連載コラム

連載コラム:堀晶代の知っておきたいブルゴーニュ&シャンパーニュのエッジなお話しVol.05 2018.01.26

ブルゴーニュに、価格の上げ止まりはあるのか? ~その1~

 「ブルゴーニュワインの価格が上がりすぎて、もう買えない」という声を聞くようになって久しい。個人顧客なら購入を諦めるという選択肢もあるが、ブルゴーニュを主軸にワインリストを作ってきた飲食店などにとっては深刻な悩みだ。日本だけの話しではない。フランスや、現地ブルゴーニュに行っても、オンリストされているブルゴーニュの価格はうなぎ登り。このままでは一部の高級店を除き、ブルゴーニュはワインリストから真っ先に消えていく産地となるだろう。

そこで消費者にとって、もっとも重要なのは、ブルゴーニュの価格高騰に上げ止まりがあるのか、もしくは下がる可能性はあるのか?ということだ。

残念ながら、下がる要素は現在では見当たらない。なぜなら理由は主にふたつある。ひとつめはブルゴーニュが20年以上前から、「量から質へ」という時代に変わっているということ。豊作のヴィンテージであれば、何らかの方法で量はコントロールされる。爆発的な豊作による価格の引き下げというのは考えられないからだ。

ふたつめはブルゴーニュに限った話しではないが、マチエール・セックが10年以上前から上がり続けているからだ。マチエール・セック(乾いた原料)とは、ワイン造りに必要なブドウ以外の原料を指す。つまりボトルなどのガラス、コルク、ラベル、梱包に必要な段ボールなどの資材の価格が、上がっている。人件費も同様で、コストの上昇はワインの蔵出し価格となって反映される。

しかし価格の上げ止まりに関しては、いくつかの条件が重なれば可能性がある。なかでも大切な条件は、ブルギニョンのメンタリティーと言えるだろう。銘嬢地という意味ではブルゴーニュは何かとボルドーと比較されるが、ブルギニョンはボルドーと同じように見なされることを想像以上に嫌う。外部から見ても、産地としての規模やワイナリーの経営形態は異なるが、メンタリティーがまったく違う。ブルギニョンに言わせれば、典型的なボルドーのワイン造りとは、「ネクタイを締めてスーツを着込んだ人たちがオーナーや経営陣で、彼らが実際のワイン造りに汗水を流すことなどない」となり、ではブルギニョンとは?となると、「当主自らが日々畑に立ち、醸造の現場では手の皺に染みこんだワインが洗っても取れないほどに、ワイン造りに近い位置にいる」と言う。そして「私たちは、ボルドーとはあり方がまったく違うのだから」と締める。

ごく平均的なブルゴーニュのワイナリーとは、約10ヘクタールほどの畑を持ち(賃貸の畑も含まれる)、伝統的な家族経営で、農業従事者としては恵まれた収入を得ており、収入に余裕が生まれれば設備投資や、新たな畑の賃貸や売買契約を結ぶ。とても大雑把に言えば、博打的な経営は好まず、堅実な発展を願っている。一方で、近隣のワイナリーの動向や、否が応でも比較される遠い隣人(つまりボルドー)など、「隣の芝の色が気になる」気質も備え、確実な結論として、「家族経営において価格の乱高下は、自らの首を絞める」と考える。また個人顧客の多さも、ワインの蔵出し価格を一定にしたい重要な要素となっている。要するに、蔵出し価格を上げるときの原則として、「物価指数と品質の上昇に見合ったもの」という考えが根強い。

ちなみに蔵出し価格を上げても販売に問題がないワイナリーは、ほんとうにごくごく一部だ。夢のようなワイナリーが、意外と在庫を抱えて悩んでいる実態もある。夢のようなワイナリーではない場合、たった数ユーロの値上げでも、売り上げが伸び悩むこともあるのだ。必要以上に蔵出し価格を上げたくないと願うワイナリーが大多数であることは、消費者にとって朗報である。ブルギニョンは一攫千金を狙ってはいない。
価格の上げ止まりの他の条件は、次回のコラムでじっくり書いていこうと思う。