連載コラム

おおくぼかずよの「男女の友情は成立するか?それはさておき日本酒の話」 Vol.07 2018_04_13

こんにちは。日本酒講座担当のおおくぼかずよです。今年の春は暖かいですね。桜も例年より早く開花しています。皆様、お花見には行かれましたでしょうか?

桜の下でお酒を飲んで楽しむ現代のお花見文化は、豊臣秀吉が京都の醍醐寺で行った「醍醐の花見」が始まりだと言われております。豊臣秀吉が数か月かけて近隣諸国から集めた約700本もの桜を醍醐の山に植えさせ、そこで宴を催したという有名な逸話ですが、それ以前はお花見とは貴族が庭の桜の下で歌を詠むというような優雅なものだったそうです。そして実はもうひとつ、日本のお花見文化には違うルーツがあるというのをご存知でしょうか。今日は日本の象徴でもある桜と日本酒のお話です。

古事記に書かれるイザナギノミコト、イザナミノミコト、天照大神などよりも昔々・・・ 縄文、弥生時代の古代の日本人は「サ神様」という山の神様を信仰していました。

日本人が農耕民族になった頃、サ神様は田の神様にもなり田植えの頃に里に降りて来て終わると山へと帰っていかれました。サ神様は桜の木を目指して山から降りていらっしゃったそうで、サクラという名は「サ」はサ神様、「クラ」は座(神様が鎮座する「台座」のこと)に由来しています。

サ神様の依るサクラ(サ座)の木の下で、サ神様にサケ(酒)とサカナ(サケ菜・肴・魚)をササゲテ(サ・下げる:神様は実際には召し上がらないので下げる)、人々がオサガリを頂く。サ神様へのお供え物を地面に直接置くというのは失礼なのでと乗せた器が「サラ」(皿)。皿の「ラ」は、腹の「ラ」や原っぱの「ラ」で、広いという意味を持った古語であり、皿とは広い器という意味。お供え物に飛んでくる虫を追い払う道具が山の神聖な植物であるササ(笹)、後世になって神道が体系化されてくるとササに変ってサカキ(榊)が登場し、今もお祓いに使用されています。

お供え物をするだけではなく、サ神様のために歌ったり踊ったり雅楽を催したりもしました。これらを見物してもらう一段高いサ神様のための見物席がサジキ(桟敷)、庶民は低い地面の芝の上に居たので芝居という語が生まれたそうです。

このようにお花見文化のもうひとつのルーツは、サ神様をもてなし、五穀豊穣を願った事がはじまりです。桜の木の下で日本酒を飲みながらサ神様からの祝福、つまりサイワイ(サ祝い)を頂いていたんですね。サ神様が千も集まってほしいという思いを表す「サチ(サ千)多かれ」という言葉は、今でも相手の祝福を願うときに使います。

今年の東京の桜はすでに葉桜ですが、東北地方の見頃はちょうどこのコラムをお読み頂く頃でしょう。ちなみに桜と名のつく日本酒は山形県「出羽桜」や栃木県「四季桜」などがありますが、米にも桜にちなんだものがあり、青森県の酒造好適米「華吹雪」は県を代表する弘前城の桜が見事に吹きほこる様から命名されています。

最後に日本酒には「オササ」という呼び名がありますが、これは室町時代初期頃から宮中や院に仕える女性が使うようになった女房詞(にょうぼうことば)だというのが一般的です。最初の言葉を重ねて表現するなどの使い方があり、他に鰹節を「おかか」というのも女房詞から来ているそうです。

【参考文献】
「酒と桜の民族」西岡秀雄 (弥生叢書)