連載コラム

連載コラム:伊東道生の『<頭>で飲むワイン 』 Vol.07 2011.11.21

ブルゴーニュの今昔物語

今月のLa revue du vin de France は、Bourgogne rouge 2009、101本のグラン・ブルゴーニュ・ルージュの試飲特集です。
最低価格15ユーロから、ということですが、見ると、価格の高騰はすさまじいものです。「夢のワイン」というカテゴリの最高得点は、ルロワの シャンベルタンが1500ユーロ、ミュジニが500ユーロ、ポンソPonsotのクロ・ド・ラ・ロッシュが、225ユーロなどです。その次の「秀逸なワイン」と「偉大なワイン」にずらりと並ぶ中で、二桁のものを探すと、Confuron-Cotetidotのマジ・シャンベルタンが90ユーロ、 Domaine des Lambraysのクロ・デ・ランブレイも90、Trapet Père et Filsのラトリシエール・シャンベルタンが80。15ユーロは、最下位でしたがVincent Dureil-Janthialのリュリーです。それにしても三桁の多いこと。ボルドーのシャトーほどではないですが、ドメーヌも大儲け?
 RVFで注目しているのが、Trapetのラトリシエール・シャンベルタン、上に挙げたConfuron-Cotetidot、Domaine de Montilleのポマール、Comte Liger-Belairのロマネ、そして、なんとMommesinのクロ・ド・タール。もっとも280ユーロもしますが。
注目すべき作り手も8人挙げられています。Kellen Lingnier、Pascal Roblet、Charles van Canneyt、Bertrand Maume、Anne Morey、Mugneret-Gibourgの姉妹Marie-AndréeとMarie-Christine、そしてJean-Pièrre Confuron。注目のドメーヌを覚えるのも、また大変です。今回は、これにちなんで、ブルゴーニュの歴史を。

ブルゴーニュは、一時ゲルマン人のブルグント族がいたので、ドイツ語ではブルグント、フランス語ではブルゴーニュと呼ばれていたのですが、14~15世紀の、いわゆる「中世の秋」(ホイジンガ)には、ソーヌ川を挟んで、西側がフランス王国に入るブルゴーニュ候領、東側がドイツの神聖ローマ帝国に入っていたこともあり、まことにややこしい地域です。実は、それ以前にも、ブルゴーニュを巡る争いがありました。
10世紀には、フランス王ユーグ・カペー(938頃-996)の息子ロベール敬虔王(972-1031)と神聖ローマ帝国のブルグンド伯であるオットー・ヴィルヘルムとのあいだで、ブルゴーニュ争奪戦があり、ディジョンを奪ったフランス側に有利なように、ブルゴーニュ地方の国境がひかれた、といういきさつがあります。
当時、ベルノン(850?-927)という修道士が、司教都市マコン近郊のクリュニー荘園内にベネディクト派の修道院を創設しました。それが、この争奪戦をきっかけにマコンやクリュニー修道院の庇護を名目に、カペー家がブルゴーニュにしゃしゃりでてきます。クリュニー修道院が、王家の離宮になったこともあり、諸侯たちも、修道院に資産や領地を寄進する。その結果、11世紀半ばから12世紀にかけて、クリュニー修道院が大いに栄えます。繁栄すれば、世の常。戒律もゆるみ、贅沢がはびこる。「一回の食事にワインが3、4種類も出され・・・蜂蜜を混ぜたり、香料の粉末がふりかけられ・・食卓をたてば、もう寝る以外はすることなし」と、修道士ベルナルドゥス(1090-1153)は批判しています。

この風潮に反旗を翻したのが、モレームの修道院長ロベルドゥス。1098年に、ボーヌ北のシトーの森に入り、その名からシトー会と称しました。シトー派修道院のはじまりです。
シトー派は、コート・ドールに地を得て、石ころだらけの、この土地を-実際、ニュイ・サン・ジョルジョの南には、コンプランシャンという石切場があり、クリュニー修道院にも、クロ・ド・ヴージョの建築材にも使われています-開発して、その恩恵を、私たちは今でも受けているわけです。クロ・ド・ヴージョをはじめ、シトー派の所有地や教会は、フランス革命のおかげで、分割され、破壊されましたが・・・。
シトー派教会は、ステンドグラスにも彩色をせず、幾何学模様で構成し、今から見ると、きわめて現代的です。写本も、一色に決め、彩色鮮やかなものは排除されます。たしかに、自然派が好きそうなストイックなスタイルです。
シトー派を教皇庁に承認させ、フランス宮廷からも尊重されるようになったのは、先にも挙げたベルナルドゥスのおかげです。この人は、政治的にも活躍し、マリア崇拝者で、幻視をする、ちょっと変わった人でした。
プロテスタントでは、聖書が唯一の信仰の規範とされ、マリア崇拝は否定されますが、カトリックでは、ギリシャ正教会などのマリア崇敬やマリア神学の伝統を受け継いでいます。マリア信仰は、もともとは、異教の要素があったもの、例えば、古代ローマ人の女神信仰をキリスト教に吸収して、変形させたものだろうと想われます。
ベルナルドゥスには、マリアを幻視して、マリアからしたたる乳が、唇をぬらして、霊力を得たというエピソードがあり、それに関する絵画も多く描かれています。ブルゴーニュでは、このマリアの乳のエピソードとワインが、なぜか結びつき、ブルゴーニュワインの付加価値が増し、人気が高まります。
マリアの乳(マリア・ラクタンス)に、霊力、救済力があるという考えは、今でもワインに伺えます。ドイツにリープフラウミルヒという名のワインがあります。マリアは、フランスでは、例えばノートル・ダム(我々の婦人)と呼ばれ、ドイツでは、リープフラウ(愛母)と呼ばれます。そのリープフラウの乳=ミルヒです。
今日も、聖母の乳を飲んで、力をつけましょう?

参考: 堀越孝一『ブルゴーニュ家』講談社現代新書
内藤道雄『ワインという名のヨーロッパ』八坂書房