連載コラム

連載コラム:伊東道生の『<頭>で飲むワイン 』 Vol.89 2018_11_09

~フランスの日本酒からアルザスのビオディナミ~

先日、パリの友人、というか私のワイン記事を読んで、小学校の同級生だったことが判明して、やりとりをするようになった方から、最近、日本酒関連の仕事を委託されることが多いということで久しぶりにメールが来ました。・・・曰く、日本ではおそらく「パリで今日本酒が流行っている,云々」とテレビや雑誌などでも取り上げられているのだと思いますが、うーん、そんな訳はない、日本食も、決してブームではなくSUSHIとRAMEN(この二つは受け入れられています。アジア系の麺館はラーメンにかぎらずたくさんあります)これはOKなのですが、さて日本食は、といっても他の国の料理より流行っているなんてことは決してなく、米の味があまり好きでないフランス人(中国料理やベトナム料理、タイ料理などアジア系のレストランはたくさんありますが、麺はともかくあまりお米を食べている人はたしかに少ない)、彼女/彼らにはやっぱり日本酒は苦手。どう飲んでいいかわからない、それ以前に未だに紹興酒と同じと思うほど興味がない人が殆ど。そもそも、アニメやマンガで育ってきている人が多くても、皆が皆、そんなに日本には興味ないし。てなわけで、日本の業者さんやジェトロや農水省からの期待のわりにいまいち!な反応のフランス人たちの反応をどう伝えるべきかに悩む毎日です。フランス人と日本酒でなにか思うことがありますか、というメールです。

実はRVF誌でもsake特集がたま~に、あり、パリでの講習会の模様も伝えられ、とくに「獺祭」の成功?が功を奏したように日本酒が伝えられていますが、少なくともパリの実情は我々のイメージというか、こう思いたいという期待感に後押しされたイメージと違うようです。もっとも、現場のどの位置にいるかでもイメージは変わりますので一概には言えないかもしれません。

古い話で申し訳ないですが、1980~90年代頃、パリで日本食を食べようとすると、やはりオペラ座近く、日本人のビジネスマンや観光客が多いところだけでした。それが寿司ブームで、中華料理のテークアウトとかスーパーの食品売り場にも巻き寿司がならびはじめたのが2000年代になってからでしょうか。それでも日本酒と紹興酒どころか、日本と中国の区別もつかない、中国の隣に(まあ、たしかに隣ですが)日本がある(この場合、大陸で接しているという意味です)と思っているひともけっこういました。日本酒となるとまったくお目にかかりませんでした。

返事のメールは・・・まったく個人的見解です。・・・たしかに星付きレストランで日本酒を供するところはありますが、ブルターニュなど、もともと地元ワインがないところは、日本酒がいけるのでしょうか。とにかく日本酒の香りが独特なので、フランスではOKとnonがはっきり分かれるように思います。かつての日本でのワインのようにまだ「特別なもの」で、日本人がワインに持った「憧れ」が伴っているようには思えないし。

ワインがあるのに、なぜsakeを飲まねばならないのか。というと、よくできたビールと日本酒があるのに、なぜワインを?ときかれそうですが、日本でもワイン造りはあるし、海外で葡萄栽培をしている人もいますからね。フランスで日本酒造りを本格的に生産することは、日本の蔵元が出て行かない限り、難しいでしょう。日本国内では、外国人で杜氏に従事している方もごく少数いますが、そこで得た知識と経験を自国に持ち帰って日本酒を造るか、と問われれば、う~ん、となってしまいます。

cafeのメニューに日本酒があれば、少し変わるかもしれません。例えば、邪道と言われようがシトロンとかライムとかで香付けして夏に冷酒で、などというオプションで。中華料理屋でもいいかもしれませんが、カラフェのワインより安い必要があり、難しいです。

知名度という点では、ロバート・パーカーとかジャンシス・ロビンソンとか、評論家が日本酒について、いっぱい書いてくれれば変わるかもしれません。あるいは、フランスでも流行っている『神の雫』の日本酒版を書いてもらうとか。・・・思うままに、我ながらいい加減な返事でした。

と、いろいろとメールをして、RVF誌の今月号を見ると。特集の一つがアルザスのビオ・ワイン。そこでふと浮かんだのが日本酒とビオディナミ。有機米を使用しているものはありますが、ビオディナミ栽培による米を使用した日本酒はあるのでしょうか。ざっとネットで調べてもないですね。どなたか、ご存じでしたらお教えください。

というわけで、日本酒の話がアルザスのビオ・ワインの話に・・。

アルザスはご存じのようにライン河を挟んでドイツと国境を接しています。「自然国境説」という怪しげな議論があります。「国家」は歴史上の産物なので、そこに自然を持ち出すのはカテゴリー・ミステイクなのですが、海や川、山脈を自然国境とするイデオロギーは根深いものです。だいたい割を食うのがその国境に住む人、少数民族です。日本ならばアイヌとか。またバスク地方もそうですが、アルザスもライン河をめぐって翻弄された地域で、ドイツに併合されたり、フランスに併合されたりします。1970-71年の普仏戦争で負けたフランスはこの地域を失い、エルザス・ロートリンゲン(アルザス・ロレーヌのドイツ語読み)という行政区になります。アルフォンス・ドーデという19世紀フランスの作家が「最後の授業」という短編を書いて、プロシアに占領されてフランス語で授業ができない教師の悲哀を描いていますが、これはきわめてイデオロギー色の濃い、フランス・ナショナリズムが色濃く出ている作品です。もともとアルザス語自体がドイツ語系の言語で、フランス語が日常というわけではなかったのです。なのに、日常話しているフランス語で授業ができない、と「フランス人」教師が嘆くわけです。

葡萄品種にGewurtztameninerというセパージュがあります。ドイツ語読みでは、ゲヴルツトラミナー。ゲヴルツトラミネールというのはフランス語的読み方です。地元ではジェヴルツトラミネール。ドイツ語系とは言ってもアルザス語は独立した言語であり、アルザス文化は独自なので、ドイツかフランスかというのは、本来はおかしな議論です。

ドメーヌで言うと、Marcel Deiss 後半部分は、ドイツ語らしい綴りで「ダイス」と読みます。私は、アルザス語は分かりませんが、ドイツ語から見ると、Albert Mann(アルバート・マン)、Osterberg(オスターベルク)、Weinbach(ヴァインバッハ ワインの小川という意味です)、Humbrecht(フンブレヒト)はドイツ語っぽい綴りです。 

アルザスが言語的にも文化的にもドイツの影響を受けているといえば、ビオディナミもその一つです。ルドルフ・シュタイナーの思想がフランスに入ってきたのも、この地域からでアンドレ・オスターベルクは1913年にシュタイナーが創設した自由学校に母に連れられていった、と語っています。彼によると人智学思想はスイスのバーゼルからライン地方にまで広まっていったそうです。いまでもシュタイナー学校は3校あります。そういう背景と現実の環境問題への配慮がアルザスでビオディナミ栽培が多く行われているというのが、RVF誌の説です。アルザスのビオディナミの多さは数字としても表れています。葡萄栽培の16.5%が公式にビオの認定を受けており、それはフランス国内の8.7%、世界平均の8-12%増の倍になっており、183のドメーヌがビオです。そのうち、2017年末には52のドメーヌがビオディナミの認定。栽培面積が4倍のロワール(61ドメーヌ)、ローヌ(55ドメーヌ)、広大なラングドック=ルシヨン(50ドメーヌ)に比すとかなりのものです。イアタリアは74ドメーヌ、シュタイナーお膝元のドイツは72ドメーヌだそうです。ビオディナミは、シュタイナーに忠実なデメテール(Demeter)か、1995年につくられ、ワインしか扱わない「栽培家クラブ」とも言うべきビオディヴァン(Byodyvin)の認定を受けています。後者の分派は、デメテールでの葡萄栽培家の優遇とか規則の煩雑さらしく、ビオディヴァンの代表オリヴィエ・フンブレヒトが調停に努めているが、分裂したままということです。