「フルートは自分のアイデンティティ」と明るく語る佐藤弥生さん。今の彼女の姿から、かつて死の淵をさまようほどの経験をしたとは誰も想像できないでしょう。 キャリアの最中に襲った突然の難病。命懸けの腎臓移植、さらには震災やコロナ禍による演奏機会の喪失。そんな度重なる試練に直面しながらも、弥生さんはそのたびに自分をアップデートし、果敢に挑戦し続けてきました。
【目次】
1. フルートとの出会い
2. 突然の難病
3. 腎臓移植と新たな人生
4. 2度の壁がワインへと導いた
5. 「替え歌55曲」で挑んだワインエキスパート試験
6. ソムリエになりたい
7. スタートラインに立てた
8. フルートとワインの共通点
1. フルートとの出会い
「お姫様みたい」 12歳の頃、フルートに出会いました。キラキラと輝く横笛の美しさ、そしてどこまでも高く突き抜けていく、凛とした高音域の響き…私は一瞬でその虜になったのです。
武蔵野音楽大学の器楽科を首席で卒業し、桐朋学園の研究科(いわゆる大学院のような位置づけ)、ドイツでのマスタークラスなどでの研鑽を積む中で、音楽という目に見えない芸術を、楽譜上で分析し、五感で感じ、表現し、聴いてくださる方の心に残るような演奏ができるようにと没頭していました。授業がない日は10時間、ある日でも7〜8時間は、ただひたすらに練習と向き合う毎日でした。
けれど、その順調にも見える生活の中で、私の体には少しずつ、異変が起きていたのです。
2. 突然の難病
大学2年生の秋、突然体重が7キロ増え、足がむくんで靴も履けなくなりました。最初は単に太ったと思っていたのは大間違いで、診断は「ネフローゼ症候群」。腎臓の難病でした。
薬の副作用で顔が腫れる「ムーンフェイス」になり、フルートを思うように吹けないことも。入退院を繰り返す中で、周りからは休学も勧められましたが、私の中にその選択肢はありませんでした。病気を理由にしたくない、毎日を必死で生き抜くこと、フルートを悔いなくやりきりたいという思いでいっぱいでした。その執念で、誰よりも練習し、努力と根性で大学4年間をトップの座を勝ち取り続けました。

大学時代の演奏仲間と

2010年演奏会にて
3. 腎臓移植と新たな人生
しかし、「いつか治る」と軽く考えていた病状は、6年の歳月をかけて悪化し、26歳の時、生か死の極限状態にまで陥り、緊急の腎臓移植手術が必要なほどになりました。
ムーンフェイス以外の副作用も多くある辛い日々。「生きる意味がないな」と思う毎日は心身ともに限界で、「手術が上手くいかないかも」という、そんな心配よりも、「この闘病生活から抜け出せるなら」という希望しかありませんでした。そして、感謝なことに母から、腎臓を譲り受けることができたのです。
移植は大成功でした。母のおかげで、私は文字通り「生まれ変わった」のです。この経験が、私の価値観を根底から変えました。人はいつ死ぬか分からない。だから「一度きりの人生を悔いなく生きよう」と思うようになりました。短い人生でもいいから、「自分がやりきった」と思えるようになりたいという気持ちになりました。その思いが、今の私の全ての原動力になっています。
4. 2度の壁がワインへと導いた
順調に回復し、音楽活動を再開した私に、再び大きな壁が立ちはだかりました。東日本大震災、そしてコロナ禍。演奏の仕事が一気に失われたのです。
せっかくもう一度生きるチャンスをもらえたのに、「立ち止まっているのはもったいない。今の自分にできることは何だろう」。そう考えたとき、ふと思い出したのが「弥生さんは鼻と舌の感覚がいいね」という周りからの言葉でした。食べることも、教えることも、表現することも好き。ならば、手に職となるような専門的で芸術的な分野を学び直したい。
そんな時、たまたま大学時代の友人と温泉に出かけ、露天風呂で気持ちの良い青空を見上げながら、「一緒にワインの資格を目指さない?」と誘われたのが全ての始まりでした。
銀座のフレンチレストラン「ESqUISSE(エスキス)」でご飯を食べたときに、ソムリエがかっこよく、ワインへの憧れがあったのも背中を押してくれました。
5. 「替え歌55曲」で挑んだワインエキスパート試験
数あるワインスクールの中から、迷わずアカデミー・デュ・ヴァンを選びました。理由はたくさんの合格者を出していると評判だったからです。
しかし、意気揚々と飛び込んだ受験クラスでは、想像を絶する大変さで、膨大な暗記量に心が折れそうになることもありました。でも、レッスンが楽しくて、ワインの世界にあっという間に引き込まれていきました。
ワインの暗記に関して、私を救ったのが、やはり「音楽」でした。覚えにくい産地や格付けを、替え歌にして覚えることにしたのです。帰り道に、急に曲が思い浮かぶのです(笑)。たとえば、クリュ・デュ・ボージョレは「山の音楽家」、山羊チーズの名前は「やぎさんゆうびん」の曲に乗せて覚えました。試験が終わる頃には、自作の替え歌は55曲にも達していました。
毎週のテスト、クラスメイトとの切磋琢磨。大人になってからこれほどまでに没頭し、自分をアップグレードさせてくれる環境に出会えたことは、最高の幸せでした。テイスティングでは、最初はぼんやり香っていた香りが、徐々に分解できるようになり、草の香り、スパイスの香りなど品種の特徴香もわかるようになっていたのが楽しかったです。

アカデミー・デュ・ヴァンのクラスメイトと
6. ソムリエになりたい
ワインエキスパートに合格した時、嬉しさとともに、ある想いが高まりました。「今度はソムリエになりたい」と。ワインの勉強を始めた頃の「ソムリエがかっこいい」という思いがどんどん大きくなっていったのです。
すぐに大好きだった「ESqUISSE(エスキス)」へ、「働かせてください」と直談判に行きました。シェフのお料理の深さ、そこにソムリエの考えるペアリングが合わさることで、お料理を何倍にもおいしく楽しませてくれる感覚。そこに感銘を受け、心から働きたいと思えるお店になっていたからです。そしてまた、音楽と同様、一流の現場でしか学べないことがあると知っていたからです。
ソムリエ試験を受けるには、最低3年以上は月90時間以上レストランで働く必要があります。そのため「アサヒナガストロノーム」や「アピシウス」といった名店でも仕事を掛け持ちしました。さらに、フルートの演奏の仕事もこなしながら、接客のための英語勉強、WSET Level 3、ソムリエ試験の勉強に明け暮れました。体は一つでは足りないと、何度思ったことか。
お客様から「説明がとってもおいしそうに聞こえるわ」「あなたに接客してもらえて良かった。ありがとう」という言葉と笑顔が励みになりました。一番、印象に残ったのが、ご飯を食べに来てくださった、有名パティシェの方から、「あなたのサービスは、品格もあって、優しさを感じる」と言っていただけたことです。

エスキスにて。ソムリエの若林さんと

アサヒナガストロノームのシェフソムリエ伊藤さんと
7. スタートラインに立てた
ソムリエ試験の合格発表の日。スマートフォンの画面に自分の番号を見つけた時、最初に浮かんだのは「安堵」でした。同時に、「これからはソムリエとしてお客様の前に立つこと、甘えは許されない」そして「まだスタートラインに立ったばかり」という緊張感が走りました。
フルートは私のアイデンティティという思いがあるので、これからも続けていきたいと思います。いつか、友人が作る料理にワインを選び、その国の情景に合わせた音楽を奏でる。そんな五感を震わせる、音楽と食とワインを融合させた体験を届けてみたいと考えています。
8. フルートとワインの共通点
フルートもソムリエも人前に立つ仕事で、いつも人に見られているという点では同じです。なによりも、「人を喜ばせる」という共通点を感じます。
そういった意味では、どちらも自分が生きてきた過程、どういう風に生きたかということが反映されると感じています。つまり私が発する言葉一つにしても、態度や姿勢が出るのです。自分の人生を大事に、常に自身をアップグレードさせながら生きていきたいと思います。
「人を喜ばせる」という一点において、フルートとソムリエに境界はありません。 壮絶な経験を乗り越えてきたからこそ、弥生さんの言葉には確かな重みがあります。そして、今、自らの手で切り拓いた新しいステージを歩んでいます。表現者として、そしてソムリエとして。弥生さんの真摯な生き方は、これからも多くの人の心に、静かな勇気を与えていくはずです。
プロフィール
佐藤弥生(さとうやよい)
Instagram@flyayoi33
- 星座:魚座
- 血液型:B
- ワイン以外の趣味:旅行、アニメ、乗馬、猫
- 好きな食べ物:フレンチ、寿司、すきやき、桃、栗
- もし生まれ変わったら何になりたい?:歌手
- 酔っぱらったらどうなる?:ずっと笑っている
- 人生を変えたワイン:ファミーユ・イザベル・フェランドのシャトーヌフ・デュ・パプ






