連載コラム

連載コラム:伊東道生の『<頭>で飲むワイン 』 Vol.35 2014.03.10

巡礼のワイン

 今年の冬は寒くて、春が恋しいですが、Revue de Vin de France誌では、地中海および南西地区ワインのサロンが行われことと、それと同時に一足先に春の旅行とでもいいましょうか、コンポステラ巡礼街道のワインが紹介されています。

ヨーロッパ中世には、三つの聖地がありました。一つは、イェルサレム、イエスその人の活動した地です。イエスとワインの話はいろいろとありますね。水をワインに変えた奇跡とか、我が血をワイン、我が肉体をパンと称したとか。キリスト教や、とくに中世の修道院での作業がなかったなら、ワインはかなり違ったスタイルになっていたのかもしれません。
イェルサレムへの巡礼は、中世では、むしろ聖地奪回のための十字軍となりました。キリスト教の王国が建てられたところでは、修道院がつくられ、ブドウが植えられました。イエスが飲んでいたワインはローマ時代のものですので、香辛料や蜂蜜が入ったワインかもしれませんが、この頃にはローマ時代に銘醸酒といわれたファレルヌムはもう姿を消し、キプロスのワインを筆頭に、甘口ワインが高級酒と見なされていました。
もう一つの巡礼地は、ローマのヴァチカン。イエスの弟子十二使徒の一人ペテロ。英語ではピーター、フランス語ではピエール(ともによくある名前)、イタリア語ではピエトロ、ドイツ語ではペーター(ハイジの友達!)、スペイン語・ポルトガル語のペドロ、ロシア語のピョートル(ロシアの皇帝)、ラテン語のペトリュス(例のボルドーで最高値のワイン)と、その名前はいろいろにものにもついています。そのペテロのお墓が、実はサン・ピエトロ寺院の由来です。
 そして三つ目が、イェルサレムで殉教したといわれる聖ヤコブのお墓があるとされる、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラです。聖ヤコブは、スペイン語でサン・チャゴ、フランス語ではサン・ジャック、英語では、セント・ジェイコブもしくはセント・ジェームズになります。
 イェルサレムで斬首されたはずのヤコブなのですが、星に導かれた羊飼いが、サンティアゴ・デ・コンポステーラで、「偶然にも」聖ヤコブの墓を見つけ、その後に遺骨を祭った聖堂が建てられました。時は、レコンキスタ、キリスト教勢力によりイベリア半島の再制覇のひとつのピーク時期。「偶然」は、きわめて恣意的なものです。キリスト教勢力がイベリア半島を制圧する行動のシンボルとして熱狂的に崇められ、聖ヤコブは、スペインの守護聖人とされます。さらに巡礼を後押しした事情があります。平安時代に末法思想が広まり、それがやがて鎌倉の新仏教につながりましたが、ヨーロッパでもヨハネ黙示録で預言された、人類千年滅亡説とともに十一世紀頃、巡礼はピークになります。人々は、末世の時代、宗教に救いを求めます。
サンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼街道は、フランス語では、レ・シュマン・ド・サン・ジャックles chemins de St-Jacquesといい、最初の「レles」は、複数の定冠詞です。つまり巡礼街道は、いくつかあります。
そのうちのメインの街道は、パリのサン・ジャックの塔を出発点にします。パリのほぼ真ん中、シテ島からセーヌ川を渡って、ほぼ真北にサン・ジャックの塔があります。サンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼街道の道は、ここから始まります。 
 この塔は、もともとサン・ジャック・ドゥ・ラ・ブシュリー教会の鐘楼部分でした。ブシュリーとは肉屋の意味で、この周辺に肉屋が多かったことが名前の由来です。近くのレ・アールも今は商業地ですが、昔は大きな卸売市場でした。この教会はフランス革命時に破壊され、あとにこの塔だけが残りました。その後1836年にパリ市が買い上げ、1850年代に建築家テオドール・バリュによって改築されました。
また、この塔はパスカルが大気圧の実験をしたことでも知られています。低気圧や高気圧のヘクト・パスカルに名前が残っていますね。パスカルは、十七世紀の人で、「人間は考える葦である」―人間は自然のなかで小さな存在だが、思考によって自然を超える可能性をもつ存在である―という有名な文句が載っている『パンセ』の筆者です。実験を記念して、塔の真下にパスカルの全身像が飾られ、塔上部には気象観測装置が置かれ、パリの空気汚染などが測られています。
 パリからサン・チャゴへの巡礼街道の途上に、ボルドーや南西地区があります。ボルドーと言えば、なによりもまずワインが思い浮かびますが、ボルドー市自体は、かなりの商業都市です。何も知らずに旅行で行ってみると、ごくふつうの、もちろんその歴史は感じますが、どこにでもある大きな都市です。ワインをはじめ、輸出の港としても栄えているので、当たり前といえば、当たり前ですが。というよりも、むしろ中世、十三世紀ごろでも、今のガロンヌ川とドルドーニュ川の間、AOCでいう「アントゥル・ドゥ・メール」―大河に挟まれた土地なので、Entre-Deux-Mers(2つの海の間)と呼ばれます―とかボルドー周辺のプルミエール・コート・ド・ボルドーとかに葡萄畑はあっても、今わたしたちが、思い浮かぶメドックに葡萄はほとんど植えられていませんでした。よく知られているように、ボルドーは長い間、イングランドの支配地で、そのためボルドーワインの価格は、ロンドン市場で決まっていました。当時、イングランドにワインを供給していたのは、南西地区を含むアキテーヌ全体でした。またイングランドの王室へのワインは、その四分の三はボルドーから輸出されたものでした。
 また南西地区は、日本ではそれほど人気もなく、知名度もかなり低いですが、カオールのワインなどは代表格の一つです。
 ガロンヌ川につながるロート川沿いの地域は二つの黒いものを産出する、と言われています。インクのように色の濃いMalbec種のカオール・ワインと十八世紀の食の評論家ブリア・サヴァランが、「黒いダイヤ」と名付けたトリュフです。RVF誌の二月号は、この特集をしていましたが、それによると、十九世紀当時は、トリュフの収穫量は、現在の40倍だったそうです。
 カオールの北にはペリゴール地方があり、ここがむしろトリュフの本場と言えます。地元のモンバジャック・ワインと、トリュフを豪快に丸ごと包み焼きにしたものは、たまりません。

 さて、RVF誌の推薦する五つのワインを挙げておきます。日本ではまず、お目にかかれないでしょうが、観光やビジネスの際のご参考に。
・Marcillac,"Exception" 2010, Valon 9 €
・Cahors Serre de Bovila 2009
  Philippe Romainが、2008年から生産。マルベック種のみ。13,95 €
・Côtes du Brulhois "Le vin Noir" 2009
  Les Vignerons du Brulhois
  カベルネ・フラン、メルロのほか、アキテーヌ地方のピレネー山脈が原産地と言われているtanna種の混合8,50 €
・Madiran 2011, Château Viella Fontaina
Plaimontの栽培者が2001年に飢えた葡萄からつくられている。 25%がカベルネ・ソーヴィニオン、 75% が tannat。12 €
・Irouleguy "Mignaberry" 2011 , Les Vignerons d’Irouléguy
イルレギーは発音が難しいフランス語の一つです。バスク地方にはいります。10,40 €.

聖ヤコブの象徴は「ホタテ貝」です。伝説ではヘロデ王よって斬首されたヤコブの遺骨が船に乗って運ばれる時に船底に沢山の貝殻が付着したのを表すのだとか、ある騎士が海に落ちて溺れそうなところを、「ヤコブさま、お助けください」と祈り、助かったところ、体にホタテ貝がついていたとか、いろいろと言われています。そのため、ホタテ貝は、巡礼者のシンボルとなっており、巡礼証明書と呼ばれるクレデンシャルとともに巡礼者の必需品となっています。またフランス語で、ホタテ貝は、そのまま「聖ヤコブの貝」(coquille Saint-Jacques、コキーユ・サンジャック)といいます。

さて、ここで問題。ボルドーのワインで、今も巡礼街道の名残のホタテ貝のエチケットのワインがあります。ホタテ貝がデザインされています。なんというワインでしょうか。

シャトー・カルボニュというグラーブ地区ペサック・レオニャンにあるシャトーで、優れた辛口の白と赤ワインをだしています。