かつてチーズのコンクールで「ただの愛好家ね」と笑われた一人の女性が、チーズとワインを学び、いまや国際チーズコンクールの審査員として世界で活躍している――。竹内恵さんの歩んできた道のりは、決して平たんなものではありません。国際チーズコンクールの審査員に選ばれ、現在の活躍に至るまでの軌跡について、お話をうかがいました。
【目次】
1. 幸せの味は、母の手作りのおやつから
2. 南仏で芽生えた情熱
3. 「好き」を学びに変えたきっかけ
4. 壁を越えるたびに見える景色
5. 仲間とともに学ぶ喜び
6. 国際チーズコンクールの舞台へ
7. 審査員として感じた変化
8. 「幸せの扉」を開いて
9. 学びは世界につながっている
1. 幸せの味は、母の手作りのおやつから
子どもの頃、学校から帰ると、母が手作りのおやつを用意してくれていました。ケーキやクッキーの甘い香りに包まれながら母と話す時間が、何より好きでした。「食を通して人が笑顔になる」その楽しさを最初に感じたのは、きっとこの頃です。
大学では演劇を専攻し、人の心を動かす表現を学びました。卒業後は文部科学省所管の特殊法人で財務の仕事に就きましたが、結婚を機に主人の転勤で南フランスのアヴィニョン近郊に移り住むことになったのです。
2. 南仏で芽生えた情熱
フランスでの暮らしは、毎日が驚きと発見の連続でした。マルシェにはチーズやワインが所狭しと並び、人々は「今日はどんな料理に合わせようか」と楽しそうに語り合っています。
ある日、街のパン屋さんで日本好きのフランス人女性と出会い、すぐに親しくなりました。やがてその友人が、チーズ工房やワイナリーへ案内してくれるようになったのです。初夏の午後、テラスで山羊のチーズとロゼワインを味わったときの心地よさは格別で、チーズとワインへの興味はますます深まっていきました。

シャトー・ヌフ・デュ・パプの市場

ブルゴーニュのワイン生産者を訪問

フランス時代に通っていた料理教室の仲間と
3. 「好き」を学びに変えたきっかけ
帰国後は、大学時代の演劇経験を生かしてイベント司会やナレーションの仕事をしていました。けれども、フランスで出会った「食の楽しさ」が心に強く残り、「ただ好きなだけで終わらせたくない」という思いが日ごとに大きくなっていきました。
その気持ちを確かめたくなり、再びフランスを訪れることにしました。旅の途中、チーズのイベントを見学する機会に恵まれたのです。
事務局の方に「あなたは誰? プロフェッショナルなの?」と尋ねられ、「いえ、プロフェッショナルではありません」としか答えられませんでした。すると、「じゃあ、ただのチーズ好きか」と笑われ、その瞬間、悔しさがこみ上げました。
「次にここへ来るときは、胸を張って“プロフェッショナルです”と言おう」。そう心に誓いました。あのときの悔しさが、チーズプロフェッショナルの資格を本気で目指す原動力となったのです。
4. 壁を越えるたびに見える景色
帰国後すぐにチーズプロフェッショナル資格試験の勉強を始め、スクールに入学しました。ところが、覚える量は膨大で、試験は記述式。どう書けばよいのかポイントがつかめず、初年度は不合格に。自信を失い、やめようかと思った時期もありました。
そんなとき、フランス時代の友人がかけてくれた言葉が心に響きました。「恵、ここでやめたら、ただのチーズ好きで終わっちゃうよ。」その一言に背中を押され、再挑戦を決意。一日平均5~6時間、直前は一日中机に向かいました。チーズ語呂合わせや替え歌、踊りまで、覚えるためなら何でもやりました。
試験中にもハプニングがありました。「ブリー・ド・モーの八分の一の等身大の絵を描け」という問題で、「丸ごとのチーズを八分の一サイズで描く」という勘違いをしてしまったのです(笑)。残り4分で気づき、必死に描き直しました。今では笑い話ですが、あの頃の苦労があったからこそ、今の私があります。
5. 仲間とともに学ぶ喜び
チーズと言えばワイン。そんな自然な流れで、翌年にはアカデミー・デュ・ヴァンに入校し、ワインエキスパート試験に挑戦しました。
授業が進むうちに、同じ目標を持つ仲間との絆が何よりの支えになっていきました。LINEグループで夜遅くまで励まし合い、模擬試験で落ち込んだときには「飲みに行こうよ」と声をかけてくれる仲間もいました。

アカデミー・デュ・ヴァンのクラスメートと
ワインエキスパート合格後は、世界地図や歴史がすっと頭に入り、旅がますます楽しくなりました。かつてはブルゴーニュ地方の畑“ロマネ・コンティ”を知らずに車で何度か素通りしていました。フランス人の友人に「あそこで写真を撮らないのは恵だけ」と笑われたほどです(笑)。今では必ず車を降りて、写真を撮るようにしています。一緒に学んだ仲間がいたからこそ、今もワインを通じて新しい世界を楽しめているのだと思います。

ロマネ・コンティの畑にて
6. 国際チーズコンクールの舞台へ
資格を取得したあとも学びを止めず、日本チーズアートフロマジェ協会認定のチーズ鑑評士(チーズエキスパート)資格に挑戦。この資格試験の難しいところは、チーズは状態によって香りや味わいがちがうので、マニュアル通りにいかないことです。しかし知識と実践を積み重ね、ようやく合格しました。

チーズアート。161メートル、3トン950種類のプラトー

チーズアートコレクションフロマジェ2022の最優秀賞
そんな努力を続けていたある日、思いがけないチャンスが訪れます。世界中のチーズが集う国際コンクール「モンディアル・デュ・フロマージュ」(フランス・トゥール開催)の審査員として招かれたのです。日本から選ばれたのはわずか8名。最初は耳を疑いました。
あの時、「ただのチーズ好きね」と笑われたフランスの地に、今度は「プロフェッショナル」として戻ってくることができ、プロとして、真っ白のコックコートを着て望む審査員。嬉しさがこみあげてきました。
人生とは本当に不思議です。会場にはフランスやイタリアをはじめ、アメリカなど世界各国から熟成士、生産者、シェフ、ジャーナリストなどの専門家が集まっていました。来場者は約4500人。審査対象のチーズは16か国から1868個。香り、味わい、熟成状態、見た目…そのすべてを真剣に見極めます。
ひとつひとつのチーズには、つくり手の人生と情熱が詰まっています。その想いを感じ取りながら味わう瞬間、「学び続けてきて本当によかった」と心から思いました。フランス語での審査や国際基準での採点は緊張の連続でしたが、フランス人審査員の高いレベルに触れ、大きな刺激と学びを得ることができました。

モンディアル・デュ・フロマージュの審査の様子
7. 審査員として感じた変化
今回の渡仏で、あらためて「愛好家」と「審査員」とでは見える世界がまったく違うことを実感しました。
以前はなかなか受け入れてもらえなかったチーズ工房も、「日本から審査員として来ました」と伝えると、「それはぜひ見ていってください」と、普段は立ち入れない熟成庫や牛や山羊、羊たちの様子まで見せてくださるようになったのです。
フランスの人たちは、一度心を通わせると本当に温かく迎えてくれます。訪問をきっかけにメールのやり取りが続くようになった生産者もいらっしゃり、チーズを通じて国境を越えた絆が生まれたことをうれしく感じました。

訪問したロックフォールの熟成庫
8. 「幸せの扉」を開いて
現在は、ワインとチーズのサロン「ラ・ポルト・デュ・ボヌール(幸せの扉)」を主宰しています。ワイン検定やチーズ検定の公式講師として、受講生の皆さんとともに学び、味わい、語り合う時間を大切にしています。
受講生が「先生の授業でチーズとワインがもっと好きになりました」と言ってくれる瞬間が、いちばんの喜びです。かつての自分のように、学びを通じて世界が広がる楽しさを感じてもらいたい――そんな思いで、受講生と向き合っています。
9. 学びは世界につながっている
竹内さんは、学びを重ねるたびに世界が広がっていくことを実感してきました。「資格を取得する前と後では、見える景色がまったく違う」そう語ります。知識を深めることで、自分の可能性が広がり、国境を越えて人とつながるようになったのです。
南フランスのテラスで感じた小さな幸せの時間が、いまでは世界のチーズ審査会のテーブルへとつながっている。竹内さんの学びの旅は、これからも誰かの「扉」を開くきっかけとなっていくに違いありません。
プロフィール
竹内恵(たけうちめぐみ)
La porte du bonheur/Instagram@megumifromage
- 星座:牡羊座
- 血液型:A型
- ワイン以外の趣味:テニス
- 好きな食べ物:梨
- もし生まれ変わったら何になりたい?: ブルゴーニュのドメーヌの一人娘
- 酔っぱらったらどうなる?:やたらと明るくなる。
- 人生を変えたワイン:Chateauneuf du Pape






