連載コラム

連載コラム:伊東道生の『<頭>で飲むワイン 』 Vol.27 2013.07.14

ゼクトは発泡していない

 2012年のボルドー・プリムールも、少し落ち着きました。Revue de Vin de France 誌によれば、「メルロの地である右岸の勝利」ということです。他はばらつきがあり、ソーテルヌはご存じの通り破局的(カタストロフィック)。
 2008年から、2012年の間で、85のシャトーでは軒並み、価格が44%アップしましたが、2012年はそれほどではないようです。危機的な2008年の価格と同様になるかも。パトリック・ベルナールは、Bernard MagrezやFigeac、Pichon Comtesseのように価格がリーズナブルなものは、あっというまに売れたが、他のシャトーは難しい、と言っています。2014年の春には、たたき売りの可能性も。まあ輸入して私たちの手元にとどく時には、話はちがうでしょうけど。来年の春には、ヨーロッパに行って安くなっているはずの?2012のボルドーを買いましょう!
 ちなみに他の地方はどうでしょう。これもRVFによると、まずアルザスとロワールの白がいいようです。シャンパーニュは、収穫は少ないが品質はよく、大手のメゾンがミレジムを出すだろうと予測しています。収穫の少なさとばらつき、ただ、いいものも結構ある、という点で、フランス全体が同じような特徴を示しています。ブルゴーニュでは、ニュイの赤は成功、ムルソーやピュリニーの白もそこそこ。ローヌはエルミタージュとサンジョセフでクラシカルなスタイルになっている、ということです。プリムールからどう変わるのか、楽しみでもあります。

 話はがらりと変わります。
 以前に宣伝しましたが、季刊『ワイナート』で、立花峰夫氏と「味は美を語れるか」という記事を連載しています。次回用の原稿のネタは、18世紀のドイツの哲学者、イマヌエル・カント(Immanuel Kant, 1724-1804)です。『判断力批判』という本で、かれは「美くしさ」が、どういうものかを論じています。そのなかで、カナリア島のワインが引き合いに出されます。
 美は、主観的ではあるが、みんなが美しいと共通に感じるものがあるので、その意味で一般的だともみなしうる。ところが、ワインに関しては、まったく個人的なものでしかない。だから「カナリア島産のブドウ酒は心地よい味わいだ」といっても、あなたにとってだけだ、としか言えない、と。つまり、ワインに美しさは求められない、という結論になります。(反論も含め、詳細は次号の『ワイナート』で。)
 
 カナリア諸島は、大航海時代にジェノバ人やスペイン人によって、ポルトガルはるか沖の大西洋で<発見>されます。マデイラ島で、サトウキビとワインづくりがうまくいったため、その南にあるカナリア諸島でも先住民を追い出して同じ試みがなされます。スペイン人は、ヘレス(シェリー)やマラガ酒をモデルにカナリア・ワインをつくり、16世紀の半ばには、イギリスで定着します。

 カントのいっている「カナリア島のワイン」は、もとのドイツ語では、Kanariensekt(カナーリエン・ゼクト)という言葉です。語尾にSektゼクトの語がありますから、発泡性ワインのことでしょうか。
 カントの書が出版されたのが、1790年です。当時どのような意味でこの言葉を使っていたかを調べてみますと、発泡性ではないようです。『グリム辞典』(あの童話のグリム兄弟ですが、彼らは、本当は言語学者です。この辞典は、1854年から出版され、完結したのが、なんと1961年です!)によると、ゼクトとは、スペインやカナリア諸島の甘口のトロッケンベーレンアウスレーゼのようです。
 「ゼクト:男性名詞 トロッケンベーレンワイン、重くて甘いワインで、白もしくは黄金色をしていて、スペインやカナリア諸島からくる。これはマラガのゼクトやヘレスのゼクトと区別される。このゼクトという言葉は、フランス語のセック(sec)やイタリア語のセッコ(secco)からきていて、トロッケンベーレンのワインのことをいう。英語ではサック(sack)である。」(『グリム・ドイツ語辞典』)

  ヒュー・ジョンソン『ワイン物語』やアレックス・ウォー『わいん』によると、英語の「サック」という言葉が現れたのは、1530年頃です。当時から、それはスペイン語の「サッカ」からきているということになっていました。とくにイギリス-ヘンリー8世からエリザベス一世へと繁栄絶頂の時代です-で好まれていた辛口ヘレス(シェリー)がサックやサッカとも呼ばれていました(Sherries-Sack)。この時代はシェイクスピアの時代でもあります。『ウィンザーの陽気な女房たち』(1602)に登場し、ヴェルディのオペラにもなった人物ファルスタッフは、劇中で「水っぽいワインなど飲むな、サックなら浴びるほど飲め」と言っています。シェイクスピア自身も自分の試飲ノートにカナリア諸島のワインのすばらしさを記しているほど、16世紀から18世紀に至るまで、こよなく愛されたワインでした。
 16世紀当時からすでに知ったかぶりのワイン通もいたようで、ウイリアム・ハリソンの『イングランド描写』(1586)では、もっとも手に入りにくく、もっとも高価な食事が一般にもっともおいしいと言われているように、ワインも極端さが求められ、もっとも強いワインがいいワインとされる、とあります。この時代、食事の時に水を飲むような人はおらず、そのため、製法の問題もありますが、水代わりの薄いワインを飲んでいました。しかし、ワイン通は、濃くて強いワインであるサックを飲むのでした。(アメリカの誰やらのように、ワイン通は、いつの時代でも同じことをしています。)これは、今日で言う、オロロソのようなものにあたるとされています。サックは、ヘレス以外にもあって、「カナリア諸島のサック」はロンドンやアントワープで、ヘレスと同じくらい人気がありました。サックは居酒屋では、砂糖を入れて飲んだとか。甘口という意味でマデイラをも凌駕する最高のものが、カナリア諸島のサックだったのです。

 面白いことに、アレックス・ウォーは、サックはセックやセッコから来たものではない、ともいっています。実は、語源はsacarという動詞で、「取り出す」という意味だそうです。ヴィノス・デ・サカ(vions de saca)は、ヘレスで輸出用の酒を示す専門用語として使われていた、と。ヒュー・ジョンソンは、この本も自著の参考にしたからでしょうが、辛口であるとともに、大航海時代にふさわしく、輸出品という意味もある、と無難な書き方をしています。おそらくは、同時に二つの意味をもっていたのでしょう。18、19世紀あたりのオックスフォードの大辞典(OED)をひけば、また違うことになるかもしれません。

 では、なぜゼクトが、いつのまに、発泡するようになったのか。アレクシス・リシーヌの『ワイン・アルコール百科事典』では、ファルスタッフを演じた19世紀のベルリンの有名な役者ルードヴィヒ・ドゥヴリアンLudwig Deverienが、シャンパーニュも好きで、カフェやレストランで同じ言葉で注文したことから、ドイツの発泡性ワインを指すようになったということです。いささか怪しい話です。文献の証拠などはあるのでしょうかね。