超えて、その内、シュペートブルグンダーが6割を超えます。

自然のめぐみのひとつは、アイフェル(Eifel)山地が、大西洋からの冷涼な風や雨の影響を抑えていること。そして、急斜面のアール渓谷のブドウ畑は、豊かな日照の恩恵を受けます。更に、岩がちな土壌には保熱効果もあり、夏場には、地中海気候と言われるほどの良好なマイクロクライメット(微小気候)をつくりあげます。

素晴らしいテロワールを持つアールですが、昨年2021年7月に、凄まじい洪水により甚大な被害を受けました。この地を代表する生産者でピノ・ノワールの名手、マイヤー・ネーケル(Meyer Näkel)の醸造所は壊滅。二人姉妹のマイケとドルテも、洪水に飲み込まれてしまう所でした。また、1868年設立、ドイツ最古の協同組合マイショス・アルテンアール(Mayschoss Altenahr)も大きな被害を受けました。

その後すぐに、ドイツ本国、そして日本でもアールのワイナリーをなんとか助けようという救済プロジェクトが立ち上がりました。当面は、ワインが手に入りにくい状態が続くと思いますが、暖かく見守り、応援したいですね。

この産地では、フリューブルグンダー(Fruhburgunder)という、ピノ・ノワールよりも2週間ほど早熟な変異種が大切にされています。アール以外にも、ラインヘッセンなどでも栽培されていますが、アールでは、このブドウ品種を、国際的な組織、スローフード協会で「味の箱舟」という未来に残していきたい食材の一つとして登録しています。

シルヴァーナーの産地

このブドウ品種も、ドイツ最大品種になったことがあります。20世紀前半に、今やモーゼル上流で見るばかりとなったエルブリング(Elbling)を追い落としたのです。そのジルヴァーナーの栽培が、17世紀に初めて記録されたのが、フランケンです。

フランケン

フランケンではマインドライエック(Maindreieck)地区のヴュルツブルク(Wurzburg)村が、とても良いジルヴァーナーを産出します。この産地では、25パーセント近くの栽培面積を誇る、王様品種です。石灰岩土壌や、コイパーと言われる泥灰土や砂質を含む土壌が有名です。特に歴史的な畑は、詩人、劇作家として知らぬ者はいないゲーテが愛してやまなかった、石という意味のシュタイン(Stein)です。

フランケンのワインと言えば、一風変わった平たいボックスボイテルというワインボトルが有名。このボトルは、昔は携帯用の酒瓶に使われ、外出時に小袋に収まり便利に活用されていました。似た形状を持つボトルは、他に欧州ではポルトガルのマテウス・ロゼなどでも見られますが、フランケンでは、特に高品質ワインの証として誇りを持ち、このボトル形状を大切に扱っています。

フランケンのボックスボイテル

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