連載コラム

連載コラム:伊東道生の『<頭>で飲むワイン 』 Vol.05 2011.08.25

civilité(シヴィリテ)というフランス語があります。形容詞の「civil市民の」とか、「civilisation文明」という名詞と関連する言葉で、「礼儀」を意味します。礼儀をわきまえたものが、文明化していて、文明社会にふさわしい、市民である、ということでしょう。
中世では、騎士集団の振る舞いは「礼節courtoisie」と言われていました。それは宮廷(cour)にふさわしいものでした。やがて絶対主義の宮廷では「礼儀civilité」という言葉が使われるようになります。そして17~18世紀頃には、一般社会に通用し、市民化し、「上品さraffinement」とか「文明化civilisation」という言葉に取って代わられるようになり、「文明」は、近代と人間一般を、肯定的に示す言葉となります。福沢諭吉も、西欧に習って『文明論之概略』という本を、明治のはじめ(1875)に書きます。
 肉食が明治期の「文明開化」の象徴となったように、文明化の過程は、食事作法、食事における礼儀の共有に典型的に見られます。文明化した社会では、例えば、スープを飲むときにフォークを使わないことが求められます。これは作法であると同時に、食事そのものの変遷も私たちに示しています。かつては、スープには多くの固形物が入っていて、それを食べるためにフォークを使っていたが、スープの形態が変わって、スプーンで「飲む」わけです。もっとも、フランス語ではmenger de la soupe、スープを「食べる」という言い回しは残っています。さらに共同の鉢から、銘々が一つのスプーンやフォークでスープを飲むこともなくなり、各人に個別にスープが供せられ、自分専用のスプーンをもつようになったこともわかります。
また、17世紀までは、礼儀作法書で述べられていた、育ちのよい人にとっては、食卓の上の大きな肉を上手に切り分けることが重要であるという項目はなくなります。肉の切り分けは、いわば舞台裏で行われるようになります。今では、ローストビーフの切り分けが、イギリス人家庭に残っているくらいです。
 フランスでは、18世紀には、知識層や台頭しつつあった中流階級が、宮廷社会に組み込まれ、宮廷のお作法が、貴族層と市民層に共有化され、言語もまた宮廷の言語が、フランスの言語になっていきます。革命を準備する啓蒙思想家もほとんどがそうした貴族層か上流市民層です。当然のことながら、作法にかなった食事をしながら、作法にかなった話し方も、礼儀として求められます。この点で、新たな市民層が19世紀になって、宮廷とは独自の作法と言語を作り上げていったドイツとは異なる様相を呈しますが、18世紀には、まだまだフランスから見れば、ドイツは文明化されていないところでした。
 1730年、ある上流階級のドイツ人女性が、婚約者に当ててだした手紙に、「手紙をドイツ語で書くこと以上に卑しいことはありません。」という言葉を記します。ドイツ語は中流、下流階層の言葉で、上流階級の人々、宮廷や社交界の人々にとって、ドイツ語は粗野で野蛮でした。ドイツという場所にあっても、フランス語を話し、フランス風に洗練されていることが、文明化され、礼儀にかなっているということになります。19世紀になっても、なお、ライン川を越えることは、野蛮の地へ向かう意味があったという趣旨を述べているフランス人貴族の女性もいます。
17世紀から18世紀のこの時代、フランスをはじめとする地中海諸国は「ワインの文明」と自負していたようで、フランス語で「ドイツ人のように飲む boire à l’Allemande 」とは、「大酒を飲む」ことを意味し、それもわめきながら飲むという、いたって洗練されていない評価を表していました。ましてドイツワインの評価となると・・・。実は、ヨハネスベルクなどのドイツワインはボルドーよりも高評価を得ていたのですが、ドイツ人のゲーテ自身がいみじくも言っています-「どんな善良なドイツ人もフランス人には、耐え難いが、フランスワインとなると、喜んで飲んでいる。」

 自分たちの食事を洗練されていて、他の地方の人たちを洗練されていない、という態度は、古代からあります。
 古代ギリシア・ローマ人の想定する、文明人と動物あるいは蛮人(バルバロイ)との相違は、「食卓の共有」でした。彼らは、食卓につくのは、単純に食べるためでなく、礼儀作法を守って、会話をしながら、会食をすることであり、それこそが、文明の標と考えていました。英語にconvivavility「酒宴」という言葉がありますが、ラテン語の、共同体として「一緒に生きるcon vivere」という考えからきていますし、「シンポジウム」の語源であるギリシア語の「シュンポジオン」は、食後にワインを飲みながら議論をする集団儀礼でもあります。もっともプラトンが『饗宴シュンポジオン』で描いたような議論ばかりでなく、単純な、どんちゃん騒ぎのこともありましたが。
 キリストの最後の晩餐も、こうした共同体の確認の証であり、同時に「ミサ」としての性格をもち、イエスの血と肉である、ワインとパンを、皆で分け合い、神への信仰を確かめるものです。
 イエスの晩餐で、ワインとパンが特別な意味を持ったように、単純に会食するだけではなく、何を食べ、何を飲むかも大事なことです。古代ギリシア人にとって、ワインを飲まずビールを飲むのは蛮人、またワインをそのまま飲むのも蛮人。文明化したギリシア人は、水、時に海水を加えたワインを飲む、というのです。
 現代では、会食よりも「個食」が増え、ワインの扱いも、水でわらない。氷を入れない、ワインと別のワインを混ぜない、ワインに蜂蜜や香料などの添加物を入れない、一人で黙ってテースティングをするというのが、お作法ですが、ギリシア人にとっては、現代人はなんと「野蛮に」写るでしょう!

参考文献:ノルベルト・アリエス『文明化の過程』、
マッシモ・モンタナーリ「食のシステムと文明のモデル」(『食の歴史Ⅰ』所収)