創立20周年記念連続セミナー 第9回 富永敬俊氏「フレイヴァー・ケミストリーがもたらすワイン造りの革命」 logo Column

 2007年7月23日(月)、ワインの香りの世界的権威であるボルドー第二大学の富永敬俊博士をアカデミー・デュ・ヴァン東京校にお迎えし、「フレイヴァー・ケミストリーがもたらすワイン造りの革命」のセミナーが開かれました。かなり難解なセミナーであるにも関わらず、会場は約70名の聴衆で満席となり、テーマに対する関心の高さが伺われました。講演録を、以下にとまとめています。

<試飲ワイン>
1. 2006 Cloudy Bay Sauvignon Blanc
2. 2006 シャトー・メルシャン 甲州きいろ香
3. 2006 シャトー・メルシャン 甲州きいろ香 (3MH増強バージョン)
4. 2006 シャトー・メルシャン 新鶴シャルドネ
5. 2005 Meursault / Albert Bichot
6. 2001 Chateau Pavie-Macquin
7. 1998 Chateau Pichon-Lalande

香りの標準物質をテイスティング
アカデミー・デュ・ヴァンでは過去にも、「良いワインの香り」「悪いワインの香り」というテーマでそれぞれセミナーをさせていただきました。今回はもっと「大きなテーマで」というリクエストをいただきましたので、「フレイヴァー・ケミストリーがもたらすワイン醸造の革命」というテーマでお話をいたします。自分自身、どこまでこのテーマを咀嚼して話せるか不安がないわけではないのですが、皆さんのご協力をいただきつつ進めていきたいと思います。
 まず、かけつけ3杯ではないですが、5種類の標準物質の香りをかいでいただきます。ワイン中に実際に含まれている物質です。香りが非常に強く、すぐ鼻が飽和してしまいますので、最初にかいでいただいて、そのあとワインをテイスティングするまでに少しのあいだ、鼻を休ませていただきたいと思います。

1.3ーメルカプトヘキサノール(3MH:2000ng/L) グレープフルーツ
2.3ーメルカプトヘキシルアセテート (3MHA:250ng/L) パッションフルーツ
3.メトキシピラジン(IBMP:30ng/L)青ピーマン
4.フュランメタンチオール (2FM:100ng/L) 焙煎コーヒー豆
5.ヴィニルガイアコール(VG: 500ng/L) クローヴ(スモーキー)

 1番目は、有名になった3MH、グレープフルーツの香りです。少し濃度を高めに設定しています。2000ngというのは、優良年に造られた高品質のソーヴィニヨン・ブランのワインに含まれているぐらいの量です2番目は、パッションフルーツそのものの香り。3番目は、枝豆、そら豆、青草の香りなどと表現されるものです。メトキシピラジンには3種類ありまして、これはイソブチル・メトキシピラジン、典型的な青ピーマンの香りをもつ物質です。4番目は、コーヒーの香りがする物質です。5番目は、クローヴ、スモーキーな匂い、あるいは歯医者で虫歯に詰める薬品のような香りをもつ物質ですね。
フレイヴァー・ケミストリーとは何か?
 まず、フレイヴァー・ケミストリーが、いったい何をもたらすかについて大きく説明します。昔は発酵というのは神頼みだったわけです。おサルさんがブドウをへこみに入れておくと、自然にワインができていたと。今はそこまで神頼みではないとはいえ、まだまだ発酵のメカニズムはわかっていない部分が大きいのです。その神頼みの発酵を、フレイヴァー単位でどこまでコントロールできるのか。もしコントロールができるとしても、その根拠が何かが大切になります。一番大事なのがトレンドですね。どんなに偉い醸造家が造ったワインでも、消費者が買ってくれなければ困るわけです。だから、造り手は消費者の好みにはとても敏感になります。消費者の好みを仲立ちする存在としてジャーナリストという人たちがいまして、ジャーナリストがトレンドを作りあげていくこともあります。 さて、そういうふうにトレンドに従ってフレイヴァーをコントロールしたワインが合法か違法か、ということなのですが、僕の目から見れば、コントロールするのは醸造学のひとつの進展だと言えるように思います。ただし、コントロールがワインの個性のグローバル化を導かない、という条件付きです。それを今日これから、皆様にお見せしていきたいと思います。
 フレイヴァーをコントロールできる機会というのは、ほとんど無限で、いつでもできるといえます。ブドウ栽培、果汁調整、発酵、熟成のいずれのタイミングでも、醸造家のイメージに従って、ある程度はフレイヴァー単位でコントロールできるわけです。また、フレイヴァーといっても単一のものではなく、グループになっているフレイヴァー単位でコントロールするのだと考えてください。
 フレイヴァー・ケミストリーの進展を知るということは、ターゲット・コンパウンドを知ることです。その場合のターゲット・コンパウンドとは、ある品種の品種香を担っている化合物、フランス語でいうティピシテの重要性がしっかりと認識された化合物ということになります。例として、これからソーヴィニヨン・ブランにおけるターゲット・コンパウンドの話をさせていただきます。
ソーヴィニヨン・ブランのアロマ構成
 ブドウ品種には、アロマティック品種とノン・アロマティック品種がありますが、ソーヴィニヨン・ブランは後者に属します。アロマティック品種とは、果汁自体がすでに香りを持っていて、ワインに変換されてもその香りが変わらないものです。身近な例としてミュスカがあります。いっぽう、ノン・アロマティック品種とは、ワインの香りと果汁の香りがイコールではありません。果汁は無臭に近く、やや青臭い香りを呈するだけで、印象的な香りをもっていません。ところが発酵後、得られたワインはその品種に応じたティピシテを獲得するようになるのです。例としてはソーヴィニヨン・ブランやセミヨンなど、多くの品種があげられます。
 ソーヴィニヨン・ブランは、数あるノン・アロマティック品種の中で、その部分的なアロマ構成と、その生成機序が解明されている唯一の品種です。つまりこれからまだ、シャルドネなどたくさんのブドウ品種のティピシテを探り、その生成機構をみていくという仕事が残されています。
 ソーヴィニヨン・ブランのアロマ構成を考える際には、さきほどテイスティングしてもらった標準物質も含め、チオール化合物の重要性を認識してください。この品種のワインを表現する標準用語としては、さきほどかいでもらったメトキシピラジンの香りである青ピーマン、猫尿臭としてグルーピングできるツゲ、エニシダ、カシスの芽の三つ(4MMP、メチルメルカプトペンタノン)、それから忘れてはならないグレープフルーツとパッションフルーツ(3MH、メルカプトヘキサノール)、古いソーヴィニヨンには時としてスモークの香りも加わります。それから、ローストミートの香り。これらはすべて、それぞれについて特定ひとつの化学物質から放たれているわけです。
 私は「香りの架け橋」と呼んでいるのですが、猫尿臭のする4MMPというのは、1997年にツゲ、エニシダから実際に見つかったのです。メルカプトヘキサノールについては、1991年にパッションフルーツから見つかっています。ということは、まったく起源の違う、フルーツや植物とワインの中に、同じ香りを放つ化合物が含まれているということになります。ソーヴィニヨン・ブランにパッションフルーツという用語を使用することの正当性が、科学的に証明されたわけですね。
チオール化合物の特徴と閾値、アロマ係数
チオール化合物は、化学式の中にかならずSHを持っています(Sは硫黄、Hは水素)。英語では、Volatile thiolとかPolyfunctional thiolというのですが、チオール化合物は反応性が高くていろいろイタズラをするので、Polyfunctionalと呼ばれるのですね。チオール化合物というのは、SHが遊離のときに香ります。非常に反応性が高いので、ボルドー液の中に含まれる金属イオン(銅)とコンジュゲイトを形成してしまい、たちどころに香らない形になってしまうのです。
 チオール化合物のもうひとつの特徴は、非常に閾値が低いということです。閾値とは、嗅覚が感知できるその物質の最低濃度のことでして、たとえば4MMPは一リットル中にたった0.8ナノグラム含まれるだけで、猫尿臭がするわけです(ナノグラムは、1ミリグラムの1000分の1(1マイクログラム)の、さらに1000分の1。つまり1ミリグラムの10万分の1)。また3MHならば、1リットル中60ナノグラムだけで、パッションフルーツだとわかるわけですね。ちなみにさきほどの標準物質としての3MHは2000ナノグラムですから、非常に高濃度なわけです。チオール化合物がいかに微量で存在していながら香るかがおわかり頂けるかと思います。それがために、長いあいだ発見されなかったのです。
 さて、低い閾値を持つチオール化合物は、本当にワインの中で香っているのでしょうか。よく、ワインの香りは200や300種類の成分のシナジー効果だといわれています。ところが、ターゲット・コンパウンドは、わずか一種類だけで、そのワインのティピシテを担うことがあります。それを説明するために、アロマ係数という指標があるのです。これは、香り物質のワイン中の濃度を閾値で割ったもので、たとえば3MHの閾値は60ナノグラムですから、ワイン中にこの物質が60ナノグラム含まれていれば、60割る60でアロマ係数は1となります。アロマ係数が1あれば香るわけですが、ワイン中にはほかにいろんな香りが含まれていますから、アロマ係数が10や20はないと、その香りがワインから飛び出てくることはないわけです。
 では、ソーヴィニヨン・ブランのワインに含まれているチオール化合物のアロマ係数を見てみますと、以下のようになります。

化合物名 濃度(ng) アロマ係数
4MMP 4~44 5~55
3MHA 0~800 0~200
3MH 600~12000 10~200

 3物質ともアロマ係数が大きいため、これらのチオール化合物がこの品種の香りに貢献していることが見て取れます。3MHAというのはさきほどの2番の標準物質で、これは非常に分解されやすい物質のため、若いワインにしか見られません。
産地別・品種別の違い
 これらの化合物について、世界中のソーヴィニヨン・ブランでその量を比べた実験があります。ニュージーランドはホークス・ベイとワイララパ、マルボロを、それからオーストラリア、南アフリカ、フランス、アメリカでそれぞれサンプルを選びました。あとでクラウディ・ベイを試飲していただきますが、ニュージーランドのソーヴィニヨン・ブラン、特にマルボロのそれはいつもパッションフルーツの香りが非常に強いことで知られています。それが、この実験で分析的に証明されました。偏差は激しいものの、平均をとると3MHでも3MHAでもマルボロがダントツになります。メトキシピラジンについてはマルボロは少なめで、ワイララパやホークス・ベイのほうが高かったです。
 3MHや4MMPはソーヴィニヨン・ブランだけでなく、アルザスワインにも含まれています。たとえばゲヴュルツトラミネールは、非常に高い濃度の3MHを含みます。この品種の熱帯フルーツの香りの一部は、3MHからきていることが理解されます。また、アルザスのミュスカには4MMPが、ボルドーのソーヴィニヨン・ブランよりも多量に含まれています。以前からアルザスのミュスカには猫尿臭がするといわれていましたが、それが分析的に裏付けられた形です。
 ほかの産地のブドウ品種で見てみると、プティ・マンサンやグロ・マンサン、コロンバール、そして貴腐化したセミヨンにも3MHは多量に含まれています。ただ、3MHAのほうは、貴腐化したセミヨンには見られません。なぜなら、貴腐菌が出す酵素によってエステル類はすべて分解されてしまうからです。
フレイヴァー・プレカーサーについて
さて、ソーヴィニヨン・ブランに含まれる3MHや4MMPの生い立ちを知る上では、フレイヴァー・プレカーサー(香りの前駆体物質)という概念が非常に重要になります。プレカーサーというのは、不活性な物質の状態を指しており、それが光、熱や化学的、物理的、生物学的ショックで活性化するのです。
 このプレカーサーの概念を醸造学の分野で初めて提唱したのがエミール・ペイノー先生で、1980年の著書であるLe gout du vinには次の文章が書かれていました。「果皮が分厚く金色に輝くソーヴィニヨン・ブランの果実を味見していると、この品種に特徴的な香りが見つかることがあるが、それは決して強いものではない」「ところが果汁を飲み込んで10~20秒後に、強烈でアロマティックなソーヴィニヨン・ブランのワイン後味が、鼻腔の奥に突然現れるのだ」。ぶどう果粒をかじった直後はあまり香りがせず、後から爆発的に現れるということから、ペイノー先生は香りの元になる物質が果汁中にあって、それが舌の上で香りに変換されるのだろうと推測しました。しかし、その後この魅力的なテーマについて誰も研究をせず、10年後に私がデュブルデュー研究室に入ったときからやっと、その現象に起因するプレカーサーについての研究が始まったのです。
 果汁中のプレカーサーの存在についてなのですが、たとえばツゲの香りをもつ物質は(つまり4MMP)、果汁中では「ブラックボックス」と結びついて香らない状態で存在しています。このふたつを結びつけている鎖が、発酵中の酵母や、あるいは舌の上で起こるなんらかの反応によって切断されると、ツゲの香りの物質が解き放たれて香るようになるのです。
 8年近い紆余曲折を経て、ようやくソーヴィニヨン・ブランのプレカーサーは、4MMPや3MHが、システインというアミノ酸と結びついている形(システイン・コンジュゲート)だということが分かりました。それまで、プレカーサーというのは糖と結合しているグライコサイド(配糖体)だけが知られていたのですが、グライコサイド以外にも、含硫アミノ酸が結びついている香りのプレカーサーがあることを突き止めました。そうしたアミノ酸を繋いでいる鎖が、酵母によって切れるかどうかかも、実験によって確かめました。 以下は、デュブルデュー先生のいった理想的なソーヴィニヨン・ブラン造りのポイントです。

1. ブドウ果粒中のプレカーサー 濃度の頂点での収穫
 ⇒栽培方法の改良、テロワールの選択
2. プレカーサーの酵母によるアロマへの高効率変換
 ⇒酵母の選択、醸造条件の検討
3. 生成したアロマの瓶内長期保存
 ⇒還元熟成の維持

 ブドウの中にプレカーサーが多ければ、ワインの中でもそれに対応したチオールが多くなるということですから、プレカーサー量が頂点のときにブドウを摘むのがいいことになります。頂点のときに摘むだけでなく、栽培方法を改良したり、よいテロワールを選んだりすることによって、もともとプレカーサー量が多くなるようにすることも必要です。また、このプレカーサーは酵母に食われて初めて香り(チオール)がでてくるわけですから、その変換を効率よくできる酵母や発酵条件を選ぶことも重要ですね。そして最後に、チオール化合物は多かれ少なかれ不安定なので、瓶の中で破壊されない環境で置いておくこと、還元的に熟成させることも必要です。
 ぶどう中のプレカーサー濃度に影響を与える因子としては、、土壌構成、ヴィンテージの天候などがあります。よって、プレカーサー濃度を測定する方法が開発されれば、テロワールを評価したり、ヴィンテージの性格を測ったり、近い将来にはアロマレベルで収穫時期を決定したりすることもできるようになるでしょう。
栽培レベルでのフレイヴァーのコントロール① 栽培レベル
 ソーヴィニョン・ブランの基礎知識は、ここまでで皆様つかまれたと思いますが、ここからが今日の本題になります。栽培レベル、果汁調整レベル、醸造レベル、熟成レベルという四つのレベルで、それぞれフレイヴァーのコントロールが可能かもしれないという話を、これからしてまいります。
 最初は栽培レベルです。まず、やる動機は何かというと、ブドウのアロマ・ポテンシャルの増大、つまりはプレカーサーの濃度をかせぐということです。それには、畑の肥沃化、キャノピー・マネジメント(ボルドー液の制限を含む)などのアプローチがあり、プレカーサー濃度の頂点で収穫することもやはり必要です。
 まず、収穫のタイミングがどれだけ影響を与えるかについてなのですが、クロ・フロリデーヌ(デュブルデュー教授がオーナーのシャトー)の二つのタイプの畑において、3MHや4MMPなどが収穫タイミングによってどう変動するかを測る実験をしたことがあります。二つのタイプの畑というのは、早稲の畑と晩熟の畑で、プレカーサーの変動パターンがまったく違っていました。4MMPでは、晩熟の畑はプレカーサーの濃度が比較的安定しています。しかし、早稲の場合だと濃度の頂点は晩熟の畑とそう変わらないのですが、ある時期を境に急激に減少してしまうのです。そのため、収穫の日の選択が重要になります。一方3MHでは異なるパターンで、晩熟の畑はコンスタントに上がっていくのですが、早稲の畑は下降の一途をたどります。
 よって、どの日に摘むかで、得られる香りのパターンがぜんぜん違ってくるのです。早く摘めば、4MMPの濃度が高くて3MHの濃度が低いワインになります。遅く摘めば、4MMPの濃度は普通で、3MHの濃度は高くなるという結果が得られたでしょう。この実験結果を見たデュブルデュー先生は、「昔から『早く摘むと猫尿臭のグリーンな香りが強くなり、遅く摘むと熱帯フルーツの香りが強くなる』とは言われていたよ」と教えてくれたのですが、まさに実験データはその経験則を裏付けるものでした。ただ、この実験は1996年に一度やったきりなので、確証を得るにはもっと実験を重ねなければならないでしょう。
 もうひとつ、畑の肥沃化についてお話します。畑に窒素を供給することで、アロマの形成にどれだけプラスになるかを一度だけ試したことがあるのです。同じ条件の畑で、何もしていない区画と窒素を加えた区画を比較実験すると、得られた果汁の糖度は同じなのに、酸度が窒素を加えた区画のほうが高いレベルで保たれました。また、発酵に大きく影響を与える同化窒素の量が、窒素を加えた区画では非常に多くなりました。また、3MHの量も、窒素を加えた畑のほうが4倍近くになっています。ですので、いわゆる赤ワインでずっと言われ続けてきた、「ブドウという植物は、栄養状態が乏しい畑のほうがワイン造りにとってよい果実がなる」という考え方は、白ワインについてはあてはまらない、ということになります。
 窒素量と同じく、畑でもうひとつ大事なのは水分ストレスです。テロワールの特徴として最も大事なのは、窒素の量と水分の量だと考えてください。私が面倒をみていた学生が、ペサック・レオニャンの四つのシャトーで、1998年と1999年に水分ストレスに焦点を絞った実験をしました。四つのうちひとつはクロ・フロリデーヌです。1998年は非常に乾いた年で、1999年は前年に比べるとかなり雨が降っています。水分ストレスは、加圧チャンバーの機械にブドウの葉を一枚入れて、圧力をかけて測ります。切り口から液がにじみでてきた圧力が、水分ストレスの指標となるのです。葉がたくさん水分を含んでいれば、少しの圧力で液が出てくるんですね。1998年は非常に暑い年ですから、シャトーによって水分ストレスの度合いに差が出まして、かなりのストレスがかかったシャトーがありました。ただ、クロ・フロリデーヌについてはあまり強いストレスはかかっていません。一方、1999年は雨が十分に降りましたので、どのシャトーもストレスはかかりませんでした。
 結果として得られた果汁中のプレカーサー量を見てみると、データの解釈がなかなか難しいのです。1998年はクロ・フロリデーヌの勝利で、3MHも4MMPも非常に高いプレカーサー量を示しました。しかし、1999年はあまり成績がよくなく、1998年に強い水分ストレスがかかっていたシャトーのほうに軍配が上がりました。そこで私達は、「黒ブドウについては、果粒中にアントシアニンが蓄積されるから、水分ストレスがあったほうがよい。しかし、白ブドウについては、あまり水分ストレスが強すぎても弱すぎてもダメで、中ぐらいのストレスでプレカーサー量が最も高くなるのではないか」という仮説をたてているところです。ただ、こちらもまだ実験データが少ないので、これからの課題となります。
フレイヴァーのコントロール② 果汁調整レベル
 次はプレ・フェルマンタシオン(発酵前)の操作、すなわちプレスをして果汁を得て、発酵が始まるまでの操作についてです。具体的には、プレス、スキンコンタクト、デブルバージュといった作業のことですね。
 ここで、どんなフレイヴァー・コントロールができるかという話に入る前に、果粒中にプレカーサーがどのように分布しているかをお話しておきましょう。4MMPのプレカーサーについては、果皮にはほとんどなく、大半が果汁中にあります。しかし3MHのそれについては、果汁と果皮とに半分ずつ分布しているんですね。この分布は、スキンコンタクトしたときの両フレイヴァーの推移に見事に反映されます。4MMPのプレカーサーについては、スキンコンタクトを始めるとすぐに飽和して、それ以上いくら続けても増えることはありません。ところが、果皮と果汁と半分ずつ含まれる3MHのプレカーサーについては、スキンコンタクトの時間の長さに応じて、どんどんその濃度が高くなっていくのです。つまり、スキンコンタクトという作業が有効なのは、3MHのプレカーサーについてだということがわかりした。
 スキンコンタクトの前後でプレス後、果汁と果皮(マール)の両方でプレカーサー量を測ったことがあります。すると、意外な事実としてわかったのは、果皮の中にある3MHのプレカーサーは果汁にほとんど移行していないのです。果皮に含まれている量は変わらないのに、果汁のプレカーサー量だけが増大しています。私はこの結果を知ったときは嬉しかったのですが、デュブルデュー先生は苦い顔をしていました。彼の理論では、スキンコンタクトによって、果皮中のプレカーサーが果汁中に移動することになっていたからです。もし移動するならば、果皮中のプレカーサー量がスキンコンタクト後に減っていなければなりません。しかしそうでないということは、なんらかの原因で、スキンコンタクト中にプレカーサーが合成されたということになるかと思うのです。詳しいことは抜きにしまして、スキンコンタクトをするとプレカーサー量が上がるんだと考えておいてください。
甲州 きいろ香について
ここで、こうしたフレイヴァー・ケミストリーに支えられた甲州ワイン、きいろ香の開発についてお話します。甲州には、ソーヴィニヨン・ブランと同じ3MHが含まれているということが、私が関わったプロジェクトでわかりました。その量を最大にするように造られた新しい甲州ワインが、「きいろ香」です。甲州は綺麗な外観のブドウなのですが、これまで造られてきたワインはあまり質の高いものではありませんでした。事実、1970年代には甲州がさかんに栽培されていたのですが、その後どんどん作付面積が落ちてきてしまいました。
 一般的な甲州ブドウの成熟パターンをお話しますと、9月下旬のある時点までは糖度が順調に上昇するのですが、その時期を過ぎると非常に緩慢にしか糖度が上がっていきません。それに反して、酸度は9月下旬から急激に落ち始めるのです。何よりも、ポリフェノールの量も、糖が動かなくなったあたりから急速に上昇しはじめます。つまり、10月以降に収穫していた今までを振り返るとそれは待ちすぎじゃないかと思われるのですね。
 甲州ワイン改革の意気込みをみせたメシャンはこのプロジェクト当初から3MHのプレカーサーをその頂点で摘もうという意欲に燃えていました。、そこでだいたい4日に一度のペースでブドウ中のプレカーサー量を測るということをやり遂げました。そうすると、3MHのプレカーサー量も9月中旬を境に落ち始めることがわかったのです。もっと大事なのは、不快な香りをもつヴィニルフェノールやヴィニルガイアコールといった化合物の量が、9月下旬から急速に上がり始めることです。よって、今までどおりに収穫を待っていたならば、3MHのプレカーサー量は低くなり、不快なフレイヴァーが強くなってしまうということですね。この測定結果に基づき、従来よりも早めの収穫日で摘み取りをした結果、伝統的な甲州ワインよりも3MHの量がずっと多い甲州ワインが出来上がりました。「きいろ香」は、グレープフルーツの香りが強い卓越したワインとなっています。余談ですが、プレカーサー量をリアルタイムで測定して収穫日を決定した例はボルドーでさえも試みたことはなく、この日本が最初の快挙でしょう。
 こうしたことができたのも、3MHというターゲット・コンパウンドを知っていればこそ、可能なことなのです。
 デュブルデュー先生が日本に始めてきたときに、甲州の莫大な収穫量に驚いて、収量制限をするようにというアドバイスをしました。それで、去年初めてメルシャンのチームが収量制限をした区画と、しない区画を比較実験してみたのです。その結果、収量制限をした区画は、収穫日に関わらず3MHのプレカーサー量が安定していました。一方、収量制限をしていない区画はやはり、9月の一時期を境に量が落ちていっています。収量制限の重要性が、実験によって確認されたというわけです。
 ここで「きいろ香」の2006年を試飲していただきましょう。3MHの量は650ナノグラムなので、さきほどの標準物質の2000ナノグラムよりは少ない量です。しかし、グレープフルーツの香りはそれなりに感じられるはずです。「きいろ香」はフレイヴァー・ケミストリーが生み出した新しいスタイルのワインですが、このスタイルが一番で、伝統的な甲州ワインがダメだというつもりはありません。多様性がワインの醍醐味ですから、きいろ香が好きでも、伝統的な甲州が好きでも、「なんでも好き」でいいわけです。
 ただ、ワインは健全であること、クリーンであること、つまり(醸造学的な)欠点がないことは必須条件だと思います。欠点のないワインとしての伝統的な甲州が好きというのはいいのですが、欠点まみれのワインについて「僕はこれが好きだ」といっても、それはその人のひとりよがりではないかと僕は思います。ですから、まずクリーンであること、クリーンな上で差異を楽しむというのであれば、僕は賛成します。とはいえ、収穫タイミングを遅く設定した伝統的な甲州ワインの場合は、どうしてもヴィニルフェノールとヴィニルガイアコールが突出してきます。ですからそれをたとえばキャノピー・マネジメントで抑えるとか、発酵条件の再検討ですとか、その回避にはかなり困難な方法が要求されるかと思います。
 「きいろ香」はいかがでしょうか。非常に溌剌とした酸で、えぐみは感じません。極辛口のワインなのですが、3MHの果実香から、少し甘いようなニュアンスを感じるかもしれません。
クラウディ・ベイとワインXの試飲
 次に、クラウディ・ベイのソーヴィニヨン・ブラン2006年を試飲しましょう。クラウディ・ベイを飲むときには、さきほど標準物質として出てきた、メトキシピラジン、3MH、3MHAを、ワインの中から探してください。まず、スワリングする前から、メトキシピラジンの青い香りを感じるかと思います。スワリングすると、すごい量のグレープフルーツ(3MH)や、パッションフルーツ(3MHA)の香りが飛び出てきますね。3MHの量を測ってやると2000ナノグラム、さきほどの標準物質と同じ濃度です。きいろ香の量が650ナノグラムですから、クラウディ・ベイにはまったく歯がたちません。
 ただし、3MHの量が多いほど良いワインかというと、必ずしもそうとはいえません。たとえば甲州は和食に会いますが、クラウディ・ベイを和食に合わせる人はあんまりいないと思うんですね。ですからTPOによってワインを選ぶ楽しみというのは、已然僕たち消費者には残されているのです。
 ここで、ヴィニルフェノールとヴィニルガイアコールの香りをクラウディ・ベイからかぎあててもらいたいと思います。時として非常にスモーキーな香りが感じられるはずです。フェノールの量が多いのが、クラウディ・ベイの特徴なのか、2006年というヴィンテージの特徴なのか、その両方なのかは今はわかりません。「きいろ香」も早めに摘んでいるとはいえ、ヴィニルフェノールやヴィニルガイアコールの量は少なくはありません。ふたつのワインの揮発性フェノールの量は、ほぼ同じぐらいで、兄弟同士のようなつながりがあるように感じています。
 次は、ブラインドで利いていただくワインXです。毒が入っているわけではありませんが、香りだけにして、口はつけないでください。どうでしょうか、ワインXの印象は? トップノーズに非常に強いグレープフルーツの香りがして、「すごいワイン」だなあとは思いますよね。ご意見をうかがいたいのですが、どなたか一言。素晴らしいとか、素晴らしくないとか……。(聴衆の一人から)「香りがワインと分離しています」。ありがとうございます。その言葉を待っていました。これは、きいろ香に、クラウディ・ベイと同じ量になるまで3MHを加えたものなのです。
 お伝えしたかったのは、フレイヴァー・ケミストリーが将来進んで、ターゲット・コンパウンドが定まってくると、そのターゲット・コンパウンドを誰もが強く出したがるようになるでしょう。これは人情ですから。通常の方法、つまり栽培や醸造のコントロールで強く出せるならいいのですが、ピュアな化合物を添加してしまおうと考える人も出てくるわけです。メトキシピラジンという化合物で、実際にそうした事件が過去に起こっていますが、これは違法行為です。ただし、特定のフレイヴァーだけに固着して、それだけを増強してやっても、アンバランスなワイン、決してよいワインとはいえないワインが出来上がるということを、このワインXではお伝えしたいと思いました。
 ワインXはいい香りがするけれど、それは標準物質の溶液と変わりません。しかし、クラウディ・ベイの場合は、3MHだけでなく、僕らがまだ知らない香り物質もいろいろ多量に含まれていて、それらと3MHが微妙なバランスを保っているからこそ、ワインとして完成度が高いと思われるのです。ですから、きいろ香が背伸びして、クラウディ・ベイのいい面だけをもらおうとし、3MHだけを強めたとしても、きいろ香には2000ナノグラムの3MHを支えるだけのパワーがないものですから、このようにいびつなワインが出来上がるわけです。ある日、きいろ香が自力でもし2000ngの3MHを持つ時には他の香りのコンポーネントとの融合が叶えられている筈です。
 私は生産者にモラルがあれば、そして消費者の鋭い目があれば、こうした違法行為は防げるのではないかと思っています。それでも違法行為をしたい方々に一言。特定の香り物質を人為的に添加しようとする場合は、発酵後に入れたほうが得策でしょう。発酵中に酵母によってある程度食われてしまう部分が出るからです。でも良いワインにはなりませんよ! フレイヴァー・ケミストリーはその為に存在するのではありません。
クリーンなシャルドネの醸造
 話題を変えて、クリーンなシャルドネを造る話をしましょう。シャルドネにも、ヴィニルフェノールやヴィニルガイアコールの香りの問題はついてまわります。以前、メルシャンの北信シャルドネで実験したことがあるのですが、甲州と同じように、ある時点から急にヴィニルフェノールやヴィニルガイアコールの量が増えはじめました。やはり、収穫をあまり待ってやれないということがあるんですね。今日試飲していただく新鶴シャルドネとビショーのムルソーについて、ヴィニルフェノールとヴィニルガイアコールを測ってやると、両方とも低い値に留まっています。よって、クラウディ・ベイに感じたようなスモーキーさはこれらのワインでは感じません。
 難しいのは、シャルドネのヴァラエタルアロマです。この品種に典型的な香り物質は、いまだ誰も特定していません。シャルドネも、ノンアロマティック品種のひとつです。ですから、かならず発酵後にシャルドネの香りに変わるプレカーサーがあるはずなのですが、それはまだ特定されていません。ただ、立派なシャルドネを形容するときに、焦がしバター、ノワゼットグリエ(ローストヘーゼルナッツ)、モカといった用語が使われるということには、皆様異存がないかと思われます。
フレイヴァーのコントロール③ 熟成レベル
 焦げた香りや燃えた香りを総称してアンピルマティックと言うのですが、この分野はチオール化合物の独壇場です。さきほど標準物質でかいでいただいたコーヒーの匂いであるフェランメタンチオールという物質は、1926年という早い時期にリヒテンシュタイン氏がコーヒーから発見しています。ワインではそれから70年以上経った2000年に、私が白ワイン、赤ワインの両方から発見しました。
 もうひとつ、日本では今日が初めての紹介になりますが、ノワゼットグリエや焼肉の香りがするメチルフェランチオールという物質もあります。この物質は昔から知られていたんですが、定量が非常に困難で、アロマ係数が1以下なのか1以上なのかといったことがわかりませんでした。しかし、これも私が2003年にシャンパーニュから発見し、2006年には定量法を開発しました。その結果、この物質が白赤問わずワインに閾値以上含まれていることがわかり、ワインの香りに貢献していることが突き止められました。
 樽熟成レベルでワインのフレイヴァーに影響を及ぼすファクターが、フェランメタンチオールと密接に繋がっています。ワインの風味に影響する樽熟成レベルのファクターとしては、樽材の種類(フレンチオーク、アメリカンオークなど)、樽の使用頻度や使用期間、樽会社の違いなどがありますが、これらが異なるとワインのフェランメタンチオールの含有量が相当違ってくるのです。古樽よりも新樽で熟成させたワインのほうがフェランメタンチオールは多くなりますし、ステンレスタンクでの熟成だと、ほとんどそれはワインに含まれません。ただ、新樽X%と言っても、樽材の種類や樽会社が違えばワインに含まれるフェランメタンチオールの量はずいぶん変わりますから、新樽比率だけを取り沙汰するのは無意味ですね。
 試飲していただく二種類のシャルドネについては、事前にフェランメタンチオールの量を測っておきました。新鶴シャルドネが意外に多くて20ナノグラム、当初新鶴よりも多いだろうと予想していたアルベール・ビショーのムルソーは、意に反して5ナノグラムしかありませんでした。ビショーのムルソーが、樽香が比較的少なく綺麗なスタイルなのに対し、新鶴はしっかりと樽香のついた重いめのシャルドネです。違いを楽しんでください。さきほど新樽比率だけでは意味がないとは言いましたが、ご参考までに申し上げると、ビショーのムルソーの新樽比率は35%ぐらい、新鶴は40%ぐらいです。ですからたとえば新鶴は40%新樽、同じメルシャンの北信シャルドネは新樽50%だといっても、北信のほうが樽香が強いとは限りません。
 フェランメタンチオールの閾値は0.4ナノグラムですから、ムルソーのシャルドネは少ないと言っても閾値の10倍以上はあることになります。よって、確実に鼻は感じているわけなのですが、ただしコーヒー香として感じられるというよりは、ある種の重さというか、ワインを底辺で支える香りとして感じられているのではないかと思います。一方、新鶴のほうははっきりとコーヒー香として感じられます。
 樽熟成レベルでワインのフレイヴァーに影響を及ぼすファクターとして、もうひとつ大事なものに、樽内でのマロラクティック発酵(MLF)があります。MLFを新樽内で行なったワインと、ステレンレスタンク内でMLFを終了してから新樽に移したワインとを比較し、収穫年の12月、翌年の6月、11月にそれぞれフェランメタンチオールの量を測定する実験をしたことがあります。樽の中でMLFを行なうと、12月の時点でフェランメタンチオールがダントツに多くなるという結果が出ました。6月になってもやはり優位です。ボルドー地方では新ヴィンテージのプロ向けテイスティングを、毎年翌年の春に実施するのですが、各シャトーはパーカーからよい点数をもらおうとして、MLFを新樽内で行なったワインを出します。そのほうが樽香が強いので、評論家には好まれるからです。ところが皮肉なことに、11月になるとフェランメタンチオールの量にはほとんど差がなくなってしまいます。この時点でトライアングルテスト(3点のサンプルのうち2点を同一のものにして、仲間はずれを一貫して探し出せるかを試す試飲法)をしても、正しく答えられる人は誰もいません。12月や6月の時点で同じテストをすると、誰でも高い確率で樽内MLFをしたワインを探し出せるのですが。
 コーヒー香のするフェランメタンチオール、そして焼肉やナッティな香りのするメチルフェランチオール、そしてこれまた日本では始めて紹介する最近私が見つけた香りなのですが、メチルフェランメタンチオールというものがあります。これもコーヒー香がするものなのですが、これら三つのチオールの量を、1999年、1991年、1981年のピション・ラランドで調べたことがあります。チオールは不安定な物質ですから、年をとったワインの中にはあまりないのですね。今日これから飲んでいただく1998年は、1999年に近い量でしょう。フェランメタンチオールの量は、1999年で200ナノグラムでしたから、1998年だと150ナノグラムぐらいではないでしょうか。
 コーヒー香のするフェランメタンチオールと、焼肉の香りがするメチルフェランチオールの量を、サンテミリオン、ポムロールとメドックのいくつかのシャトーについて比較して、相関を求めたこともあります。かなりよいシャトーのワインをサンプルにしました。結果として、サンテミリオンはコーヒー香が控えめ、メドックはコーヒー香と焼肉香の両方が強いというような漠然と言えるようなデータになったのです。私はその結果を手にしたとき嬉しかったのですが、デュブルデュー先生に報告すると大変怒られまして……。というのは、メドックのワインについてフェランメタンチオールの量が高いのはブドウ果汁のせいじゃなく、樽熟成のせいだから、このデータをもってティピシテを語ることはできないということなんです。その説はもっともではあるのですが、私が考えていたのはブドウというよりワインになって瓶に詰まったときの個性だったので、それはそれでいいんじゃないかとその後も長いあいだ思い続けていました。結局この研究はオクラ入りになったのですが、後日デュブルデュー先生が、樽会社のスガン・モローでのセミナーの原稿を練っているときに、「あの時のデータはどこにいった?」と聞いてきたんですよ。なんでも、スガン・モロー社にとって非常に興味深いデータなんだとかであれを掲載しよう、ということになりました。昔さんざん自分が怒ったくせに、何デェー今頃(笑)。まあそれはさておき、さきほどいった傾向に、今日のパヴィ・マッカンとピション・ラランドがあてはまるかどうかを、テイスティングで考えてみてください。
ピション・ラランドとパヴィ・マッカンの試飲
 ピション・ラランドは個人的にも大好きなワインです。柔らかくてエレガント、適度なコーヒー香がついていてというスタイルですね。メルロが多いからということもあるでしょうけれど、一部のメルロは樽内MLFをしているのではないかと思います(あくまで推測ですが)。なぜだかわからないのですが、皆樽内MLFはメルロでやります。カベルネ・ソーヴィニヨンでやっている人はあまりいません。
 パヴィ・マッカンは高価なワインですし、お好きな方も大勢いらっしゃるだろうと思いますが、今日は若干ネガティブな材料として使わせていただいています。
 私は甲州きいろ香の開発に関わったときに、「早摘み」だとさんざん叩かれたんです。そのとき私は、「早摘み」ではなく「適熟」だと主張したんですが……。しかし一方で、ミシェル・ロランなんかがやっている「遅摘み」については、皆さんの認知はかなり甘いと思うんですね。実際にこのパヴィ・マッカンがどれぐらいのタイミングで収穫されたかは知りませんが、グラスから立ち上る香りは、過度に熟したニュアンスのものが多いです。イチジクやプルーンなどで、これは過熟の証拠です。もうひとつ、過熟のワインの特徴としてあげられるのは、揮発酸(酢酸)が高いことです。とはいえ、このパワーは素晴らしい。パヴィ・マッカンを飲んだあと、ピションに戻ると味が変わってしまうほどです。パヴィ・マッカンはパーカー好みのワインで、おそらく彼はこのワインの飲み頃を2020年頃などと言っているんじゃないかと思います(実際には2009-2016年と言っている)。ただ私は、2020年まで待ってこのワインを飲んでも、あまり動かないんじゃないかと考えています。
 もちろん、パヴィ・マッカンが良いか悪いかという問題ではありません。ただ、早く摘んだり遅く摘んだりするとワインはどうなるか、ということを消費者が知った上でワイン選びができるなら、もっと素晴らしいなということです。
フレイヴァーのコントロール④ 発酵レベル
 最後に、発酵レベルでワインのフレイヴァーに影響を与えるファクターについてお話します。まずは、使用酵母による影響があげられます。かつて、ワインは日本酒と違って、どんな酵母を使ってもほぼ同じような風味になると考えられていました。しかし、この点についてもソーヴィニヨン・ブランで、酵母が違えば出来上がるワインがまるで違ってくるということが明らかになったのです。たとえば、甲州で有名になったVL3という酵母を、3MHの生成量でほかの酵母と比較する実験を行なうと、いつもVL3のほうが3MHを多量に作ります。一方4MMPで同じ実験を行なうと、別の酵母(EG8)がいつも一番いい成績を収めるのです。ここから、酵母の中で3MHのプレカーサーを分解する酵素を制御する遺伝子と、4MMPのプレカーサーを分解する酵素を制御する遺伝子は、別々のものなのだろうという予想がなりたちます。
 もうひとつは、発酵温度の影響です。これまでずっと、発酵温度は低いほうがフルーティなワインができると言われ続けてきました。しかし、チオールに限っていうと、これは必ずしもあてはまりません。3MHや4MMPについては、24度という比較的高い発酵温度のほうが、生成量が多くなるのです。このデータを見てデュブルデュー先生は、「低温発酵がいつもフルーティなワインを醸造する、というのは多くの醸造家の錯覚であると言える」とう名言を吐かれたのですね。実際、彼のシャトーでは余計なエステルの生成を避けるためもあって、23~25度ぐらいの温度で白ワインを発酵させています。
そして最後にもうひとつ。皆さんにとってはショックな話かもしれませんが、酵母のバイ オエンジニアリングについてお話します。酵母がかくもワインのフレイヴァーに影響を与えるのなら、すばらしい酵母を人工的に創ればすばらしいワインができるのではないかと誰もが思うわけです。それを実際にやったのが、アデレードにあるオーストラリアン・ワイン・リサーチ・インスティチュートのグループです。プレカーサーをアロマに分解するためには、ベータリアーズという酵素が必要になります。これは酵母の中に何種類かあるのですが、どのベータリアーズが稼動しているのかはまだわかりません(実はわかったんですが、今は言えません)。それはさておき、オーストラリアのグループは、大腸菌のベータリアーズを酵母に移して発現させてやれば、たくさんプレカーサーを食ってアロマをリリースする新種の酵母ができるだろうと考えました。これは、実際にはやらないにしても、誰もが考えることではあります。しかしオーストラリアのチームは、現実に大腸菌のベータリアーズを酵母に組み込みました。そして、通常の25倍以上の4MMPと3MHが、モデル溶液中で生成されるという結果を得たそうです。危険な言葉になりますが、私としては「こんな酵母をちょっとだけ甲州のワインに使ったら、すごいワインができるんじゃないかな」という夢はあります。けれども、この酵母を使っていいのかどうかというのはやはり……モラルの問題かな、と思います。今はなんともいえません。いつかまた機会があれば、皆様とディスカッションをしたいと思います。
フレイヴァー・ケミストリーがもたらすワイン醸造の革命とは?
 ここからまとめに入りますが、栽培、果汁調整、発酵、熟成のそれぞれの局面で、フレイヴァーのコントロールというのはある程度可能です。このコントロールについて、今日会場にもお越しいただいている堀賢一氏が、興味深い小論文を書かれています。現実に、ワインにメトキシピラジンを入れたり、3MHを入れたりした人はいたわけですが、そういうあまりに直接的な人為的フレイヴァリングはもちろんいけないと思います。しかし、醸造学の進歩の範囲内でのフレイヴァーのコントロールは、問題ないのではないでしょうか。たとえば収穫日をコントロールするといった手法について。今までは糖と酸の動きだけで収穫日を決めていたわけでして、これをテクニカル・マチュリティと呼びます。しかし、テクニカル・マチュリティだけではよいワインはできないということがわかってくるようになると、赤ワインの場合はポリフェノール係数ということが言われ始め、白ワインの場合は香りのプレカーサーの頂点という概念が知られはじめました。これらと、テクニカル・マチュリティとのにらめっこで、収穫時期は決まってきます。
 最後に私の考えをまとめますと、フレイヴァー・ケミストリーがもたらすワイン醸造の革命とは、まず品種を特徴づける香り物質(ターゲット・コンパウンド)を同定し、そのバイオジェネレーションのメカニズムを知るところから始まります。そのメカニズムを醸造現場にフィードバックすると、収穫時期の決定から、樽を使う使わない、スキンコンタクトをするしない、デブルバージュをするしないなどなど、たくさんのファクターが醸造現場に持ち込まれます。持ち込まれた結果、何をしないといけないかというと、明確なティピシテ(アイデンティティー)をもったワイン醸造の可能性を模索することです。これこそが、正しいワイン・フレイヴァー・ケミストリーのゆく末だと考えています。
そしてその明確なティピシテというものは、ヴィンテージやテロワールが支える表現の一環です。それらが成功すれば、デュブルデュー先生がよく言う inimitable なワイン、真似のできないワインが生まれます。真似のできないワインとは、その土地らしいもの、飲んだときに「ああ日本を思い出すなあ」「ああブルゴーニュだなあ」と感じるものです。フレイヴァー・ケミストリーは、そういうワインを造るために使われるべきだというのが、私の現在までの意見です。

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