スティーヴン・スパリュアが語る世界のワイン最新事情

凡庸はワインの敵 Mediocrity is the enemy of wine

私のDecanter誌へのコラム掲載は今回で200回目となる。マイケル・ブロードベント氏が397回目の健筆をふるっているのに比べれば随分低いスコアではあるが、ここで少し振り返ってみたい。

100回目のコラム(2002年2月)では、ジャック・ラルディエール氏のワイン造り30周年をお祝いするため、ルイ・ジャドが前年にボーヌ市のオテル・デューで開いたテイスティングの模様と、ディナーの席でふるまわれた1911年のコルトンが素晴らしかったことを書いた。ジャドには後日、1865年のコルトンまで遡ってテイスティングする機会を与えて頂いたのだが、それ以上に心に残っているのは「ワインは常にサプライズをもたらすべきだ、その要素がなければワインは死んでいるに等しい」とのラルディエール氏の言葉である。但し彼は「嬉しいサプライズをもたらすべきだ」とは言わなかった。それだと「予想に近かった」とか、場合によっては「予想を上回った」といった意味になるが、「サプライズをもたらすべきだ」とは、予想もしていなかった何かを与えてくれる、という意味である。

こうした考えはラルディエール氏のような芸術家であればこその持論かもしれないが、逆もまた然りで、「凡庸はワインの敵」であると言える。Decanterの20ポイント採点法では、基礎点の10ポイントが「良くない」、11ポイントが「劣った」、12ポイントが「凡庸な」である。下の2つは欠陥があるか殆ど飲むに値しない、として切り捨てられるが、3つ目は落胆を伴う分、むしろ問題は大きい。13ポイントの「適度な、十分な」ならば改善の余地があると示せるが、「凡庸な」では全く気落ちするのみである。

Decanter誌の創刊21周年記念号(1996年9月)では、ワインをより楽しく飲むための21のヒントを読者に示した。19番目のヒントは「退屈なワインや落胆させるようなワインなら我慢などせず、他のワインを開けること」であった。1番目のヒント「常にコルク栓抜きを携帯するか、そういう人を連れて歩くこと」は、スクリューキャップ式ワインの選択肢が増えたことでその価値が薄れてしまったが、18番目のヒント「食べ物に合わせるのでなく、気分に合ったワインを飲むこと」はますますその通りだと思う。

このアドバイスはジーニー・チョ・リー女史 (MW) の “Asian Palate”(アジアの味覚)という本でも一貫している。彼女はMaster of Wineとなった初のアジア人で、これもオーストラリア初のMWであるマイケル・ヒル・スミス氏や筆者と共同で、シンガポール航空のワイン・コンサルタントを務めている。その人がアジアの10都市をカバーした著作の中で、「食べ物は場所に支配される」との結論に至っている。

ワインも然りであるが、アジアでは初めに食べ物ありきで、しかも多くの皿が同時に並べられて取り分けられるため、いずれにもぴったりとマッチするワインを選ぶことは不可能だ。そこでチョ・リー女史は「過大な期待を持つことはせず、気分に合わせて飲むこと」と助言している。全く同感である。

私個人のセラーに置いてあるワインの中で、ラベルの印象度がどんなに強烈であっても、(ランチには言うまでもなく)飲みたい気分に殆どならないワインは、アルコール度数14%以上のものである。ラルディエール氏は「ワインはサプライズをもたらすべきだ」と言うが、私はむしろ「ワインは大抵の場合、味覚を次の一口に備えてリフレッシュすべきだ」と考える。

ブロードベント氏はクラレットを語る時、1960年代の真空掃除機の宣伝コピー ‘It beats as it sweeps as it cleans’(鼓動する・一掃する・清らかにする)を今も使っている。ワインは感覚を活性化させ、例えばラム・チョップの風味を流し去り、味覚をクリーンにしてくれるものであり、それはアルコール度数16%のジンファンデルには決してできない芸当である。ワインが食べ物を調和させるのではなく支配してしまいそうなら、単独で飲んだ方がよい。

昨今の高アルコール分は気候温暖化による余分な「生理的成熟」(フェノールの成熟)がもたらした結果であり、果実味がより表われている、と多くのワイン生産者が主張している。私の乳母は意見が異なる時に「そうと決まった訳じゃないわ」とよく言ったものだが、私はむしろ、カリフォルニア州のリッジ・ヴィンヤーズで40年に渡ってワイン造りを続けているポール・ドレーパー氏の「高アルコール分はワイン生産者が選択したものであり、地球温暖化でそう決まっている訳ではない」という意見の方に与する。

ワインにとって地球温暖化は悪いことではないが、グローバル化はどうやら悪だったようだ。この10年間にコングロマリット(複合企業体)がワイン業界に参入してきて、個人や家族が長年かけて作り上げたブランドを買収し、ブランドの価値自体を(それが生まれた理由よりも)優先し、以前のオーナーの哲学を切り捨て、方向を見失い、顧客も失い、お金さえも失って、多くが撤退してしまい、至るところにマイナスの影響を残していった。

ヒル・スミス氏は、アデレード・ヒルズでいとこのマーティン・ショー氏と「ショー&スミス」というワイナリーを経営している人物である。私が「おそらく家族経営が依然として最良のワイン生産モデルだと思う」と言うと、彼は地域性をより重視する立場から「中小のワイナリーが良質で地域性の高いワインに注力することこそが、オーストラリアの進むべき道だ。我々にはそういう生産者も、その様なワインも、そうする意思もある」と答えてくれた。大規模経営は必ずしも悪ではなく、小規模経営は必ずしも生易しいものではない。キーとなるのは独立性である。

世界中の家族経営のワイン生産者を一瞥してみれば、大手も中小も、ブドウ畑を自ら所有し、醸造過程を自分で管理し、上から下まで自社のブランドをマネージメントしていることがわかる。彼らの名前が安堵感を呼び起こすとすれば、彼らにとって地域性と独創性が第一に来るからであろう。彼らは自らの主人であり、短期的な結果など求めてはいない(ワイン生産は短期的どころの話ではない)。独立して初めて、全てにおいて長期的なプランニングと品質への投資が可能になるのであり、消費者もその恩恵にあずかることができる。その独立性が保たれる限り、ワインの未来は明るい。
2010年6月(翻訳:土田博文)

スティーヴン・スパリュア Steven Spurrier

アカデミー・デュ・ヴァンの創立者・名誉校長。1970年、29歳の若さでパリのシテ・ブリエ通りにワインショップ「カーヴ・ド・ラ・マドレーヌ Caves de la Madeleine」を開店。その後、1972年にはワインショップの隣に世界初のワイン愛好家向けスクール「アカデミー・デュ・ヴァン Académie du Vin」をオープンした。
1976年に主催したフランスワイン対カリフォルニアワインの比較試飲会、通称「パリ対決 Paris Tasting」は、20世紀後半のワイン界を震撼させ、歴史を変えたテイスティングとして伝説になっている。

現在は、英国のワイン雑誌Decanter Magazineの主席編集顧問として、日々世界中のワイン産地を飛び回りながら旺盛な評論活動を続けている。近年、高品質スパークリングワインの新産地として注目を集めるイギリス南部の所有地にブドウを植え、ワイン生産にものりだした(最初のハーヴェストが2010年、初ヴィンテージ発売が2014年)。栽培品種は、シャンパーニュ地方と同じピノ・ノワール、ピノ・ムニエ、シャルドネ。伝統的醸造法を用いた3品種使用のアッサンブラージュ・キュヴェのほか、シャルドネ100%のブラン・ド・ブランの生産も予定されている。