ワインと健康の今 ~ ワインはカラダに良いのか悪いのか?

「適量のワイン消費は、健康に有益である」――この心強いテーゼを、我々ワイン飲みは、かれこれ30年以上にわたって信じてきた。もちろん、ワインとて酒、アルコールには変わりない。飲み過ぎが恒常的になると、肝機能障害ほかさまざまな身体の不調につながるし、依存症のリスクも高くなる。内臓の強さや依存症への抵抗力は個人差があるから、自分にとってどれぐらいが「適量」かの見定めも難しい。それでも、愛飲家たちは皆、「ワインは百薬の長」と信じてきた。しかし、2023年に突如、舞台は暗転する。照明がつけば、目の前の光景は様変わりしていた。WHO(世界保健機関)による、「酒に適量などない」という残酷な声明……。ほんとうなのか。今までの「常識」はなんだったのか。公衆衛生のみならず、経済や政治の角度からも議論が百出し、沸騰状態は今も続いている。

本記事では、ワイン・酒が健康に及ぼす影響をめぐる論争の過去、現在、未来について、順にスケッチしていこう。

本記事は、ワインスクール「アカデミー・デュ・ヴァン」が監修しています。ワインを通じて人生が豊かになるよう、ワインのコラムをお届けしています。メールマガジン登録で最新の有料記事が無料で閲覧できます。


【目次】
1. 節度の福音:フレンチ・パラドックスとは?
 ● 『60 ミニッツ』による1991年の衝撃
 ● ルノー教授の研究とJカーブ
 ● ポリフェノールの広範な効用
2. 公衆衛生の逆襲: WHOの「安全レベル無し」宣言
 ● 常識を転覆させた2023年の声明
 ● 科学的根拠: がんリスクと世界的疾病負荷研究
3. 新たな定説へのグローバルな反応
 ● 「NoLo」の台頭と大流行
 ● 国際ワインアカデミーの公開書簡
 ● 科学的逆襲: 2024年NASEM報告書
 ● カム・オーヴァー・オクトーバー(Come Over October)
4. アルコール論争の社会的側面
 ● 税収と社会的コストの比較
 ● アルコール・ハーム・パラドックス
 ● ネオ禁酒法への道か?
5. 膠着状態の今と未来への道筋
 ● 非感染性疾患(NCD)ハイレベル会合 – 2025年9月
 ● WHO世界アルコール行動計画
6. まとめ


1. 節度の福音:フレンチ・パラドックスとは?

『60 ミニッツ』による1991年の衝撃

1991 年11 月17 日、米国CBSテレビのドキュメンタリー番組、『60 ミニッツ』 は、「フレンチ・パラドックス」という不思議な現象を取上げた。番組の中心人物は、フランス・ボルドー大学の研究者、セルジュ・ルノー博士だった。提示されたパラドックスの核心は、非常にシンプルな観察結果に基づいている。フランス人は、チーズ、バターといった飽和脂肪酸を豊富に含む食物を、日常的かつ多量に摂取している。にもかかわらず、アメリカ人などに比べて冠状動脈性心疾患 (CHD) による死亡率が、著しく低いという事実である。番組司会者のモーリー・セイファーは、赤ワインのグラスを手に持ち、「謎への答えは、この魅力的なグラスの中にあるのかもしれない」と語った。翌日には、アメリカ中のスーパーマーケットの棚から、赤ワインが消えた。以来30年以上続いた、世界的なブームが始まった瞬間であった(放送後の1年間で、米国内の赤ワインの売上は約40%増えた)。

後述するように、アメリカ国民はアルコールと、複雑な心境で相対してきた歴史がある。飲みたいけれど、うしろめたい。そこに、マスメディアという「現代の神」(少なくとも当時は)から、GOサインの託宣が下されたのだ。科学、メディア、そして消費者の願望が一直線に並んだ時、いかに強力な文化的物語が生まれるかを、『60ミニッツ』は示してみせた。

フレンチ・パラドックス

ルノー教授の研究とJカーブ

『60 ミニッツ』の放送内容を、ルノー博士は翌1992年、権威ある医学雑誌『ランセット』に科学論文として発表した。博士が提唱したのは、ワインの保護効果は、当時主流であったコレステロール管理の観点からは説明が難しいという仮説だった。フランス人のHDL(善玉)コレステロール値は、他の国々と比較して特に高いわけではなかったのだ。そこで注目されたのが「止血メカニズム」である。赤ワインに含まれるアルコールが血小板の凝集を抑制し、血液を「固まりにくく」するため、血栓の形成が防がれ、心臓病のリスクが減るという仕組みだ。

セルジュ・ルノー教授の論文

セルジュ・ルノー教授の論文

同論文は、「Jカーブ仮説」として知られる概念を、強力に後押しした。これは、全死亡率(あらゆる原因による死亡率)を縦軸に、アルコール消費量を横軸にとると、グラフが「J」の字を描くという理論である。つまり、まったく飲まない人(禁酒者)や大量に飲む人に比べて、適度に飲む人の死亡率が最も低いという考え方で、これが数十年にわたり、適度な飲酒を推奨する科学的根拠とされてきた。

しかし、この「ワイン=健康」という単純化された物語には、当初から他の専門家による慎重な指摘も存在した。フランス人のライフスタイルには、ワイン以外にも健康に寄与する可能性のある要因が数多くあったからだ。例えば、果物や野菜の摂取量が多い、間食が少ない、食事の量がアメリカ人に比べて少ない、日常的によく歩くといった生活習慣である。また、フランスにおける当時の心疾患死亡率は、数十年前の脂肪摂取水準を反映しているだけだという、「タイムラグ仮説」も提唱された。

ポリフェノールの広範な効用

フレンチ・パラドックスの議論が深まるにつれて、科学者たちの関心はアルコールそのものから、赤ワインに豊富に含まれる特定の生理活性化合物へと移っていった。その中でも特に注目を集めたのが、ポリフェノール類、とりわけ「レスベラトロール (resveratrol)」である。科学文献では、これらのポリフェノールがもたらす広範な健康上の利点が、相次いで報告された。

抗酸化作用

体内の活性酸素を中和し、動脈硬化の引き金となるLDL(悪玉)コレステロールの酸化を防ぐ働きが確認された。これは、アテローム性動脈硬化の予防における重要なメカニズムと考えられている。

心血管保護

血管内皮機能の改善、血管拡張(血管を広げる作用)、そして抗炎症作用を通じて、心臓と血管を保護する効果が示唆されした。

神経保護

適度なワインの消費が、認知機能の低下やアルツハイマー病、パーキンソン病のリスクを低減する可能性を示唆する研究も発表された。

抗がん作用と長寿

実験室レベルの研究では、レスベラトロールが「長寿遺伝子」として知られるタンパク質を活性化させたり、がん細胞の増殖を抑制したりする可能性が示された。

以上の発見は、赤ワインの健康効果を、さらに強固にしたように見えた。しかし、ここには重大な注意点が存在する。実験で観察された効果が出る必要量のレスベラトロールを、ワインから摂取しようとすれば、非現実的なガブ飲みが求められるのだ。実験室での有望な発見は、必ずしも日常の食生活に直結しない。

レスベラトロールの構造図と構造式

レスベラトロールの構造図と構造式

2. 公衆衛生の逆襲: WHOの「安全レベル無し」宣言

常識を転覆させた2023年の声明

フレンチ・パラドックスによって築かれた「適度なワインは健康によい」という常識は、2020年代に入り、大規模で精密な疫学研究から激しい挑戦を受ける。議論のパラダイムを根底から覆したのが、世界保健機関(WHO)による2023 年の声明だった。

2023 年1 月4 日にWHO は、「アルコール消費について、健康に悪影響を与えない安全な量は存在しない」という声明を発表した。その核心をなすメッセージは、以下2点に集約される。端的に言えば、アルコール(エタノール)という分子の全否定である。

健康リスクは「最初の一滴から」始まる

科学的に「これ以下なら安全」と言えるレベル(閾値)は存在しない。飲む量が少ないほど安全である。

有害なのはエタノールそのもの

問題の源は、ワイン、ビール、蒸留酒といった酒の種類や価格、品質ではなく、そのすべてに含まれるエタノールという分子そのものであると指摘された。ワインが他の酒類より「健康的」であるという考え方は明確に否定された。

WHOの声明は、同機関のウェブサイトで全文の閲覧が可能

科学的根拠: がんリスクと世界的疾病負荷研究

WHO のアンチ・アルコール声明が強烈なインパクトを持ったのは、長年蓄積されてきた科学的根拠に支えられていたからである。複数の大規模メタアナリシス(多数の研究を統合して分析する手法)が、WHOの主張を支えている。そうしたメタアナリシスのいわば集合体が、「疾病負荷に関する世界的研究 (GBD)」だ。これは、世界中の病気、傷害、危険因子による健康損失を定量化する、最大級の疫学的研究プロジェクトある。GBDの知見が、WHO 声明の科学的基盤となった。

まず、議論の中心は、心血管疾患から、がんへと大きくシフトした。WHO が強調したのは、アルコールが国際がん研究機関 (IARC) によって、最もリスクが高い「グループ1」の発がん性物質に分類されているという事実だった。アスベスト、放射線、タバコと同じカテゴリーである。

アルコールはグループ1の発がん性物質.

その上で、アルコール消費量とがんリスクの間に明確な用量反応関係がある、つまり飲酒量が増えるほどリスクも直線的に増加するのだと、WHOは主張した。リスクは、1日1杯程度の少量から始まる。心血管疾患で見られたようなJカーブは、がんリスクには存在しない。

次に、「少量でもハイリスク」が、疫学研究から明確に示された。ヨーロッパ地域におけるアルコールが原因のがんのうち、半数が「少量」から「中等量」(週にワイン1.5 リットル未満)の飲酒によって引き起こされているというデータである。「大量飲酒さえしなければ安全」という従来の考えは、あっさり覆された。ただし、上述の「半数が少量から中等量」という比率については、他の研究機関が複数、欧州において11~13%という数値を出しており、大きな乖離は気になる点である。

3. 新たな定説へのグローバルな反応

「NoLo」の台頭と大流行

WHO のメッセージは、健康意識が高い消費者の間で、アルコールとの付き合い方を見直す大きなきっかけとなった。当該の声明だけが原因ではないものの、世界的にアルコールの消費量は減少傾向にあり、とりわけ若い世代で顕著である。2013年にイギリスで始まった、「ドライ・ジャニュアリー(Dry January)」のキャンペーン(毎年1月の1ヶ月間、酒抜きで過ごす活動)は、欧米各国に広がり、年々参加者が増えている。

過去数年、野火のように広がったのが、ノンアルコールおよび低アルコールの飲料(NoLo)だ。ワインにおいては、アルコール低減技術の進歩により、アロマや味わいが格段に向上したのも急成長の要因になっている。NoLoは、特に若者(ミレニアル世代、Z世代)に人気であり、WHO声明の前からこの年頃の男女は、年長者の飲酒カルチャーを受け継いでいないと指摘されていた。完全に断酒するわけではないものの、飲酒量を減らしたり、あえて酔わない選択をしたりするライフスタイルを選択する者が多く、「ソーバキュリアス(Sober Curious)」と呼ばれる。

国際ワインアカデミーの公開書簡

アルコールから遠ざかろうとする消費者を、業界は当然引き留めにかかる。あらゆる酒類の中でもワインは、『60ミニッツ』という震源地に深く結びついていたため、とりわけ大きく、WHO声明に反対の声を上げた。現時点までになされた最強のアピールは、国際ワインアカデミー (Académie Internationale du Vin – AIV) が、2025年9月に公にした書簡だろう。同アカデミーは、1971年に設立された国際フォーラムで、世界20カ国に約100名の会員がいる組織だ。ワイン生産者、研究者、報道関係者らが会員で、誰もが知る超の付くパワー・エリートたちが、名簿には並ぶ。公開書簡は、後述する「非感染性疾患(NCD)ハイレベル会合」の直前に発表された。

AIVの声明文(2025)

AIVの声明文(2025)

AIVが放ったメッセージは、WHOに対し科学的データのみで反論するのではなく、議論の土俵そのものを変えようとした。「ワインを問題・危険視する(To Denormalise Wine)」と何が起きるかを、国家元首・高官に向けて説いた力強い文章で、同アカデミーのウェブサイトで閲読できる(英語またはフランス語)。主張のポイントをまとめると以下のようになる。

分子を超えた価値

書簡は、ワインを単なる「アルコール分子」に還元する考えを強く批判し、それが8000 年にわたる人類の歴史、陽気な集いの触媒、土地との繋がり、平和と友情の象徴だという文化的・人間的側面を強調した。

節制の文化

適度なワインの楽しみは、「乱用ではなく感謝」し、「飲むのではなく味わう」という、「味覚と節制の文化」を守る営みだと位置づけた。ここには、アルコール問題を、個人の責任と教養の領域へと引き戻す狙いがある。

バランスの取れた規制の要求

政策決定者に対し、過剰摂取とは戦う一方で、節度の価値を認め、公衆衛生を守りつつも文化の豊かさと伝統を尊重するよう求めた。

科学的議論を継続する必要性

2024年のNASEM報告書(次項参照)の結論を引きつつ、大規模なランダム化比較試験の実施を求めた。

AIV の声明は、WHO が展開する「エタノールは発がん性物質である」というシンプルかつ純粋な科学的議論に対し、ワインは「文化遺産」であり、健康リスクだけで測られるべきではないと、価値観を問う反論を提示した。

科学的逆襲: 2024年NASEM報告書

AIVの書簡を科学の世界からバックアップしたのが、2024 年12 月に発表された米国科学・工学・医学アカデミー (NASEM) による報告書、「アルコールと健康に関するエビデンスのレビュー」である。同報告書は、米国議会の要請に基づき、次期(2025-2030 年)の米国食事ガイドライン策定のための科学的根拠の提供を、その目的としていた。以下に述べる報告書の結論は、WHO声明とは大きく異なっている。

全死亡率の低下

報告書で最も注目すべきなのは、「アルコールを全く摂取しない場合と比較して、適度なアルコール摂取は全死亡率の低下と関連している」という結論(中程度の確実性)。この分析は、上述のJカーブ仮説を再肯定する形となっている。

心血管疾患への利益

同様に、適度な飲酒は心血管疾患による死亡リスクの低下とも関連していると結論付けられた。

がんリスクの限定的評価

女性の乳がんリスクの増加(10%増)が確認された。しかし、他のがんについては、適度な飲酒レベルでのリスクを結論付けるには、エビデンスが不十分であるとされた。

NASEM報告書の登場からは、アルコールと健康をめぐる科学的議論が、決して一枚岩ではないのが伺える。批判者たちは、NASEMの報告書が依然として交絡因子(たとえば喫煙習慣)の多い観察研究に重きを置きすぎている、あるいは健康への利益を示さない、メンデルランダム化研究(遺伝子型の情報を用いて因果関係を検証する統計学的手法)を軽視していると指摘する。WHO/NASEMの対立構図は、アルコール研究における大方針の溝をも浮き彫りにしていて、WHO が「がんリスク」という特定の指標に焦点を当てるのに対し、NASEM は「全死亡率」というより包括的な指標を重視した。指標選択の違いが、正反対とも言える結論を生んでおり、科学のフィールドで白黒が付くにはまだまだ時間がかかりそうだ。

カム・オーヴァー・オクトーバー(Come Over October)

イギリス発の禁酒キャンペーン「ドライ・ジャニュアリー」に対抗したのが、アメリカ発のワイン消費キャンペーン「カム・オーヴァー・オクトーバー(Come Over October)」である。提唱者は、米国きってのワイン教育者であるカレン・マクニールで、2024年10月に開始されたばかりだが、早くもグローバルな広がりを見せ始めているという。同キャンペーンは、毎年10月に友人、家族、同僚を家に招き、ワインを囲みながら親交を深めるのを目的にしている。多忙な現代社会で失われつつある人と人との絆を再構築し、ワインを飲み交わすというシンプルな行為を通じて、寛容さや思いやりの重要性を再認識しようというのだ。身体面の健康とは直接的な関係はないが、ワイン(あるいは酒)の社会的価値を、改めて称揚して見せたのには大きな意味があろう。

4. アルコール論争の社会的側面

税収と社会的コストの比較

アルコールと健康をめぐる議論は、個人のリスクというミクロな視点だけでなく、経済、社会階層といったマクロな文脈の中でも捉える必要がある。まずは、国単位での銭勘定がどうなるかだ。

一国の政府にとってアルコールの規制は、公衆衛生と経済的利益を天秤にかける行為だ。「偉大な社会・経済的実験」と呼ばれた米国の禁酒法(1919~1933年)は、大失敗に終わった。密造酒が公然と取引され、もぐり酒場が大繁盛し、「飲酒量を減らす」という公衆衛生上の目論見は露と消えた。酒業界からの巨大な税収が失われた。マフィアの暗躍と警察の腐敗によって、治安も悪化した。

現代において、アルコールをめぐる天秤は、どんな傾きをしているのだろうか。イギリスを例に見てみよう。2024 年にアルコール問題研究所 (IAS) が発表した分析によると、イングランドにおけるアルコール関連の年間社会的費用(2024年推計)は、約270 億ポンドに達する。内訳は、国民保健サービス (NHS) への負担が約50 億ポンド、犯罪・治安関連費用が約150億ポンド、経済生産性の損失50億ポンドなどだ。対して、アルコール関連の税収(2023-2024年度)は年間約130 億ポンドである。つまり、社会的費用が税収を2倍以上も上回っており、かなり深刻な不均衡と言わざるをえない。政府が、増税などの手段でアルコール規制を強めようとするには、十分な理由・状況だ。

アルコール・ハーム・パラドックス

「酒を十把一絡げにしてよいのか」という視点もまた、アルコール問題を社会学的に考察する上で大切だ。安いウォッカと高価なワインでは、生み出す依存症患者の数がかなり違いそうだと、我々の常識は告げてくれる。常飲する酒の種類および価格は、ドリンカーの社会経済的地位(socio-economic status – SES)によって変わってくる。これは、「アルコール・ハーム・パラドックス」という現象につながる。SESが低い層は、高い層と変わらない(あるいは少ない)量のアルコールしか摂取していなくても、関連の健康被害や死亡率が不釣り合いに高い。一見不合理な景色だ。

パラドックスを解明する鍵は、酒の種類と飲み方にある。まず、酒の種類について。研究によれば、SESが高い層はワインを好む傾向があるのに対し、低い層はビールや蒸留酒、RTD(缶チューハイなどの手軽なアルコール)をより多く消費する傾向が見られる。飲酒パターンも、SESの高低で異なる。SES が高い層は、より頻繁に飲酒するかもしれないが、一度の飲酒量は少ない傾向がある。対照的に、SES が低い層では、高強度の「ビンジ・ドリンキング(短時間での過剰摂取)」の割合が高くなる(例えば、テキーラ一気飲みのような)。一度に大量に摂取する飲み方は、定期的・適度な飲酒に比べて、健康への急性的・慢性的な害が大きい。

アルコール・ハーム・パラドックスは、公衆衛生政策における重要な示唆を含む。WHOが推進する「エタノールはすべて同じ」という画一的メッセージは、科学的には一貫性があるものの、社会学的な現実を見過ごす可能性がある。ワイン業界が、「我々の文化は酒一般とは違う」と主張するのも、ここに根がある。

ネオ禁酒法への道か?

今日のアルコール規制強化の動きを理解する上で、失敗に終わった米国の禁酒法と、簡単な比較をしておくのは有効だろう。

禁酒法時代、ニューヨーク市警捜査員によって下水道に廃棄される密造酒

禁酒法時代、ニューヨーク市警捜査員によって下水道に廃棄される密造酒

まず類似点から。動機は似ている。19 世紀から20世紀にかけてのアメリカの禁酒運動も、現代の反アルコール運動と同じく、公衆衛生の改善、社会秩序の維持、家庭の保護といった理念に根差していた。アルコールは家庭内暴力や犯罪、貧困の根源にして象徴だった。ただし、当時のアメリカの禁酒運動においては、米国内で強い勢力を持つ福音派プロテスタントの信仰に根ざす嫌酒感情、飲酒文化をもつカトリック移民(アイルランド系、ドイツ系、イタリア系)への反発が背景にあり、この点では現在のグローバルなアルコール規制とは事情が違っている。

一方、最大の相違点は、アルコール規制のストラテジーである。アメリカの禁酒法は、酒類の製造、販売、輸送のすべてを法的に禁止した。つまり、「撲滅」戦略である。対照的に、WHO などが主導する現代の運動は、撲滅ではなく「害の低減」を目的としていて、価格統制(課税)、入手のための物理的機会の制限、広告の規制といった、「コントロール」戦略を取っている。この戦略の差には、アメリカの失敗に学び、二の轍を踏むまいという意志が見て取れる。

5. 膠着状態の今と未来への道筋

非感染性疾患(NCD)ハイレベル会合 – 2025年9月

2025 年9 月25 日、ニューヨークの国連本部において、「非感染性疾患(NCD)の予防と管理に関する第4 回ハイレベル会合(HLM4)」が開催された。この会合の主目的のひとつが、アルコール関連疾患を含むNCDに対する世界的な行動指針を定めた、新たな「政治宣言」の採択だった。宣言の草案には、WHOが推奨する科学的根拠に基づいた、費用対効果の高い介入策(上述の「コントロール」戦略)が含まれていた。

ニューヨーク国連本部会議場

ニューヨーク国連本部会議場

しかしながら、この会合では全会一致が得られず、採択は頓挫する(後日の国連総会本会議での継続審議となった)。コンセンサスが形成されなかった主な理由は、土壇場でアメリカが反対を表明したためだ。米国のロバート・F・ケネディ・ジュニア保健福祉長官が表明した反対理由は、「宣言案が国連の本来の役割を超えている」など多岐にわたったが、どれも的から少しずれていて、「反対のための反対」だった感が否めない。背景には、米国内アルコール業界からの強烈なロビー活動に加え、保守的な政治情勢や、国際機関による国内政策への介入に対する警戒感があると見られている。100年前、禁酒法が施行されていた国とは思えない変節ぶりだ。

WHO世界アルコール行動計画

国連の政治レベルでの合意形成が難航する一方で、WHOはより技術的かつ具体的なレベルで、アルコール規制のロードマップを着実に推進してる。中核となるのが、「世界アルコール行動計画 2022-2030 (Global Alcohol Action Plan 2022–2030)」だ。この計画は、2022年5月の第75回世界保健総会で加盟国によって承認されており、WHO の活動基盤になっている(2023年の声明発表も、当計画の一部だと言える)。

計画の主目標は、「2030 年までに、世界の一人当たりアルコール消費量を、2010年対比で20%削減する」である。実行戦略の中核をなすのは、「SAFER」と呼ばれる、5 つの費用対効果が高い介入策のパッケージだ。すなわち「S = Strengthen (強化): アルコールの入手可能性に関する規制を強化」、「A = Advance (推進): 飲酒運転対策を推進・徹底」、「F = Facilitate (促進): スクリーニング、簡易介入、治療へのアクセスを促進」、「E = Enforce (施行): アルコールの広告、スポンサーシップ、販売促進の禁止または包括的制限」、「R = Raise (引き上げ): 酒税と価格政策を通じてアルコールの価格を引き上げる」。これらは、各国の保健関係省庁が、国内でアルコール政策を推進する際に、具体的な「メニュー」となるのが想定されている。

6. まとめ

本記事が明らかにしてきたように、アルコールと健康をめぐる現在の状況は、かつてないほど複雑で、二極化している。一方には、あらゆるレベルのアルコール摂取を発がんリスクと結びつける強力な科学的エビデンスが存在する。もう一方には、適度な飲酒と全死亡率低下の関連を示唆する科学的エビデンスと、ワインを単なるエタノールを超える「文化」として位置づける深い伝統がある。現代のワイン愛好家に求められるのは、禁酒か無知・無視かという二択ではなく、「わかった上で向き合う」という姿勢だろう。一杯のワインを飲むかどうかは、極めてパーソナルな判断だ。個々人が己の価値観、健康状態、人生の喜びを秤にかけて、口に含むかを決める。そのための材料は、少ないよりは多いほうがよい。

ヘレニズム時代のモザイク画に描かれたワインの神ディオニュソス

ヘレニズム時代のモザイク画に描かれたワインの神ディオニュソス

豊かな人生を、ワインとともに

(ワインスクール無料体験のご案内)

世界的に高名なワイン評論家スティーヴン・スパリュアはパリで1972年にワインスクールを立ち上げました。そのスタイルを受け継ぎ、1987年、日本初のワインスクールとしてアカデミー・デュ・ヴァンが開校しました。

シーズンごとに開講されるワインの講座数は150以上。初心者からプロフェッショナルまで、ワインや酒、食文化の好奇心を満たす多彩な講座をご用意しています。

ワインスクール
アカデミー・デュ・ヴァン