去る2007年3月21日、アカデミー・デュ・ヴァン東京校にて、リッジ・ヴィンヤーズ最高醸造責任者兼CEOのポール・ドレーパー氏を迎えてのテイスティング・セミナーが開かれました。このセミナーは、アカデミー・デュ・ヴァン東京校創立20周年記念セミナーの第一弾。受講生、講師、報道関係者総勢70名が参加し、大変な盛況となりました。 リッジ・ヴィンヤーズは、1962年に創設された、米国カリフォルニア州を代表するワイナリーのひとつです。本拠地である自社畑の名前を冠したカベルネ・ブレンド「モンテベロ」や、ジンファンデルの単一畑ワイン「ガイザーヴィル」、「リットン・スプリングス」は、世界中で高い評価を受けています。特に「モンテベロ」は、昨年スティーヴン・スパリュアが主催したパリ対決30周年記念テイスティングにおいて、古酒部門、若いカリフォルニアワイン部門の双方で一位に輝いたことで話題をさらいました。 リッジ・ヴィンヤーズ、あるいはポール・ドレーパー氏のワイン造りの特徴は、1960年代から一貫してテロワールと自然なプロセスの重視を打ち出してきたことです。セミナー中にはじつにさまざまな話がなされたのですが、以下では「自然なワイン造り」というこの日のテーマと関連の深いポイントについて、ドレーパー氏の話をまとめました。 なお、試飲のパートでは、モンテベロ・シャルドネ2004、ガイザーヴィル2004、リットン・スプリングス2004、サンタクルーズ・マウンテンズ2002(カベルネ・ブレンド)、モンテベロ1997(カベルネ・ブレンド)の五種類のワインが供されました。
文:立花 峰夫 Text by Mineo TACHIBANA
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本日のセミナーでは最初に、ワインの中のどういった要素が私を個人的に惹き付けているかをお話し、その次にリッジ・ヴィンヤーズで、「ほんとうのワイン」を造るために、何を目指して何をしているかをお話しようと思います。その中で、今回リクエストを受けたテーマでもある「ナチュラル・ワイン/自然派ワイン」についても自分の考えを話していくつもりです。 今日、ワイン業界はふたつのカテゴリーに分けられると私は考えています。食べ物の世界にスロー・フードとファースト・フードがあるのとちょうど同じように、ワインの世界にも「スロー・ワイン」と「ファースト・ワイン」と呼べるものがあるのです。友人のイギリス人ジャーナリスト、ジャンシス・ロビンソンは、世界で造られているワインの90%以上は、「ビバレッジワイン(単なるアルコール飲料としてのワイン)」あるいは「日常消費用ワイン」であるとしました。これは私のいう「ファースト・ワイン」と同じものを指しています。よって、「スロー・ワイン」あるいは「ほんとうのワイン」と呼べるものは、全体の10%以下でしかないのです。 このふたつのカテゴリー、ふたつのワイン製造業界は共存しているだけでなく、スロー・ワインはファースト・ワインがないことには成り立たないといった依存しあう関係にもあります。私個人が興味をもっているのは10%以下の「ほんとうのワイン」ですが、全体の90%を占めている、値段が安くそこそこの質の「ビバレッジワイン」も必要なものです。そうしたビバレッジワインは、自然なプロセスや土地の個性を反映してはいないかもしれませんが、業界全体を支えるものとして大切な存在です。 とはいえ私が個人的に興味を持っているのは、特定の土地の個性が現われたワイン、あるいは自然なプロセスを経てできあがったワインです。リッジではそうしたワインを生産していますが、創造主としてワインを「創る」のではなく、プロセスを導く案内役としての役割を果たすのみです。親や教師が、子供が非行に走らないように教え導いていくようなイメージですね。 |

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いずれにせよ、大事なことはブドウ畑にあります。私は個人的に「テロワール」という言葉をほとんど使いませんが(アメリカではマーケティングの臭いがこの言葉につきすぎているからです)、今日はこのフランス語の言葉に沿って話をしていきましょう。テロワールというコンセプトには、土壌、気温、降雨、昼夜の寒暖差、土壌の排水性など、あらゆる環境要因が含まれます。また、テロワールのコンセプトの中には、その土地の条件にあったブドウ品種がなにかという点も含まれます。 こうした諸要素は、世界中のどんな畑にもあります。どんな畑にも「テロワール」はあるのです。問題は、そこから生まれるワインの質に対応するように、テロワールにも良し悪しがあるということです。偉大なテロワールもあれば、冴えないテロワールもあります。また、テロワールの個性、つまり収穫年の条件などによらないその畑の一貫した個性をつかむためには、長年その畑でワイン造りをしなければならない、という点も重要です。他の畑とブレンドせずに、長年単一畑のワインとして造りつづけて初めて、その畑の個性が見えてくるのです。 私はフランス人の造り手に友人が多数いるのですが、彼らは優れたテロワールは世界中のブドウ畑の1%にも満たないといいます。この1%という数字について、私は少し違う意見を持っています。現在、高い収穫量のためにそのテロワールの優れた個性を表現できていない畑でも、収穫量を下げれば個性が現われてくることがあるはずだからです。また、それぞれの土地にあったブドウ品種が植わっていないこともあるでしょう。あるいは、新旧世界を問わず、まだブドウの植わっていない偉大なテロワールもあるはずです。こうした可能性を考慮にいれれば、10%程度の畑は優れたテロワールを表現できるポテンシャルを持っているのではないかと考えます。 この1%、あるいは10%に入ることができない場合、つまりテロワールに由来するワインの個性が冴えない場合、ワイン生産者はどうしたらいいのでしょうか。最良の選択は、あれこれ手を加えて、少しでもいい味のワインにしてやることです。いろんなブドウ畑のワインをブレンドすることもそうした手段のひとつですし、酸やアルコールを足したり引いたり、あれこれ人為的な操作をすることもできるでしょう。こうしたワインは土地の個性を反映したものでなく、醸造家の創造物になってしまいます。しかし、何もしなければ、単なる駄目なワインでしかないのですから、少しでもよくすべきなのです。世界中のワインの90%は、実際そのように創られています。ただ、もしテロワールが優れている、あるいは偉大ならば、ブレンドをしたり、人為的操作をあれこれしたりする必要はなく、単独でワインに仕立てたほうがよいのです。 こうしたワインに対する姿勢の違いは、新旧世界で醸造家を指す言葉の違いにも現れています。新世界では醸造家のことをワインメーカー(ワインを創る人)と呼びますが、旧世界にはそうした言葉はなく、同じポジションの人はセラーマスター(メートル・ド・シェ)、あるいはテクニカル・ディレクターと呼ばれます。「ワインを創る」というコンセプト自体が、新世界的なものだといえるでしょう |

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私は若い自分ヨーロッパで暮らし、その後にチリで小さなワイナリーを立ち上げ、自分でワイン造りをはじめました。その際に採用した醸造法が、とても伝統的なものだったのです。私は大学で醸造学ではなく、哲学を学んだ人間です。ワイン造りをはじめるにあたっては、書物で醸造を学んだのですが、その当時の先端であった科学的醸造法を記した本ではなく、19世紀に書かれた古い醸造学の本をあたりました。一冊はカリフォルニアで書かれたもの、残り数冊はボルドーで書かれたものでした。 何故そうした古いテクニックを学ぼうとしたかについて説明しましょう。私はヨーロッパにいた当時、最高の古酒を多数飲む機会に恵まれました。19世紀のワインも多く飲みましたし、1920年代、30年代、40年代、50年代のものももちろんありました。そうしたワインを飲むなかで気付いたのは、最高のワインはすべて伝統的な技術でつくられているという事実でした。その頃はヨーロッパでもカリフォルニアでも、醸造技術が大いに進歩し、科学的な手法が取り入れられはじめた時代でした。しかし、「ほんとうのワイン」は伝統的な技術から造られると、私は考えたのです。 伝統的な技術がなぜ大事なのでしょうか。ワイン造りは、数千年前にメソポタミアで始まり、その後西洋文明の発達とともに世界中に広がりました。昔からワインは、ブドウ以外に何も足す必要がない飲み物として造られてきています。果汁に含まれる糖と酸のバランスは完璧で、ワインにする上で何も加える必要がありません(ブドウ以外の果実ではこうはいかないのです)。果皮には、赤ワインの色のもととなる色素が含まれていますし、種子には渋味のもととなるタンニンが含まれています。果皮にはまた、発酵を起こす天然の酵母が付着しているのです。ブドウを軽く潰すだけで、果汁はひとりでにワインに変わることができ、人間はそのプロセスを導いてやるだけでいいのです。ビールなど、ほかのお酒ではこうはいきません。ビールでは、原料の穀物を人が熱してやらねばなりませんし、酵母も加えてやらねばなりません。スピリッツなどは、蒸留という非常に「工業的な」処理を人が加えてはじめて生まれるお酒です。一方ワインでは、ブドウを潰しておくだけでワインへと生成変化するのですから、メソポタミアの古代人はこれを奇跡だと考えました。また、ワインはそれ自体が変化するだけでなく、飲む人の状態も変わります?(酔っぱらうということです)。昔の人は、ワインを自然な生成変化の象徴ととらえ、神聖な飲み物だと考えました。その後、ワインはキリスト教などの宗教の象徴ともなり、儀式にも使われるようになりました。 現代においても、ワインが好きな人はおそらく、ワインの中に自然とのつながりを見ているのではないかと私は思います。無意識的か、意識的かはともかくとしてです。私たちが暮らす世界は、ガラスやコンクリートに囲まれており、どんどんと自然を感じることが少なくなっています。その中で、ワインを飲むことによって、人々は季節を感じたり、大地との結びつきを感じたりしているのではないでしょうか。そこに、自然なプロセスを重視したり、伝統的な方法を用いたりすることの意義があるのです。 |

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リッジ・ヴィンヤーズは、優れたテロワールの畑に恵まれたという点でラッキーでした。私がリッジの醸造家にならないかという話をもらったのは、チリでのワイン造りのプロジェクトを終え、カリフォルニアに帰ってきたときのことでした。その時に、1964年と1962年のモンテベロの赤を飲んだのですが、この二本ほど複雑で深みのあるカリフォルニアワインをそれまで飲んだことがありませんでした。それで私は、モンテベロの畑がもつ優れたポテンシャル、優れたテロワールを確信し、話を受けることにしたのです。 そうして私は1969年にリッジに入ったのですが、当時はモンテベロの自社畑にわずかなカベルネとシャルドネが植わっているだけでした。経済的にやっていけるだけの量のワインを造るためには、もっとブドウの量を増やさねばならなかったので、周囲の畑に新しい樹を植えました。しかし、その樹が成木になるまでのあいだは、ほかからブドウを買ってこなければならず、私たちはカリフォルニア中を優れたブドウを探して回りました。そこで見つかったのが、禁酒法を生き延びてきたジンファンデルの古木の畑だったのです。多くは19世紀に植えられたものでした。 私が入る3年前に、リッジの創設者たちはすでにガイザーヴィルの畑からブドウを買い始めていました。私が入ったすぐあとから、リットン・スプリングスのブドウも扱いはじめています。その後の30年間で、私は50もの異なる畑からブドウを買い、ジンファンデルの畑名ワインをつくってきました。毎年同じ畑からワインを造り、一貫した個性が見られるかどうかを見極めてきたのです。中には、人があれこれ介入して操作をしないといいワインができない畑もあったので、そうしたものはラインナップから外れていきました。 今では、ガイザーヴィルは造り始めてから40年、リットン・スプリングスは35年になります。この二つの畑は、毎年土地の個性を反映した際立ったワインを生むということを証明してきました。モンテベロの畑が優れていることはもともとわかっていたのですが、それに加えて偉大なジンファンデルの畑をふたつも手にいれることができたのは、単に運がよかったのだと考えています。 |

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Q:畑ごとに違う種類が生息するといわれる天然酵母も、テロワールの一要素としてワインの風味・個性に影響するのでしょうか?
A: フランスの友人たちは、畑ごとに固有の酵母層があり、それもワインの個性の一部、テロワールの一部だとしています。しかし私は経験上、酵母にはそこまで強い影響力はないと考えています。たしかに天然酵母での発酵は、培養酵母と比べると異なるパターンになり、味も変わってはきます。しかし、畑ごとの天然酵母の種類が、他の畑と区別可能な特徴をワインに与えるとするのは言いすぎではないでしょうか。そこまで言うと、テロワールの定義を拡大しすぎているように感じます。
Q:よいテロワールと悪いテロワールの区別・決定に関して、クローンや台木も重要な要因になり得るのでしょうか?
A: さきほども申し上げましたが、私のテロワールの定義の中には、ブドウ品種という要素が入っています。特定の畑の気候や土壌の条件と、ブドウ品種の相性が理想的かどうかも、テロワールの表現には決定的な影響を与えます。台木やクローンもこの「ブドウ品種」という要素の中に含まれるので、やはりテロワールの良否を決める上で影響はします。ただし、品種そのものと比べると、台木やクローンの影響は小さいと言えます。
Q:化学薬品を必要最小限におさえるサステイナブル・ヴィティカルチャーを、リッジでは実践していると伺いました。一方、有機栽培ではビオディナミでは化学薬品を一切使いません。化学薬品を「必要最小限使う」というアプローチのメリット、デメリットについて教えてください。
A: リッジはこれまでサステイブル・ヴィティカルチャーを採用してきましたが、今年から有機栽培の実験を始めています。斜面の畑では、平地の畑と比べて何倍も有機栽培が困難なのですが、たとえ少量の化学薬品でも使わないにこしたことはないと思ってのことです。モンテベロ、リットン・スプリングス、ガイザーヴィルの畑の一部が対象になっています。 これまで、最低限の化学薬品使用が必要だったのは、山の急斜面に拓かれたブドウ畑では雑草の管理がとても難しいためです。段々畑になっている畑でも平坦な面では、トラクターを用いた耕転による除草が可能です。しかし、平坦な面と平坦な面の間にある急な斜面では、トラクターが運転できません。そこで、これまではそうした箇所に最低限の除草剤を使ってきました。しかし、今は除草剤を使わず、高濃度の酢によって雑草を抑えるという方法を実験しています。ほかに、火で雑草を焼くという方法もあるのですが、これは斜面の畑では危険です。 わたしたちが有機栽培へ移行するのに慎重だったのは、有機栽培の方法が常に優れているとは言い切れないからです。有機栽培で認められている天然の農薬は、もっとも毒性の低い化学合成農薬とくらべても、効果の持続する期間が短いという特徴があります。その分、天然の農薬で問題を抑えようとすると、畑を耕作機械が行き来する回数が少なくとも二倍にはなり、その分ディーゼル油の燃焼や空気汚染、土壌の凝固などがひどくなります。 同じようなことは、天然の農薬として認められている硫黄粉末の出所についても言えます。リッジでは今、石油化学産業の廃材として生じる硫黄粉末を使用していますが、有機栽培やビオディナミでは廃材の硫黄粉末の使用が認められません。廃材の硫黄でも、鉱山から採取された天然の硫黄(有機栽培で使用可能)と化学的には同一の物質であるにもかかわらずです。廃材の硫黄を再利用するほうが、環境に優しいと言えないでしょうか?このように、一概に有機栽培がサステイナブル・ヴィティカルチャーより優れているとは言いきれない側面があるのです。 ビオディナミについて一言触れておきましょう。この農法が、有機栽培よりも優れていると判断するに足る科学的根拠はこれまでのところ一切見つかっていません。しかし、ビオディナミには物質的側面でなく、精神的な側面が強くあります。農法としては、有機栽培よりもさらに複雑で完成したものといえるでしょう。ある種、宗教を思わせる厳密さがあるのです。この厳密なビオディナミの教えを栽培家が守るためには、有機栽培よりもさらにブドウ畑の状態に注意せねばなりません。この点に、ビオディナミの優位性があるのではないかと私は考えています。 いわゆる「自然派ワイン」と呼ばれるものについても少し。今お話してきた有機栽培やビオディナミは、すべてブドウの育てかたです。私の友人であるオーベール・ド・ヴィレーヌ(ロマネ・コンティ社のオーナー醸造家)やアンヌ・クロード・ルフレーヴ(ドメーヌ・ルフレーヴのオーナー醸造家)は、ビオディナミでブドウを育ててはいますが、「有機栽培ワイン」や「ビオディナミワイン」を造っているわけではありません。アメリカで「有機栽培ワイン」と名乗ろうと思うと、亜硫酸を醸造過程で一切添加できないのですが、両者とも必要最低限の亜硫酸は使用しています。 ワインは、食べ物と同じでまず美味しくなければなりません。現在、有機栽培ワインや自然派ワインと呼ばれるもので問題だと私が考えているのは、そのワインがどう造られるかについての取り決めがほとんどないことです。化学薬品が添加できない、というルールはあっても、複数の畑をブレンドしたものか、単一畑のものかなどはなにも制限がありません。また、亜硫酸の使用を認めていないのも問題でしょう。必要最小限の亜硫酸なしで、優れたワインを毎年安定的に造り出すことは不可能だと私は考えます。よい収穫年には優れたワインが亜硫酸なしに造れるかもしれませんが、翌年条件が悪ければ同じようにはいきません。この不安定さは問題です。同じ高級レストランで食事をするごとに、味や質が大きく違うようなことがあるでしょうか? ニコラ・ジョリという、ビオディナミの実践者として有名なロワール地方の造り手がいます。彼はよく、「ワインは本物でなければならない」と話しています。私は彼の意見に賛成ですが、ただしワインは「本物」だというだけでなく、味もよくなければならないと思います。味がよくなければ、いかに自然な方法で造られていても、いかに優れた畑のブドウを使っていても、単に悪いワインでしかありません。「本物」であってもよいワインとは言えず、そこにはいかなる言い訳も認められないのです。 |
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