創立20周年記念連続セミナー 第3回 ディディエ・ドゥポン氏「至高のシャンパーニュ サロン」
logo Column

 先日、アカデミー・デュ・ヴァン東京校においてシャンパーニュの製造会社サロン社のディディエ・ドゥポン氏による「至高のシャンパーニュ」をテーマにした特別公開講座が開催されました。当日は姉妹会社のドゥラモット社のシャンパーニュとともに、サロン「ブラン・ド・ブラン《キュヴェS》」を試飲しました。シャルドネ種だけから造られるブラン・ド・ブランのなかでも最高峰と讃えられるだけに、参加者からは「美味しい」の溜め息ばかりがこぼれていました。


文:斉藤研一
Text by Kenichi Saitou

世界生産量の10分の1がシャンパーニュ
 
「日本は世界で最もシャンパーニュの価値を理解している市場」とはディディエ・ドゥポン氏の言葉。親日家ということもあって、ほぼ毎年来日しており、和食とサロンとのマッチングが大好きとのこと
 発泡性ワインの世界生産量(約30億本)のうち、10分の1(約3億2,000万本)がシャンパーニュ地方から産出されています。シャンパーニュ地方が発泡性ワインの原型を作り上げたとはいえ、その生産量の大きさがシャンパーニュの存在感ではありません。「ほかの生産地がいかなる努力をもってしても、今日に到るまでそれを超える、あるいは並ぶほどのものができないのが現実なのです」とはドゥポン氏の言葉。
 その理由にはテロワールと呼ばれる栽培条件の秀逸性、手間隙のかかる煩雑な製造工程などが挙げられます。しかも、それを最大限に機能させるために、栽培農家がぶどうを育て、製造会社が醸造を行うという独特の分業体制が敷かれています。それぞれの段階でそれを最も得意とする人たちが関わることで、最高のパフォーマンスが得られるようになっています。
 栽培農家と製造会社の調整のために、シャンパーニュ地方では独自の格付け制度(Echelle desCrus)が導入されています。毎年、収穫前に栽培農家、製造会社、シャンパーニュ委員会の代表者からなる三者協議を行い、その年の買取基準額を決めます。それぞれの村はこの基準額に対して何%という買取比率(85~100%)が与えられています。なかでも域内100村のうち、17村は基準額満額となっており、これらを慣習的に「特級」と呼んでいます。
 シャンパーニュ地方では法律上3万5,000ヘクタールまでぶどう栽培地が認められています。現在、植樹面積は3万2,000ヘクタールであるため、3,000ヘクタールまでは拡大の可能性もあります。この栽培地の8割は小規模農家が所有しており、2割を大手製造会社が所有しています。一方、生産量の8割は大手製造会社が担っており、2割を小規模農家が担っています。
 
※2006年の買取基準額はキログラムあたり5.20ユーロの基準価格が定められました。
日本では高級生食用ぶどうの卸価格が約1,000円、醸造用ぶどうが50~350円です。

日本は世界で最も価値を理解している市場
 
ドゥラモット社が得意とするブラン・ド・ブランのなかでも最上級品となる「ミレジメ」。当日は1999年の商品を試飲しました
 シャンパーニュの総生産量(約3億2,000万本)のうち、フランスの国内市場は約6割(約1億8,000万本)を占め、残りが輸出に充てられます。うち日本へは約600万本が輸出されます。フランスを除くと、日本は世界第6位のシャンパーニュ消費国ということになります。
しかも、おもしろいことは輸入量のうち約180万本をプレステージ・シャンパーニュが占めており、日本市場の特異性を見ることができます(プレステージ・シャンパーニュは総生産量のうち約5%)。このことをドュポン氏は「日本は世界で最もシャンパーニュの価値を理解している市場」と称讃しています。
 近年、ロシアや中国の市場が「急激に伸びてきているものの、まだ消費量そのものは少ない」とのこと。中国ひとつを取り上げてみれば、「年間消費量は約40万本で、まだパリ15区での消費量より少ないだろう。きっと中国のみなさんが飲むのではなく、日本のみなさんが中国に行って飲んでいるのが(中国市場拡大の)原因」と冗談まじりに応えました。

家族経営こそがシャンパーニュのスタイルを守る
 
さすがに人気のシャンパーニュだけに会場は大賑わいでした。しかも、その大半が女性です。シャンパーニュを飲み進めるたびに「美味しい」の溜め息が漏れてきました
 大手製造会社によって賄われているシャンパーニュ地方のなかにあっては、サロン社は異色の存在です。そのことについてドゥポン氏は「家族経営を守ることが重要です。シャンパーニュは所有者のそのままのスタイルが表れるからです」と語ります。同社は姉妹会社のドゥラモット社とともにローラン・ペリエ・グループに属します。現在、グループはド・ノナンクール一族が所有しています。
 サロン社の起源は、毛皮商で財を築いたウジェーヌ・エメ・サロンが19世紀初頭に創業したことに遡ることができます。彼はみずからとその友人のために特別なシャンパーニュを作ることを決めます。通常、シャンパーニュではクオリティを維持するために、収穫年や土地、品種を混ぜます。ところが、サロン社はこれを否定して、①秀逸年しか製造しない ②ル・メニル・シュル・オジェ村の特級畑のうち20区画に限る ③シャルドネ種しか用いない ④法定年数を遥かに上回る10年の瓶内熟成を行う というサロン社独特の哲学へと到ります。
 それが100年間で37ヴィンテージのみしか存在しないという「伝説」を生みだしたわけです。同社のホームページにあるように自家消費用としては1911年が初ヴィンテージとなるものの、一般市場用は1921年が初ヴィンテージとなります。現行商品の1996年の次は来年に1997年を出荷する予定です。その後は1999年、2002年、2004年、2006年が続きます。「2000年はマーケティング志向が強すぎる割にクオリティが及ばない」として生産しないあたりは、孤高を守る同社らしい戦略でしょう。
 一方、ドゥラモット社は1760年にフランソワ・ドゥラモットが設立したヴァン・ド・シャンパーニュ社が前身です。長男アレクサンドルが事業に参画したのを機に社名をドゥラモット・ペール・エ・フィス社(ドゥラモット父子商会)とし、その後はアレクサンドルの弟ニコラ・ルイが事業を引き継ぎ、シャルドネ種に大きな可能性を見出します。彼は事業拡大のためにジャン・バプティスト・ランソンを共同経営者に向かえるものの、ニコラ・ルイが亡くなったことから、ジャン・バプティストは社名をランソンに変更し、ドゥラモットの名前が一時姿を消すことになります。
 ドゥラモットの名前が復活するのは1927年、ジャン・バプティストの子孫マリー・ルイーズ・ド・ノナンクール・ランソンによります。その後、創業者一族の哲学を汲み、シャルドネを重視する優良生産者としての地位を築きます。1988年にはサロン社とともに、ド・ノナンクール一族が経営するローラン・ペリエ社の傘下に入ります。

至高のシャンパーニュの味わいを体験する
 
サロン ブラン・ド・ブラン キュヴェSはエレガンスと深みを表現し、プレステージ・シャンパーニュのなかでも独特の存在感を示す
 大手製造会社によって賄われているシャンパーニュ地方のなかにあっては、サロン社は異色の存在です。そのことについてドゥポン氏は「家族経営を守ることが重要です。シャンパーニュは所有者のそのままのスタイルが表れるからです」と語ります。同社は姉妹会社のドゥラモット社とともにローラン・ペリエ・グループに属します。現在、グループはド・ノナンクール一族が所有しています。
 サロン社の起源は、毛皮商で財を築いたウジェーヌ・エメ・サロンが19世紀初頭に創業したことに遡ることができます。彼はみずからとその友人のために特別なシャンパーニュを作ることを決めます。通常、シャンパーニュではクオリティを維持するために、収穫年や土地、品種を混ぜます。ところが、サロン社はこれを否定して、①秀逸年しか製造しない ②ル・メニル・シュル・オジェ村の特級畑のうち20区画に限る ③シャルドネ種しか用いない ④法定年数を遥かに上回る10年の瓶内熟成を行う というサロン社独特の哲学へと到ります。
 それが100年間で37ヴィンテージのみしか存在しないという「伝説」を生みだしたわけです。同社のホームページにあるように自家消費用としては1911年が初ヴィンテージとなるものの、一般市場用は1921年が初ヴィンテージとなります。現行商品の1996年の次は来年に1997年を出荷する予定です。その後は1999年、2002年、2004年、2006年が続きます。「2000年はマーケティング志向が強すぎる割にクオリティが及ばない」として生産しないあたりは、孤高を守る同社らしい戦略でしょう。
 一方、ドゥラモット社は1760年にフランソワ・ドゥラモットが設立したヴァン・ド・シャンパーニュ社が前身です。長男アレクサンドルが事業に参画したのを機に社名をドゥラモット・ペール・エ・フィス社(ドゥラモット父子商会)とし、その後はアレクサンドルの弟ニコラ・ルイが事業を引き継ぎ、シャルドネ種に大きな可能性を見出します。彼は事業拡大のためにジャン・バプティスト・ランソンを共同経営者に向かえるものの、ニコラ・ルイが亡くなったことから、ジャン・バプティストは社名をランソンに変更し、ドゥラモットの名前が一時姿を消すことになります。
 ドゥラモットの名前が復活するのは1927年、ジャン・バプティストの子孫マリー・ルイーズ・ド・ノナンクール・ランソンによります。その後、創業者一族の哲学を汲み、シャルドネを重視する優良生産者としての地位を築きます。1988年にはサロン社とともに、ド・ノナンクール一族が経営するローラン・ペリエ社の傘下に入ります。

コラム記事一覧へ>>