連載コラム

連載コラム:堀晶代の知っておきたいブルゴーニュ&シャンパーニュのエッジなお話し Vol.13 2019.01.25

市場の構造が露わとなった、昨年のオスピス・ド・ボーヌ

11月中旬に行われるブルゴーニュの「栄光の3日間」。この栄光の3日間には誰でも参加できるというわけではないが、もっとも一般参加も可能なのが、オスピス・ド・ボーヌだろう。またオスピス以外にも、栄光の3日間の期間中には、最新のワインを試飲できるチャンスは多い。

「新酒を飲む」という意味では、ボージョレ・ヌーヴォーは未だに健在であるものの、かつての旺盛を考えると、いまは衰退の一途。かつてのボージョレへの熱狂が冷めていく中、一部のボージョレ生産者は、南仏のバルクワインよりもさらに過小評価されるワインの価格に憤り、毎年のようにデモ行うが、ボージョレの市場評価はなかなか上がり辛い。

ボージョレで評価されているワインとは、今日では究極の自然派か、もしくはコート・ドールと同様に真摯な取り組みを行うワイナリーによる二極化が顕著だが、足並みは揃わず、しかもブルゴーニュワイン委員会は、ボージョレをブルゴーニュとも見なしていない。

ブルゴーニュワイン委員会の会議を聞く度に、ボージョレを「可哀相な弟」と言わんばかりの見下し方には、同情すら覚える。100年以上前は、優れたボージョレの畑とヴォーヌ・ロマネの畑の対価(地価や売価)は同等であったと聞くので、急激な流行りを追い成功はしたものの、その後はボージョレのイメージを結果的には下げてしまったその戦略は、今日においてじつに残念極まりない。

さて、話を戻すと、前回(昨年)の158回目となるオスピス・ド・ボーヌは異様な雰囲気で始まった。2年連続で豊作となり(2010以降は基本的に収穫量がとても下がっていた)、オークションの前に提出されたワインの質もすこぶる良い。逆にワインが良すぎて、「今、これほどまでに素晴らしいワインが、将来的にも素晴らしいワインであり続けるのか?」という疑問が湧いたほど。しかしすべてのオスピスを飲み終わったプロフェッショナルたちは言った。

「アンリ・ジャイエの言葉を思い出す。素晴らしいワインとは、どんな段階や状況で飲んでも素晴らしい。この素晴らしさは、未来を約束されているのではないか?」と。豊作と良作、そして豊作とはいえ限られた生産量に、どのような価値が付くのか?多くの落札者は値下がりを期待した。ともあれ2018年にどのような価格が付くかは、誰も予想できなかったのだ。

今までにさまざまな媒体で書いてきたが、オスピスはあくまでもチャリティーオークションであって、価格のバロメーターとなることは好んでいない。またオスピスのキュヴェとはある意味特殊なので、ブルゴーニュ全般を体現しているわけではない。ボルドー・プリムールとも、まったく意図が異なる。それでもオスピスが注目されてしまうのは、やはりブルギニョンにとって、この価格をMAXに捉えてもよいのだと思わせてしまうことだ。

2年続きの豊作で、価格は安定するかと思いきや、蓋を開けると赤ワインの価格には前年比16.43%増、白ワインは20.41%の価格増。たとえばコルトン・シャルルマーニュには、一樽につき5万5000ユーロ以上の落札額が並んだ(日本円にして700万円以上。1本に付き、すでに原価で2万円を軽く上回る)。コルトン・シャルルマーニュはさておき、落札者には中国やロシアの富裕層の名が並ぶ。ともあれ普通に販売できる価格ではなくなったのがオスピスだ。

ではブルゴーニュの老舗メゾンも、新興国もなぜ、オスピスを高額で買うのか。そこにはワインの価格を超えた宣伝効果も見込まれているのだろう。話しを変えると、日本の鮪の初競りとも似ている。最高値で競り落とすことはニュースにもなり、買い手の知名度を高め絶大な広告となる。

ともあれ今回、今更ながら絶望したのは、今や贅沢な高級品のようになったブルゴーニュの一部は、けっして価格を今以上に下げることはないと実感したことだ。

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